苗苗老師的心言苗語

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☆  菜鍋人生(cai4guo1ren2sheng1)小鍋人生

2006-04-05 23:38:41 | ☆ 苗苗の日本語Essay
菜鍋人生(cai4guo1ren2sheng1)
『東方時報』
劉 心苗
20041209

小 鍋 人 生

踏み切りの前に立ち、電車の通過を待っていた。突然、中国語の声が耳に入った。周りを見たら、斜め前に、歓談している4人の中国人同胞が見えた。声の音量は大きくよく響いた。

男性二人と女性二人の四人組だった。男性二人は一つずつスーツケースを持っていた。空港税関の貼り紙は新しくてかなり目立った。右側に立つ女性の一人は年上で、ファッションもヘアスタイルも東京の洗礼を十分受けていたようだ。隣の若い子は初々しい笑顔で三人の話を聞いていた――あの表情は、きっと新米留学生に違いないと思った。確かめたいので、同胞たちの話に耳を立てつづけたーーやはり私の判断は間違いなしだ。

電車は通過した。踏み切りをわたり、女の子のそばを通り過ぎた。興奮とはにかみと憧れで頬を赤らめている彼女の顔に心が打たれた。しかし、待って、女の子の代わりに、男性が持っているスーツケースの上に、何かを載せているのではないか――白い紙袋だ――長い旅で紙袋が破れていた。その隙間から中身が覗けた。アルミ製の小鍋――ほんとうに小さく、一人前か二人前用の小鍋だった。へえ、鍋をもって外国にやってくる中国人はまだいるんだと驚いた。

昔の中国人留学生に、荷物に鍋を入れた人がいた--15年前の夫だった。(もちろん、15年前まだ夫ではなかったが。)初めてこの話を聞いた時、不思議で彼に聞いた、「何で鍋をもって日本に来たの?」「ご飯を食べるために決まってるじゃん!」彼は私の無知に顔をしかめた。それどもわからない私は懲りずに「でも、ご飯を食べるのに何で鍋を持って来なきゃいけないの?」「初めての外国だし、親戚とか友達もいないし、お金もないから、鍋でご飯を作って食べるしかないだろう。」「でも、あなたはご飯を作れるの?」私は疑い深く聞いた――結婚10年、彼の料理はチャーハンしか食べたことがなかったから。彼は迷惑そうな顔で「インスタントラーメンも持ってきたんだよ。20パックも!」 「お。」私はやっとわかった。

日本に来たばかりの時、よく先輩の夫の同級生にこう言われた、「あなたは幸せすぎるのよ。私たちは日本に来た時、どんな苦労をしたのはわからないでしょう。日本の物価が高いから、日用品はなるべく中国からもって来たかったの。ちょうど冬だったし、ポケットがいっぱいついているコートを着て、歯磨きだの、石鹸だの、ポケットは破れそうになるまで入れたのよ。」「へえ?」私は不思議に思えて笑った。いいや、反省した。

夫が日本に来て5年経った後に、私はやっと日本にやってきた。彼は万全な準備をしてくれた。(当時彼の能力限りだが。)だから、夫や先輩や先輩の先輩のような貧しさ、惨めさと辛さを一度も経験したことがなかった。私は自分が一番おしゃれだと思った洋服を着、優雅なスーツケースをもち、気楽に登場したのだ。
 
しかし、私も私なりの小鍋時代があった。

最初の頃、日本語がまったくわからなかったので、学校を出たら話す相手は一人もいなかった。初めて一人で電車に乗った時、緊張のあまり、席があっても座れなかった。ドアの隣にずっと立っていて、必死に駅の看板を探しても乗り越ししてしまった時。

食堂の自動販売機の前で、わかるような、わからないような料理の表示に戸惑っていたところ、後ろを振り向いたら、長い列ができていることに驚いて、慌ててボタンを押したら、訳のわからない食券を手にしてしまった時。

初めてバイトの面接に行き、結構いい感じだと思ったところ、家に戻ったら、極めて丁寧だが、断りの留守電を聞いて腑に落ちなかった時。

初めてレストランの厨房に立ち、水に浸されている汚れたお皿に手を出す時、家のわずかなお皿を洗う時でさえ、ゴム手袋をすることを思い出した時。

人は、誰もが苦く顧みたくない小鍋の時代があるもののだろう。マラソンのスタートラインに立ち、終わりのないレースを走り続ける。疲れ果てた時、小鍋でインスタントラーメンを作り、黙々と食べながら、目標達成する時のご馳走を夢見る時があるかもしれない。走り続ければ、いつの日か目標に近づく日はきっと来ると、私は信じている。

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