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『三字経』という中国最古の児童向けの啓蒙教材があります。
幼児・児童の道徳や教養を育むための教科書として影響力が最も大きいと言われています。
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試しに娘に読み聞かせたら、漢詩より楽に覚えられるようで、楽しそうに読んでくれます。
「三字」という文字通りに、三文字で1区切りになり、
リズムに乗って楽しく覚えられそうです。
長年啓蒙教育に使われているにはやはり子供向きだと感心しています。
ただし、幼児にとって単純に音の記憶になるから、
道徳を育てられるかとちょっと疑問を持ちます。
というか、読み聞かせる私のほうが道徳教育されているような気がします。(笑)
しかも、教えるほうの私は先に覚えなければいけないので、
少しずつですが、親子で完走をめざしたいと思います。
(ピンイン練習の教材として教室でも使おうかなと思っています。)
以下は一応覚えられたところです。
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三字経
訓読・通釈・注=加藤敏
人之初 人(ひと)の初(はじ)め
性本善 性(せい)本(もと)善(ぜん)
性相近 性(せい)相(あひ)近(ちか)し
習相遠 習(なら)ひ相(あひ)遠(とほ)し
【通釈】人が生をうけたそのはじめ、人の性はもともと善である。本性は相似かよっているものの、習慣によって遠く隔たってしまう。
【注】○性本善=本性はもともと善である。『孟子』告子上に「人性の善なるや、猶ほ水の下きに就くがごときなり。人に善ならざるもの有ること無く、水に下らざるもの有ること無し。」とある。○性相近、習相遠=『論語』陽貨に「子曰く、性相近きなり、習ひ相遠きなり。」とあるのに基づく。
苟不教 苟(いやし)くも教(をし)へずんば
性乃遷 性(せい)乃(すなは)ち遷(うつ)る
教之道 教(をし)への道(みち)は
貴以専 専(もっぱ)を以(もっ)て貴(たふと)ぶ
【通釈】もし教え導かなければ、善なる性も変わってしまう。教えの道は、専一にすることを貴ぶのである。
昔孟母 昔(むかし)孟母(もうぼ)
択鄰処 鄰(となり)を択(えら)びて処(を)り
子不学 子(こ)学(まな)ばざれば
断機杼 機杼(きちょ)を断(た)つ
【通釈】昔孟子の母は、学舎の隣りを選んで住み、子供が学ぶのを怠ると、機(はた)の杼を壊したという。
【注】○昔孟母、択鄰処=孟子の母親が、孟子のために住居を三度移したという、孟母三遷の教えを言う。はじめ家が墓に近かったので孟子は幼いころ葬式のまねをして遊んでいた。そこで、市場の近くに引っ越すと、今度は商売のまねをするようになってしまった。今度は学校のそばに引っ越すと、孟子は祭礼や礼儀のまねをしてするようになった。そこで、やっと住居を定めたという。○子不学、断機杼=学問を途中で廃してはならないという断機の戒め。孟母断機。孟子が学問を怠って家に帰ってくると、機織りをしていた母親が、織っていた織物を断ち切って、「学問を中途でやめるのは、私が織りかけの織物を断ち切るようなものだ。」ときつく戒めたという。ここでは、「杼(ひ)」を壊したことになっている。
竇燕山 竇燕山(とうえんざん)
有義方 義方(ぎほう)有(あ)り
教五子 五子(ごし)を教(をし)へ
名倶揚 名(な)倶(とも)に揚(あ)ぐ
【通釈】竇燕山は正道を持し、五人の子を教え、子供らは倶に名を挙げた。
【注】○竇燕山=竇禹鈞。五代末の人。○義方=守るべき正しい規範。子弟教育の正道。○教五子、名倶揚=竇禹鈞には五人の子(儀、儼、侃、称、僖)があり、父親の厳格な教育によって、のちに相次いで科挙に合格して大いに名をあげ、「竇氏五龍」と称された。
養不教 養(やしな)ひて教(をし)へざるは
父之過 父(ちち)の過(あやま)ちなり
教不厳 教(をし)へて厳(げん)ならざるは
師之惰 師(し)の惰(おこたり)なり
【通釈】養うのみで厳しく教えないのは、父親の過ちである。教えながら厳格でないのは、教師の怠りである。
子不学 子(こ)として学(まな)ばざるは
非所宜 宜(よろ)しき所(ところ)に非(あら)ず
幼不学 幼(よう)にして学(まな)ばざれば
老何為 老(お)いて何(なに)をか為(な)さん
【通釈】子供であって学ばないのは、よろしいことではない。幼くして学ばなければ、老いて何ができようか。
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このファイルは、『漢文教室』189号(大修館書店)にて紹介した、『三字経』本文に、通釈と注を付したものです。 |
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『三字経』本文の著作権は消滅していますが、通釈・注の著作権は加藤敏先生にあります。原則として引用・転載は自由ですが、その際には、大修館書店ホームページ「漢字文化資料館」よりの転載であること、訓読・通釈・注は加藤敏先生のものであることを明記してください。 |