26日(金)は2ヶ月に1回の整髪に川越に行ってきた。40年くらい通っている理髪店は時の鐘の近くにあり、前回はコロナウィルス休業明けで、予約制となっていたが通常営業に戻っていた。ただ、いつもは貸衣装の和服姿の中国人観光客で賑わう蔵造りの一番街も人出は少なかった。
整髪の後は、旧市街をぶらり歩きしながら、お茶をしたり我が町にはない書店の紀伊国屋書店やブックファーストで本探しをしながら、川越在住の山友達との待合せ時間まで過ごした。
今月は自粛明けで、4回目の花金外飲みとなった。活動自粛での巣籠もりは読書などで過ごすので全く苦にならないが、人との付き合いが途絶えるのは、日常生活の楽しみが減る。
(時の鐘)
江戸時代の川越藩主・酒井忠勝により建設されたのが始めで、度々の火災で焼失し、現在の鐘は元禄7年(1694)に鋳造されたものだ。川越一番街はその火災から守る意味で、蔵造りの街並みになった。
(埼玉りそな銀行)
大正7年(1918年)建築の国の登録有形文化財。
(川越商工会議所)
昭和3年(1928年)建築の国の登録有形文化財。
(うなぎ専門店 小川菊)
江戸後期の文化4年(1807年)創業のうなぎ専門店で、現在の店舗は大正初期建築の木造3階建て。
仕事が休みだった山行きの相棒とは居酒屋がオープンする17時に待合せていた。
12月末の夫婦での忘年会以来だったので半年ぶりだった。50年以上の付き合いとなる相棒は、1部上場の通信工事会社に勤め、20代の頃はイランやイラクでの工事にも従事していた。通信技術は進歩しており、現在でも5Gの中継局の仕事などがあり、60歳の定年前に子会社に転籍して、仕事を続けている。海外バックパック旅行がしたくて60歳で働くのを辞めた私とは違う。
古い付き合いで家族連れでキャンプへ行ったり、息子の結婚式にはお祝いを頂いたりした仲なので、当然の流れで初孫のことを聞かれたので、ジジ馬鹿にならない程度に、
息子夫婦がアップする家族アルバムアプリみてねの写真を披露する。
その後も10万円給付話やウィルス話と続き、この日は30度と暑かったので、生ビールの後は夏の飲み物として好きなモヒートを調子良く空けていたが、相棒は一杯の焼酎の水割りをちびりちびりと呑んでいた。
いつものベースとは違うなと思っていたら、話しは一転して病気話となり、相棒は手の痺れがあると言うので、脳梗塞じゃないのと素人診断をしたら、MRF検査をしたとの事だった。結果は何でもないとの診断だったというので、念のために大学病院で再検査をしたらと勧める。
そんな身体の変化に弱気になったのか、(お前はまだ山登りは続けるの?)とのお尋ね。
(槍や穂高のような岩稜ルートは登らないけど、特に悪いとこもないし、体力も落ちた気もしないし、鍛えてもいるので続けるよ)と答える。
そんなことでこれからの山登りは単独行になりそうだ。
山登りは20代の頃からの趣味で、相棒を誘い込むまでは単独行で登っていた。
テニスもそうだが若い頃からの趣味は長続きするものだが、60の手習いで始めた囲碁も今の楽しみの一つだ。
今月から再開された囲碁対局戦は3段の上段者3人に白星という幸先の良いスタートだ。
このリーグ戦が9月まで続く。
ただ一つ申し添えておくと、囲碁は置碁というハンディーを貰っての対戦なので、3段の人に勝ったと言っても、その実力があるわけではない。