うろキョロ散歩

楽しくお散歩をするのが唯一の趣味。
お散歩の徒然に観たこと感じたことなどなどを書き込んでいこうかな、

安全・安心のまちづくり

2005年10月16日 | ボランティア 

先日、目黒区長を囲んで【安全・安心のまちづくりのための「まちづくり懇談会」】が行われた。
私も八雲住区の防災担当者として参加しました。

今、目黒区には小・中学校を第1次避難所、老人いこいの家や身障者施設を第2次避難所、そして住区センターなどを補完避難所に指定しています。
この補完避難所が曲者で誰をどういう時期に避難させるのか?で区の方針が一定していません。

前防災課長は避難者が発生するような災害が起きた時には補完避難所は1時閉鎖して、第1次避難所から人選して避難させる、と言っていましたが現防災課長は補完避難所は閉鎖せずに避難者を受け入れ、落ち着いたら健常者は第1時避難所に移動してもらいたい、といっています。

このように防災課長が変るたびに区の方針が変るのでは、現にそこで業務に携わっている人たちは右往左往してしまいます。
このよう事が起こらないように区の方針を早急に一本化するように要望し、区長から早急に対処する、という約束を貰いました。

先を越された

2005年10月15日 | 亀の甲より年の功
先日、姪の結婚式がありました。私の妹の娘です。

私には小さくてかわいい事ですが、絶対にやりたいと思っている「夢」があります。

それは、娘の結婚式の時に、娘をエスコートしてバージンロードを歩く、という事です。そうです、まさにこのシーンを私がやりたいのです。

なのに、妹の亭主は兄の私を差し置いて、エスコート役をおこなってしまったではありませんか。
実に悔しいです!うらやましいです!!


わが娘は結婚していませんのでこの夢はかなえられていませんが、可能性は残されています。

我が娘よ、はやく父の夢をかなえさせておくれ!でも、娘が結婚して手元を離れていくのは寂しいな!やっぱり行くな!

矛盾しているけれど「夢」もかなえたい。あああ・・・

宮城県沖地震から学ぶ

2005年10月13日 | ボランティア 
「震度6弱を記録した宮城県沖地震。実はこのとき、仙台市内に大きな揺れが到達する16秒前に、これを速報することに成功していたと言う。」
地球上の小さな日記さんから頂いたトラックバックを参考にして考えてみました。

地震が起こる事を5~20秒程度前に知らされて、何ができるだろうか?
・ 食事の支度をしている最中なら火を消せる
・ 就寝中なら飛び起きて脱出口(ドアや窓)を開けられる
・ 家屋内にいるなら家具が転倒しても大丈夫そうな安全な場所に避難できる
・ 屋内にいる時には靴をとりに行ける
・ 路上にいるなら安全そうな家屋内に避難できる
・ 車を運転中なら自動車を道路の左側に寄せられる
・ 学校や事業所なら机の下など安全なところに身をかくせる

まだまだできそうなことはあると思います。

地震の予知が難しい、といわれていても10秒くらいあればこの程度のことはできるだろう。
*地震に関する直前予報の最大のメリットは「これから大きな揺れが来るぞ」という事を知れば、心の準備ができることではないだろうか。

*たとえ数秒前でもいいから地震発生緊急予報を出して欲しいと思う。

メタボリックシンドローム

2005年10月12日 | ウォーキング
先日血圧を測りにかかりつけ医に行った時、東京都医師会発行の「元気がいいね」という冊子を貰ってきた。

「メタボリックシンドローム ご存知ですか?その危険性」という記事が載っていた。

メタボリックシンドロームってなに?
メタボリックシンドロームは動脈硬化をお越しやすい体質の人を指す言葉なのだ。
具体的には
ウエストサイズが男性85cm、女性90cm以上あり、
①中性脂肪150mg/dlでHDLコレストロール40mg/dl未満、あるいはどちらか一方
②収縮期血圧130mmHg以上で拡張期血圧85mmHg以上、あるいはどちらか一方
③空腹時血糖値110mg/dl以上
以上のうち2つ以上を満たす人はメタボリックシンドロームです。

やばいです。私はウエスト91cm,更に①と②に該当します。
メタボリックシンドロームそのものです。

この記事にはメタボリックシンドロームの対策も書いてありました。
1日30分以上の有酸素運動とバランスの良い食事を腹八分目に取り、アルコールはほどほどに。
体重とウエストサイズを一緒にはかりなさい、だそうです。

このところ雨天の日が多くてサボっていたウォーキングを再開しなくっちゃ!!

針のいらないレコードプレイヤー

2005年10月11日 | 亀の甲より年の功
私は今でもドーナツ盤やLP盤を合わせれば100枚くらいのレコード盤を持っています。

今の我が家に引っ越す時に妻から処分するように言われましたが、「我が青春の思い出。そんなに簡単に処分する事はできない。」と意地を張って処分しきれませんでした。

しかし宝の持ち腐れで、今までこのレコードを聴くことはできませんでした。
なぜなら、レコードプレーヤーを持っていないからです。
倉庫の一番奥の引っ張り出すのが大変な場所にしまってあるからです。
それに、たとえプレーヤーがあっても聞けなかったでしょう。
かつて所有していたプレーヤーも針が擦り切れていたからです。
そして、多分レコードも反り返ってしまっている事でしょう。
もう1度、あのCDやMDなどにないレコード独特の温かみのある音を聴いてみたいものです。

そこに登場したのがこの『針のいらないレコードプレイヤー』です。
ダイヤモンド針の変わりにレーザーでレコード再生するのだそうだ。レコードに針を載せて再生するのでなく、レーザーを照射して再生するからレコード盤の少々の歪みや傷は気にならないらしい。
だが、CDディスクのようなクリアの音になってしまって、レコード独特の温かみがあり、深みがある音が再生できるのだろうか?
こればかりは聞いてみないとわからないな。

それにしても¥134,000 は今の私にとっては大金ですし、19kgという重量は重すぎます。とても重くて我が家に置いておく場所もないです。
もっと軽くて安くなれば絶対に欲しい商品です。

大災害が発生したその後

2005年10月10日 | 亀の甲より年の功
パキスタン地震 死者1万9000人以上 M7.7に上方修正
関東大震災から80年以上、東南海沖地震から60年以上たっている。

パキスタンだけでない。東京にだっていつこのような大地震が起きるかわからないのが、現状である。
そして、そのときの被災状況は昨年の新潟地震やや先日のパキスタン地震の比ではないのだ。

人間なんて自然災害には弱いものだ。
だから起きてしまったあとの事を我われは考えておかなければいけないのではないだ。

先日のテレビで、阪神淡路震災で6人に1人のサラリーマンが失業し、10年を経たいまでもそれを引きずっていること。
中堅企業の部長をしていた人が、「まさか自分が地震で失業!」をしてしまい日雇い労働でその日暮らしをしていたことを放送していた。

そして、東京に大震災が起きた時には4~5人に1人のサラリーマンは失業する、という予測を言っていた。

あなたにそのときの準備はできていますか。

パソコン塾

2005年10月09日 | ご近所の紹介

私がパソコンでわからないことがあると、教えてもらっているパソコン塾です。

電気関係の会社に勤務していた人たちが、現役を引退したあとボランティアで先生として教えてくれる教室です(したがって先生は全員シルバーです)。

月2回しか実施していませんが親切・丁寧ですし、費用も極端に安いです(月会費300円)。

気楽に教えてもらえるのが素敵です。

地方色っていろいろだな!

2005年10月08日 | 亀の甲より年の功
10/02に田舎の葬式について書いたら以下のようなコメントを頂いた。

>亡くなられた方が御歳97での大往生でしたので、『長寿』と書かれて百円玉が入ったポチ袋をいただきました。
不祝儀袋に包んで持っていったら、入り口に『御勘定場』というのがあって、中のお金を抜き取られて、袋は「またの機会に御使いください」と返されたり、葬儀の時には、左右に男女別に座ったりと『???』でしたね。地方によってホント様々です。<

私が行ったところでは長寿の祝として「紅白のタオル」を参会者に配っていましたが、この地方では100円玉の入ったポチ袋を配るのですね

葬儀の際に不祝儀袋に香典を包んでいくのは当たり前だけど、この地方ではその「香典袋を返してまた使ってください」という風習ですか
東京では香典袋を家庭に常備しておくだけでも、次の葬式をを待ち構えているようで縁起が悪いから、香典袋は使用するたびに買いに行くように言われています。
この地方のように使い回しなどしたら周りの人かヒンシュクをかって、エチケットを知らない奴だ、と軽蔑されてしまいます
この地方から東京の葬儀に参加する人は十分注意しなればいけませんね。

更に驚くことには、葬儀の際に男女別々に座らされるのですか?
まだまだ男尊女卑が残っているのでしょうか??

いやはや信じられないような驚きの葬儀ですな。
こと葬式に関してはまだまだ地方色が色々残っていますね

なつかしい昭和30年代の歌謡曲

2005年10月06日 | 亀の甲より年の功

10/03 放送の番組だった。
この30年代の頃、私は10代で青春真っ只中だった。
年ごとに5位から1位を順に放送していた。

さすがにこの当時毎日ラジオから流れてきていた曲ばかりでしたから、覚えていない曲は1曲もなかった。
流れてくるメロディと記憶しているメロディが多少違う事はありましてけど、全曲、覚えていたし、テロップにしたがって全曲歌えました。
若い頃の記憶というものはすごいものですね。
30年代後半にはテレビも多少は普及していたせいでしょうか、出てきた歌手も、みんなわかった。歌手が年取っていたのにはガッカリしました。
アイドルは若いままでいて欲しかった!

とっても懐かしくて2時間ず~と、見ちゃいました。

おもてと新宅

2005年10月03日 | 亀の甲より年の功

先日の葬儀の際に今は亡き父の実家によってご挨拶をしてきました。

今は従兄、といっても70歳をすぎていますので農業は息子に譲り、自分は乳牛八頭を飼い、それで悠々自適な生活しています。まあ、東京では考えられないくらいのんびりとしています。
一緒にいった娘が、「牛だ!うしがいる、くさいくさい」といいながら、夢中で写真を撮っていましたσ(^◇^;)

タイトルに書いた「おもてと新宅」とは、本家と分家の呼び方なのです。
「おもて」というのは本家の事。新宅とは分家のことですが、新宅の事は地名をつけて呼ぶのがならわしです。例えば今回葬儀のあったうちのことは「おぬき(地名)のおんばぁ(おばさん)」と呼ぶし、私のうちは「東京のおんつぁま(おじさん)」と呼ばれています。

このように地方にはまだまだおもしろい言葉がいっぱい残っていますね!

地方の変った風習

2005年10月02日 | 亀の甲より年の功
私からすると義理の叔父が亡くなりました。茨城県在住です。冠婚葬祭のときのお付き合い程度しかなかったのですが、義理とはいえ叔父ですから告別式に行ってきました。

いままでも、両親の親戚関係とは礼を欠くようなことはしてきませんでした。このような血縁関係のお付き合いをおろそかにしてしまうと、大災害などの重大事が起こった時に困ることになりかねませんから。
ちょっとずるい考えかも知れません。しかし、おかげさまで従兄の何人かは、東京で何かあったらここにおいで、といってくれています。

茨城県の石岡付近には東京にはない変った風習があります。
以前告別式に参加して驚いてしまったことがありました。
告別式の参列者に紅白のお餅が配られたのです(今回はお赤飯と紅白のタオルが引き物でした)。葬式に紅白餅ですよ。私はビックリしてしまって、そばにいた従兄にわけを聞きました。
すると従兄は、「このあたりでは80歳を過ぎた人が亡くなると、このように紅白餅を配って葬儀の際に長命だったことをお祝いするのだ。80歳を過ぎるまで生きてこられた、ということはオメデタイことだから」、ということでした。

なるほどそのとおりですね。私の父も76歳になる寸前で、ご霊界に行きました。先日紹介した我が人生の指導者は62歳でした。

100歳以上の人が2万5千人以上いる世の中になったとはいえ、80歳以上のかたはやはり長命ですからお祝いしなければ。
いい風習はこれからも残していきたいですね。

これも東京では見られないものに、花輪があります。10年位前までは東京の葬式でも花輪は当たり前でしたが、最近は生花だけになりました。かっての風習を知るものにとってはさびしい事です。

どんな花輪かは写真を見てください。
ご覧のように花輪の真ん中に清酒やビール、缶詰などが入っているのです。
初めてこの花輪を見たときは「何だ・ナンダ!」の驚きでした。
東京では絶対に見られなかった花輪です。

おどろき・もものき・さんしょのき(・_・ゞ-☆

地方の風習はおもしろいですね!!