前回、動物好きの向う見ずな母についてお話ししました。
自分で書いたものを読み返していて、「そういや、こんなこともあった」と またひとつ、思い出したので、
今日はそれをお話しさせてください。
当時、小学生になった私もお世話を手伝ったカメのことを。
今日のお話、ごめんなさい、長いです。
母はカメを飼う気など、元々はありませんでした。
同居の義父母、私にとっての祖父母は強烈な動物嫌いで、爬虫類も例外ではありませんでした。
それが、ある日、父と一緒に花市場にいったとき、花以外のものがセリにかけられようとしているのをみつけました。
今から40年近く昔の話なので詳しいことはわかりませんが、それは立派なカメだったらしい。
夏祭りで売られている小さなミドリガメではなく、甲羅の大きさが20センチを超えたというのだから、結構な大きさです。
母はピンときました。
「売れ残るに違いない」と。
なぜ、花市場でカメが売られていたのかは知りませんが、そういうおおらかな時代だったのでしょう。
母は急いで父のもとに走り、尋ねました。
売れ残った商品はどうなるのか、と。
自分たちの出荷する切り花の手続きで忙しくしていた父は答えました。
売れ残りは市場のひとに処分される。
でもわが家の花はよそより高値で買われているくらいだから、そんな心配は無用だ、と。
母は急いでカメのもとに戻りました。
そうして始まったセリを恐る恐る見守りました。
やはり売れ行きはよくなかったようです。
「罪のない動物が処分されるなんて!!」
そこは、若さゆえの思い込みの激しさと、若さゆえの後先ナシの行動力。
「この小さな命を救ってやらなければ!」と、
母はカメたちを引き取ることを決意し、なけなしのお小遣いでセリ落としました。
数匹全部。
売れ残りの花が処分されるのは事実だとして、
花市場でカメが大人気で完売、なんて甘いことは出荷主も考えていないでしょうし、
市場のひとも生きものを処分するのはいやでしょうから、出荷主に返品するなりの取り交わしがあったはず。
そういったことを確認しないまま行動に走る母は、本当に考えナシだと思います。
でも母は、
小さな動物たちの救世主のような気分になって、
浦島太郎のように優しい自分に酔いしれたことと思います。
帰宅すると動物嫌いで吝嗇家の祖父母は激怒しましたが、
父は母をかばい、無事、カメたちを飼えることに。
イメージ画像。確かこのくらいのサイズで5匹いました。
その頃には小学校高学年になっていた兄と、低学年の私は、
明けても暮れてもエサ調達のために野山を奔走した地獄の日々を思い出し、凍りつきました。
イメージ画像。私たち兄妹の脳内イメージ。きっとこれくらいに増えると予想。
エサ調達の人員は増強されていましたが(弟が生まれていた)、
新規加入メンバーは、戦力的には未知数でした(弟は幼稚園年少組さん)。
それに、ころころモコモコちょこまかとした愛らしいモルモットに比べ、
のっぺりずんぐりとしたトロいカメは、
私たちのエサ調達モチベーションをあまり刺激しませんでした。
私たちの様子を見て父は言いました。
そんなに心配しなくていい。
カメは中庭に放し飼いにして、エサは野菜やかつお節を与える。
井戸のまわりに水辺があるとはいえ、繁殖するには十分じゃないだろう。
カメが増えることはない。
わが家の中庭は(というか、すべての庭は)、ろくに手入れもしていないので、大自然そのまま。
木々も伸び放題で木陰がいっぱいなら、草もぼーぼーなので、カメは違和感なしにのびのびと暮らせたと思います。
キャベツやカボチャなどの野菜とかつお節、ちりめんじゃこなどのエサは決めた場所に置きましたが、
腐ったり、アリが集まったりするのを避けて、十分には置かず、カメたちが現れると与えるようにしました。
イメージ画像。こんな感じでエサ置き場を作っていました。
そのうちにカメたちは私たちを見つけると、エサをもらおうと寄ってきました。
トロいなりに急ぎ足で。
そんな愛嬌のある様子を見ていると、それなりに愛情がわきます。
手から直接エサを食べる様子もかわいくなくもない。
天気の良い日に庭を散歩していると、カメが甲羅干しをしているのに出くわしたりするのも、楽しい気分にさせました。
当初、みんな一緒に見えたカメにも個性があり、一匹、一匹、なんとなく区別できるようになってきました。
そうなると、いつも同じカメにばかり出会うことに気づきました。
カメ全員にエサをあげていないような?
私たちは父に報告しました。
それは一大事だ。
ちゃんと確認しなければ。
母のアイデアもあって、父はカメを見つけるたび、甲羅にマジックで大きく番号を書きました。
1のカメ、2のカメ、3のカメ、4のカメ…。
イメージ画像。こんな感じで極太マジックで番号を書きました。
そうして、私たち兄弟にどのカメにエサをあげているか、記録するようにいいました。
でも、最後まで甲羅に5を書くことはありませんでした。
死んでしまったのか?
やがて、4のカメも見かけなくなりました。
庭に動物の死骸があるのを忌み嫌う祖父母の命により、
家族みんなで(←祖父母を除く)一所懸命カメを探しましたが、荒れ放題だったこともあり、見つけられませんでした。
カメが生きていたとしても、 中庭は塀に囲まれており、外には出られません。
増えることがないのは想定内でしたが、減ってしまうことは想定外。
いったいこれからどうなるのか?
庭はカメの死骸だらけになるのか?
父母と祖父母との話し合いなど紆余曲折があったのち、
結局、残ったカメたちを手放すことにしました。
だれに?
どこに?
子どもたちにはどう説明するのか?
その頃にはすっかりカメがかわいくなっていた私たち兄弟は、弟を除き、立派な小学生。
「ハーメルンの笛吹き男が連れて行った」では、もうごまかせそうにありません。
(そもそもハーメルンの笛吹き男がネズミの仲間のモルモットを連れて行くことはあっても、カメを連れて行くとは思えません。
百歩譲って、彼にその気があったとして、カメたちが彼のスピードについていけるとも思えない。)
今回も引き取り手探しは難航、ついに見つけられませんでした。
その後の案は大きな村池に放すことでしたが、それでは私たち兄弟は納得しないし、生態系を乱すことも心配で、断念。
最後に出たのは、学校の裏庭にある池に放すことでした。
そこにはいろんな種類のカメがたくさん飼われており、セメントで囲まれた人工池なので生態系の乱れも心配ありません。
それでも私たちはカメと別れがたく、反対しましたが、母の言葉が決め手になりました。
私たちにカメの飼育は無理だった。
生きものは大切にしなくてはいけない。
カメを学校の池に放すことは、その命を救うことになる。
それに学校に行けば、お前たちはいつだってカメに会えるでしょう。
父母はPTAの役員をしていたこともあり、それは実現できたのでしょう。
実際、教頭先生とは懇意にしていて、私はニコニコと優しい彼が大好きでした。
その週末、日曜日の朝早く。
私たち兄弟は両親と学校の池に3匹のカメを放しました。
私はとても悲しかったのですが、生きものを大切にするため、カメを助けるため、と、自分を納得させました。
私たちはみんな、浦島太郎の気分になって、仲間のもとに泳いでいくカメたちを見送りました。
それからのちも、学校に行けば、いつでも私たちのカメに会えました。
群れ(?)のなかにいても、にごった水のなかにいても、甲羅の番号で簡単に探せました。
1のカメ、2のカメ、3のカメ。
どのカメも元気そうでした。
母は正しかったのです。
しばらくして、朝礼がありました。
校長先生の次は大好きな教頭先生のお話です。
でも、その日の教頭先生はニコニコしていませんでした。
悲しいことがあったのでしょうか?
「みんな、目を閉じて下を向いて」
黙とうさせられるほどに、悲しいことが?
「生きものは大切にしなくてはいけません」
学校か隣接の幼稚園で飼っている動物が死んでしまったのでしょうか?
「このなかに、
学校のカメにイタズラ書きをしたひとがいます。
正直に手を挙げて」
はい?
(カメたちを学校の池に放すことについては、事前に相談することも考えたが、万一断られたら後がないので、やめた、とは母の弁)
動物はかわいい。
でも飼うには責任が伴う。
母のDNAのおかげで、私たち兄弟は今もみんな動物が大好きです。
でも、母を反面教師としてか、それぞれに家庭を持った私たちが動物を飼うことは今もありません。