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物部の森

日常感じたこと、趣味のこと、仕事のこと・・・等々
日記風に書いてます。

私にしかアドバイスできないこと

2015年08月16日 | Weblog
6月末でわが社を退職し、研修講師として独立起業したNさんから「相談に乗ってほしい」との依頼メールがあった。夏休みは暇なのでいつでもOKと返事をする。グランフロント大阪のナレッジキサロンにオープンオフィスを借りているとのことで、そこで会うことになった。
ナレッジサロンのある北館に来るのは初めてだ。お盆にもかかわらず、サロンのあちこちで、打ち合わせやミニセミナーが行われている。一人で作業している人も結構いる。年齢層はバラバラ、男女比では男の方がやはり多い。
彼女がターゲットとしている企業にどう入り込むか、もともと研修を実施する立場だった私の経験からアドバイスが欲しいというのが今回の趣旨だった。彼女の事業計画書を見せてもらう。企業理念から事業方針・計画・施策に至るまで、かなり具体的に書かれている。彼女には、以前から色々とお世話になっていることもあり、私で役に立てるのならと、経験に基づいたかなり細かいアドバイスができた。彼女も研修やセミナーの“買い手”の立場の者から生の声を聞くのは初めてなので、「めちゃ参考になった!」と喜んでくれた。アドバイスしながら私自身も彼女の起業にかける思いなどを聞かせてもらい、大いに刺激になった。
長年の付き合いから、彼女のバイタリティなら必ず成功すると確信している。そのあかつきには講師として呼んでもらおっと(笑)。
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基本は自主練、所々アドバイス

2015年08月16日 | Weblog
二男がギターに興味を持ち始めた。教えてほしいと言う。楽器は生涯の趣味になり得るし、早目に始めるに越したことはない。教則本なんて持ってない。それよりも簡単に弾き語りができる曲をマスターした方が実践的だ。バレーコードじゃない3コードで、基本的なリズムで、歌もよく知られているアップテンポな曲。そうなるとパンク系か。ハイロウズの『日曜日よりの使者』を最初の課題曲とした。コードはA・E・Dの3つ。ストロークもダウンのみで様になる。マスターしなければならないことはそれほど多くないので、コードとリズムだけ教えると基本は自主練。所々アドバイスしたり、お手本を見せたりする。現在、始めて1か月程度だが、コードチェンジもほぼできるし、リズムもキープできるようになってきた。実はここからが難しい。できれば人様の前で披露できるくらいにしたい。ミスなく綺麗に音が鳴らせて、それに歌が付けられるまではまだまだ道のりは遠い。ただあくまで趣味の世界、無理なく楽しくマスターしてもらいたい。
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アドバイスせずにはいられない

2015年08月15日 | Weblog
長男が9月に行われる学校の文化祭で漫才に出るという。有志は誰が出ても良いというよくある舞台企画。コンビの相方は、私の会社の同期の息子T君。彼らは親父同士の関係とはまったく関係なく、偶然仲の良い友達になった。
ここは大阪のオッサンとしてアドバイスせずにはいられない。
まず大事なのはネタよりも漫才の型だ。オーソドックスにボケとツッコミのしゃべくりでいくのか、ショートコント仕立てにするのか、物真似やリズムネタにするのか、など。長男いわく「自分はツッコミでしゃべくり漫才でやりたい」。それなら3分という短い制限時間の中で笑いを集中的に取るために、ツッコミが一言おもろいコメントを足す形がいいだろう。上方なら、中川家、銀シャリ、学天即みたいなパターンだ。長男もそれには納得。YouTubeで彼らの漫才を見ながら研究している。
当日は2本やるそうで、相方と1本ずつネタを考え、サイゼリアで打合せをやっている。ファミレスでネタ合わせ、いかにも“若手”っぽいね。
ネタができたら、次は立ち稽古。最終段階では本番さながらに、人に見てもらう方がいいだろう。最も大事なのは大きな声を張れているか。声が大きいだけでとりあえず面白い雰囲気にはなる。声の通りを良くして噛まないために、劇団四季の言葉を母音だけでしゃべる練習法を伝授した。例えば「こんにちは」なら「おんいいあ」、「さようなら」なら「あおうああ」と声を出す。これにより口の形がはっきりとできて、声の通りが良くなる。劇団四季の「一音落とす者は去れ」ではないが、ネタの中身を音としてしっかり伝えるのが大切だ。この手法には長男も納得していた。
よし、あとはどれだけ練習するかだ。

…って、こんなことには血道を上げる大阪のオッサン、病気でんなあ(^_^;)
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出会って数分でプロポーズ

2015年08月14日 | Weblog
中学のクラブのメンバーで飲む。田舎へ帰省中のF君と海外勤務のU君を除く5人で新宿ごちそうビルの「KICHIRI」に集まった。基本は年末に全員で会うのだが、今回私の父が亡くなったので、みんなが通夜か葬儀に来てくれたのをきっかけに、「お盆飲むか」という話になり実現した。
11時過ぎまで飲む。翌日も仕事のA君とY君は帰宅。K君は中学の別の同窓会があるので、そこに遅々に合流。N君と私もその同窓会に誘われたが、メンバー的に知らない人が多いので、遠慮する。そのまま二人で私がよく行く某バーへ飲みに行った。
店は若いお客さんが一人だけ。私たちが来たらほどなく帰っていった。ママと3人になる。N君は数年前に一回来たきりで、ママとはほぼ初対面。
ママ「お盆やのに、遅うまで飲んでて奥さんに怒られへんの?」
私「別に。むしろ家に籠りっきりやったら、どっか行けって言われててん」
ママ「お友達はどうなん?」
N「いや、オレ独身やから」
ママ「えっ、独身? バツイチとかやなくて?」
N「うん」
ママ「結婚して」
いきなり、何言うとんね~ん!!?
ママ「こういうのも何かの縁やん。散々遊んできた感じやしそろそろ落ち着いたら? アタシ料理も上手いし束縛せえへんよ。綾瀬はるかに似てるか似てへんかで人類を二つに分けたら、似てる方に入ると思うし」
と畳みかけてきた。
結局、2時頃まで飲んでいたが、その場はママから携帯番号を渡すで納まる。
翌日、彼女のFacebookの投稿には、
「常連さんが、同級生のイケメンを連れてきたので、すぐに結婚を申し込んだ」
みたいなコメントが書いてあった。おそるべしアラフィフ女のバイタリティである。
もし二人がそんなことになったら、確実にオレは披露宴のスピーチをしなければならない。
やめてや、そんな邪魔くさいこと。ま、ないやろうけど(^_^;)
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MNLS会

2015年08月13日 | Weblog
堺時代のメンバーと同窓会。勤務していたチームの頭文字を組み合わせて「MNLS会」と名付けられた。S君が幹事で江戸堀の「ピッツェリア ラ・ポルタ」というイタリアンをおさえてくれた。今では全員が本社あるいは関係会社で勤務している。私のように堺を転出してから二部署目の人もいる。結婚したり、子供ができたりとプライベートも色々と変化している人もいる。美味しいイタリアンに舌鼓を打ちながら盛り上がる。好き勝手にやっていた堺時代が懐かしい(まあ、今もほぼ好き勝手な感じだが…)。
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研究所の納涼フェスティバル

2015年08月12日 | Weblog
ブログ休止中のネタを遅れてアップ。
年に1度開催される研究所の納涼フェスティバル。随分古くから地元住民との交流のため行われているイベントである。入社以来、初めて参加する。と言っても、準備や運営や若手社員中心に行ったので、特に役割はない。同僚たちと飲んで食べているだけ。会場のグラウンドいっぱいに、テーブルと椅子が並べられているが、ほぼ満席だ。舞台ではタレント(の卵?)たちが、歌とダンスやマジックなどを披露する。最後、ビンゴゲームまで楽しませてもらった。地域の人たちも小さい子を連れた家族連れが多く、みんな笑顔だ。こういうイベントはぜひ続けていってほしい。
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大阪市内で買いま商品券

2015年08月11日 | Weblog
1万円で1万2000円分が使える「大阪市プレミアム付商品券」が届いた。2割余計に買い物ができるというのは相当割安感がある。言うなれば都会の「地産地消」。景気向上のため、こういう施策はどんどん推進してほしい。
だが、名前が…。
「大阪市内で買いま商品券」
え?え?何て?
「大阪市内で買いま商品券」
ちょっと待て、ちょっと待て、お兄さん。
「大阪市内で買いま商品券」て、何ですのん!?
説明しろと言われましても、意味わからんからできまっせ~ん。
(古っ)
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すべての麺は消耗品である ~唐そば~

2015年08月11日 | Weblog
ブログ休止期間のネタアップ。
8月最初の月曜日は学生の採用面接で東京出張だった。
夕方過ぎに面接が終了し、翌日の関係先訪問の準備の前に、いったん夕食。
ネットでの評判が良さげな渋谷の「唐そば」に入る。とりあえずのつけ麺。普通に美味しい。ただあくまで“普通に美味しい”のレベル。麺大でも良かったな。
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通夜・葬儀マニュアル

2015年08月10日 | Weblog
親父の通夜・葬儀は初めて喪主を務めた。
なかなか大変だった(^_^;)
人生、大切なことはけっこうぶっつけ本番なのだ。
色々と気付いたことをメモで残しておく。


[臨終~通夜・葬儀準備]
・連絡先の準備。訃報を知らせる先を予めリスト化しておく。家族から発信する人、そこから他者へ二次発信してもらう人など、漏れなく決めておく。
・葬儀場と葬儀社の決定。葬儀社に前もって連絡して、葬儀場の空き状況などを聞いておく。
・遺影用写真。予め選んでおく。逝去の後、いざ選ぶとなると、満足いく写真がなかなか見つからないことがある。
・葬儀委員長の依頼。地元(町内会)の慣例があるので、できる限りそれに従う。町会長にやってもらうのが一般的。
・世話役の決定。喪主はプレイングとマネジメントすべて請け負うことになってしまう。今回は実家の商売関係は社長(弟)が、全体仕切りについては叔父がフォローしてくれた。
・親族・関係者への連絡。案内は、葬儀社が雛形に従って作成してくれる。紙で受け取るが、できればデータももらいたい。FAXだけでなく、メールなどを活用することができる。
・高齢の親戚などは、電話しか連絡手段がない場合が多い。連絡がつくまで思いの他時間がかかることがある。
・宿泊手配。田舎の親戚の出欠を確認し、必要であればホテルの手配をする。
・弔辞の有無。基本的には断った方が良い。同程度に親しい人が他に居ると「なぜあの人だけが(するのか)?」みたいな話になるとややこしい。
・現金の準備。葬儀社は後からまとめての請求だが、菩提寺へのお布施は現金。通夜振る舞い・火葬の間の精進落としなどは業者への支払いがすぐ発生する。カードでも構わない。亡くなると故人の預貯金口座が凍結され引き出しが難しい。
・葬儀のグレードの決定。ほぼ祭壇の飾り付けに左右される。一つグレードが上がるとそれだけで予算は相当跳ね上がる。気持ちが動転して判断が鈍りがちだが、喪主一人で決めるのではなく、全体予算を考慮し、複数で決定すること。
・香典・供花の有無。通夜・葬儀を営む上での大きな方針の一つ。香典は辞退した。
・会葬礼状・粗供養品。礼状は雛形どおりオーソドックスな文章で、粗供養は、お茶・コーヒー・ハンカチ・ミニタオルなど。奇をてらったものは必要ない。
・供花対応。供花申し出は通常葬儀社に連絡が入るが、親戚など一部こちらに直接申し込まれることもある。支払は、振込み(葬儀社からの請求に基づき)と現金払いに分かれる。今回はほぼ半々だった。現金払いの場合は家族が直接受け取るとややこしいので、当日受付で払ってもらうようにする。
・親戚はほぼ供花を申し出てくれる。そうでない場合も一応状況を知らせておいた方がいい。決して「出してくれ」という依頼ではない。当日他の親戚は出していて自分のところが出してなかった場合、「言ってくれればよかったのに…」とかえって気を遣わせてしまっては申し訳ないので。
・供花の受付用紙は葬儀社の雛形があるが、できればエクセルで打つなどして、データが残せたり、すぐに訂正ができるようにしおいた方が良い。
・喪主勤務先への連絡。親の通夜・葬儀に関し、会社の人に手伝ってもらったり、参列いただくケースは以前に比べ激減している。社内の物故者連絡には「参列・香典・供花・弔電等すべてご辞退」とした。
・親族の出欠管理表の作成。
  通夜
  通夜振る舞い
  宿泊
  葬儀
  火葬
  精進落とし
  骨上げ
  初七日
の出欠状況を確認してエクセルで一覧表にしておく。当日思わぬ遠い親族が来たりすることがある。火葬場までの移動のマイクロバスのキャパシティや食事の人数など、柔軟に対応する必要がある。
・児童や幼児は一覧表にその旨記す。精進落としのメニューなどが違ってくる。
・携帯番号登録。葬儀委員長・世話役・親族・葬儀社スタッフなどは携帯番号を聞いて、すぐに登録しておく。

[通夜当日]
・喪服。略礼服でよい。ただし久しぶりに着たりする場合は、太ってサイズが合わなかったり、汚れていたり、防虫剤のにおいが移ってたりするといけないので、事前にタンスから出して試着しておくこと。
・菩提寺へのお布施の支払い。通夜の前に、葬儀社立ち会いのもと、住職がメモを書きながら金額を言う。葬儀社と内容確認の上、専用の封筒を準備してくるので、そこにお金を入れて、翌日葬儀の前に渡す。
・供花の準備。並べる順番の決定。葬儀社のアドバイスも参考に。関係先では、実家の商売が優先される。すなわち、得意先 → 喪主勤務先 → 仕入先 → 同業者 → 友人 → 近隣 → 親戚 → 実家の会社の社員一同 の順番。
・送迎バス手配。葬儀場が離れている場合、参列者の移動用の送迎バスを準備しておくこと。出発時間は1時間前くらいがベター。時間の余裕があれば、いざ乗れなかった人に対して、戻って来て往復してもらうことができる。近所の公園や町民会館など、分かりやすい場所からの発着にする。
・受付手伝い。「会社関係」「一般」「供花受付」の窓口をセット。「会社関係」「供花受付」は組合関係者および社員、「一般」は町内会委員に手伝ってもらった。
・供花の釣銭。供花を申し出てくれている件数を葬儀社から聞き、規模に応じて準備する。できれば金種も合わせて控えておく。
・参列者の席次。通夜も葬儀もきっちりと決める必要はない。親族は一番前。前二列を親族席として立札を置いたが、それでは足りず、三列目に座ってもらうことになった。葬儀屋に親族のおおよその出席人数は知らせておいた方がいい。
・弔問客への対応。喪主から始まり親族全員の焼香が終わると、家族は前に出て弔問客への対応をする。前に椅子を置いて女性が座礼、後は男性が立礼。葬儀委員長も男性と並んで立礼いただく。
・喪主挨拶。葬儀屋やネットから例文が取得できるので、それを参考に。短いにこしたことはないが、故人・喪主・家族にまつわるコメントを少し入れる方がオリジナリティが出る。
・供花の現金確認。今回、香典はすべて辞退したが、供花のお金は預かっているので、受付からすぐに引継ぎ管理する。支払明細と残高の突合せはその場で行う。
・通夜振る舞い。通夜終了後、通夜振る舞いは親族のみなのか、参列者も入ってもらうのかを決めておいて案内する。開始の時に一言も準備してたが、三々五々始まったので挨拶はなし。
・メニューは寿司桶・オードブル・おつまみなど乾き物。ドリンクは、ビール・日本酒・ノンアルコールビール・お茶・ジュース。量は出席人数の7割くらいが目安。
・通夜振る舞いの場所が葬儀場と離れている場合、通夜終了後遅れて来る参列者の対応のため、葬儀場にも一名残しておく。
・通夜振る舞いの所要時間は、1~1.5時間。注いで回りながら個別に挨拶する。
・葬儀場への宿泊。今回は喪主と社長のみ。葬儀場に何が備えられているかを確認の上、宿泊セットを準備。布団は葬儀社でレンタル。従来、親族が灯明や線香を絶やさずに、故人を夜通し守るものとされてきたが、遺族の疲労度や防災上の問題から、こうした慣例は薄れて来ている。

[葬儀当日]
・親族集合写真撮影。任意だが頼んだ。その場合親族に、写真撮影があるので少し早目に来てもらう旨漏れなく知らせておかなければならない。
・弔電の順番。司会(葬儀社)と決めておく。得意先・喪主関係・友人などが優先的に早目に読まれる。この場合は弔文も含めて読み上げる。以降は団体名・氏名のみ。できるだけすべて紹介すること。
・供花追加対応。通夜に参列され、急きょ供花を申し出てくれる場合もある。後からいただいた供花をどこに陳列するか決める。
・焼香の順番。告別式は順番をおおよそ決める。喪主から始まり、親族は止め焼香を近い親戚に頼んでおく(今回は父の甥、すなわち私の従弟)。その次に、供花をいただいたところの代表者。遠方で参列していない場合もあるが、名前は一応読み上げる。その後は、前から順不同で。
・弔問客対応。座礼・立礼は通夜と同じ。
・喪主挨拶。通夜同様なるべくシンプルに。実家の商売関係が多かったので、そのことにも触れた。
・出棺。段取りは葬儀社の指示に従う。出棺時の挨拶はなし。マイクロバスに乗れない場合は追加でハイヤーを手配する。それに乗ってもらう親戚は予め決め、本人に知らせておく。
・火葬待ちの精進落とし。食事の時の献杯の挨拶がいる。喪主ばかりだとワンパターンになるので今回は社長に頼んだ。
・初七日。昨今は初七日まで葬儀の日にやってしまうことが多い。終了後、喪主からの挨拶。ここは母が御礼をしてから私が締めた。

[事後対応]
・葬儀委員長・受付手伝いの方への御礼。翌日午前に喪主と社長とで行った。御礼の相場は葬儀社に確認して商品券などを準備する。
・後から訃報を知って弔問に来る人もいる。そのために粗供養を余分に葬儀社から預かっておく。四十九日後に使用した分だけ精算する。

以上
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高校野球三大(三代)ショック

2015年08月09日 | Weblog
昔から高校野球はよく見ている方だ。
小学校時代は随分年上のお兄ちゃんがやってる気がしていた(実際そうだったし)。
それが「自分も年を取ったなあ」と感じる三世代に渡るショックがある。
 1.自分と同世代の子たちが甲子園に出ている(PL桑田・清原の時に感じた)。
 2.自分と同世代の監督がいる(20代の監督とかたまにいる)。
 3.自分の息子と同世代の子たちが甲子園に出ている(早稲田清宮君、長男より一つ下だ)。
何にも予定のない夏休み、本とギターと高校野球だけで何とかしのぐつもりだ。
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花紀京のギャグ

2015年08月08日 | Weblog
定食屋にて。
「親父、いくらや?」
「へい、480円です」
「すまんなあ、今細かいのんないねん」
「大きいのんでも大丈夫ですよ。お釣りありまっさかい」
「アホか。細かいのんもないのに、大きいのん、あるわけないやろ!?」
ドテ~。

ロジカルやったねえ。花紀京のギャグは。
合掌。
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親父のこと

2015年08月07日 | Weblog
親父が亡くなってから10日余り経った。生活はすっかり日常ペースに戻っている。
約2年半の闘病生活を経て、7月26日の夜遅くに亡くなった。病院や老健施設で最期を迎える人が多い中、本人の希望であり、またおふくろの希望でもあった在宅介護をずっと続けていた。完全にベッドに寝た切りになったのは亡くなる直前の数日だけであり、おかげさまでそれまで十分にコミュニケーションが取れた。息を引き取る時も家族で見守ることができた。通夜も葬儀もたくさんの人に来ていただき、故人を偲んでくれた。
父について他者からの共通する評価は「温厚かつ善良」。あまり自分の心情を語ったりすることがない、弁えた人だった。
そんな親父が一度だけ私に自分の意志を話してくれたことがある。いつだったかは忘れた。少なくとも10年以上前だ。何をきっかけにそんな話をしたのかも覚えていない。

親父は養子だった。彼の父の弟、すなわち叔父のところに中学2年生の時にもらわれたのである。
岐阜県の片田舎で育った親父は、幼少時代、そのまま成人して家業の農業をする自分を想像していた。それが嫌で嫌で仕方なかった。その頃、自分の叔父が大阪で和装関係の商売を初めた。もちろんまだまだ小さい商いだった。しかし親父は、それが自分にとってのチャンスだと感じた。叔父を頼りに大阪で一旗挙げたい。そんな折、子供の居ない叔父からも、兄すなわち親父の実父に「R(親父の名前)を養子に欲しい」という申し出があった。渡りに船だった。迷いは全くなかった。そうして叔父の養子となり、大阪に出てきた。地元の中学へ転向し、商業高校を卒業し、晴れて養父の会社に入った。先代を支えながら、その後、二代目として事業を継承した。色々と苦労を重ねながらも、持ち前の堅実さで、大儲けというほどではないにしろ、質重視の経営を着実に行ってきた。
私にとっては、物心ついたときから常に黙々と仕事をしていた父だった。経営者や商売人としての信条や哲学みたいなことを聞いたことは一度もなかった。何となく敷かれたレールに自然に乗っかってきた人生かと思っていた。それだけに話を聞いた時は、新鮮な驚きがあった。野心や底意地みたいなものが心の中にあったからこそ、この人は上手くいっているのだ。そう改めて感じた。そして親父がそんなことを語ってくれたのは、後にも先にもこの時だけだった。

葬儀・初七日が終わるともう夕方、母と叔父(母の弟)と弟家族とうちの家族が実家に戻った。夕飯を作る気力はない。「ピザでも取るか」という話になり、ピザとサイドメニューをしこたま注文して、ビールと子供たちのジュースで献杯して即席の打ち上げを行った。そしてその場は盛り上がる盛り上がる。ここでは決して書けない禁断の話なんかが飛び出して、笑いが絶えない。二男が「今日の晩ご飯めっちゃ楽しいわ」と思わず本音。あれ、もしかしてこういうのって不謹慎? いや、そうではない。大変だった通夜・葬儀を滞りなく行えたという安堵感と、親父に対してやるだけのことはやってあげられたという家族の自負の表れなのだ。
家族にとっても実家の商売にとっても、精神的支柱を失ったことは大きな痛手である。でも逆に、それを更なる発展の機会として捉え、残された全員で頑張っていく。それが親父への何よりの恩返しなのである。
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