苗苗老師的心言苗語

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☆  秋天来了

2005-09-30 16:52:18 | ☆ 心言苗語 ☆ (Diary)
秋天來了.

最愛的秋天.

夏日裡用遮陽傘duo3避了一季的陽光,
在秋天裡,
可親可愛.

和陽光擁抱一下,
原來----也非常不.

走在陽光裡,
感覚秋天,
感覚自己,
清爽,通透,明,舒心.

當風,
揚起長髮,
拂過衣襟.




☆ おばさん指数(日本語)

2005-09-25 20:34:11 | ☆ 苗苗の日本語Essay
「欧巴桑指数」中国語により翻訳
「東方時報」
2005年8月9日

 午後、美容室に行ってきた。美容室を出ようとしたところ、店長に後ろから声をかけられた。ちょっと話したいことがあるという。きっとやめる話だと思った。9年間もこの美容室に通い続けていたから、美容師さんにこういう形でお別れを告げられるのは初めてではない。しかし、今回店長が私に告げたのは--なんと美容室を閉店することだ!しかも、今月いっぱいで閉店するそうだ!

 ショックと言ったらオーバーだけど、寂しい気持ちだ。また、これからどの美容室に行けばいいかと困惑するところもある。

 家の近くに美容室が実にたくさんある。しかし、この美容室に一番気に入った。なぜかというと、この美容室はほんとうにお客さんを大切にしているから。中国語の表現に言い換えれば、お客さんを神様扱いしていることだ。神様になるつもりがなくても、丁寧なサービスに慣れてしまうと、ほかの美容室に行ったら、サービスがちゃんとしてないとか、マナーが正しくないと思ってしまう。だから、9年間、ほかの美容室に行ってみたりするという「浮気」を何回も試したけど、やはりこの美容室への「愛情」を見捨てることができなかった。

 この美容室の一番気に入ったところというと、シャンプーのことだ。シャンプー台は椅子の前の鏡の下に設置されているから、シャンプーする時、美容師さんがお客さんの座っている椅子の方向を回転して、倒せる。お客さんが動かずに済む!ほかの美容室なら、シャンプーの場所とカットの場所とは大体離れているため、シャンプーをした後、タオルを巻いている頭でダラダラとカットの場所に戻らなければならない。その時の自分の様子が可笑しくて嫌に思う。

 それに、3、4時間もかかる縮毛矯正パーマの場合、薬を効かせる間、この美容室は高級喫茶店のように、丁寧に「お飲み物は紅茶にしますか、コーヒーにしますか」と聞きに来る。綺麗なティーカップに淹れて、ワゴン車で持ってきてくれるーーもちろん無料サービスだ。

 でも、すべてが終わりだ。ため息。

 どこかで見た話だけど、サービスの細かいところにこだわるのはおばさん指数の高い象徴だそうだ。もしほんとうなら、私のおばさん指数はきっと高いだろう。

 まあ、高くてもいい。素敵なおばさんでいればいいよね。

☆ おばさん指数(中国語)

2005-09-25 20:07:21 | ☆ 苗苗の中国語Essay(新聞掲載済)
「欧巴桑指数」
「東方時報」
2005年8月9日

  下午去了美容院。出門的時候,店長匆匆追了出來,説有事相告。一定是他要辭職了----我想。做了9年老主顧,被美容師以這種方式告別, 已經不是第一次了。只是,店長告訴我的,卻是----美容院要關門大吉了,就到本月為止・・・・・・

  説晴天霹靂當然誇張,不過,還是感覺小小的困擾----那我以後要去哪家美容院呀!

  附近美容院奇多,唯對這家美容院情有獨鍾。因為這家美容院真把顧客當上帝對待的。雖然沒有當上帝的本意,但享受習慣以後,再去別的美容院,總覺得別人服務粗糙,禮儀不對。所以,9年來,雖然試著移情別戀了好幾次。咳,終難逃這家美容院的情網。

  再説,附近只有這家美容院的設計風格是洗頭和剪髮一體式的。就是説,洗頭的瓷水槽是設在美容椅的前方,鏡子的下面。洗頭時,他們會把椅子轉個方向,客人只要舒舒服服地躺下就可以啦。話説別家美容院,洗頭完就得頂著濕漉漉的腦袋----包著毛巾,sha3兮兮地走回剪頭的座位,邊走邊覺得自己真像個白痴。

 如果是費時3、4個小時的離子燙。 等藥水生效的時候,唉,他們還會像喫茶店的服務生一樣,殷勤地問你喝咖啡還是紅茶,盛在精緻的咖啡杯里,用小推車推過來----當然是免費的。

  倶往矣,還是別提了。

  據説,是否斤斤計較服務細節意味著歐巴桑指數的高低----那我的指數一定不低。嘿嘿,高就高,做個「素敵」的歐巴桑就好了。


☆ おばさんになりたくない!(日本語)

2005-09-23 17:57:55 | ☆ 苗苗の日本語Essay
原文:中国語「怕老」
1998年8月に書いたものですが、
「アモイ(厦門)日報」に投稿し、
発表したのは2005年1月でした。


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                  おばさんになりたくない(「怕老」)
                                   
 まだ「おばさんになりたくない」と言っている女性を笑っていたら、いつの間に、自分も「おばさんになりたくないなあ」と言い始めた。

 25歳の誕生日を過ぎてから、すぐ「おばさん」の部類に入れさせられた。「可愛い女の子」とはもう無関係のようになってしまった。若い子は安いアクセサリをあちこち身につけても似合うが、今の自分には買う勇気や気持ちさえもなくなった。16、17歳の子はどんなことでも笑う。箸を落としたことでも爆笑できるのは不思議だと思ってきた。

 どんどん若者と自分の間にギャップを感じてきた。しかし、若さがほしい気持ちが一日一日と強くなった。前はクリームさえ使わなかった顔が今では重点保護対象になった。真夏日の紫外線はわたしの天敵だと思う。顔のしわが増えないために、「おばさん」だと笑われても「紫外線カット」の日傘をさして、一生懸命に紫外線と戦う。だんだん香水も好きになってきた、女性的な魅力を身に付けたらいいなと思いはじめた。薬屋の化粧品カウンターにも興味をもつようになったが、鏡を見る回数はどんどん減ってきた。

 写真を撮る時、「近くで撮らないでください」と必ず言う。「きれいね」と言われてもそんなにうれしくないが、もし誰かに「年より若く見えるよ」と言われたら、顔には出さないが、実は嬉しくてたまらない。

 ある日、バイト先で日本人の先輩に聞かれた。「一人で日本にいるのは大変でしょう?」、わたしは大人しく答えた、「一人ではないです、夫と一緒です。もう結婚しています。」と、その人はとてもびっくりして、「うそ、まだ高校生だと思ったのに、ほんとうに結婚しているの?」と聞いた。嬉しくて、嬉しくてこのことを何回も夫に言った。その人はいい人に違いないと思った。

 年末になると、新しい一年がまた来て、そして30歳にもっと近づくと思ったら、悲しくなってくる。一人でぶつぶつ愚痴を言っていたら、夫は聞き飽きて、「こう思えばいいじゃない?あなたが30歳になったら、あなたの大親友Dさんも36歳、一番仲のいい妹も27歳になるでしょう。みんながあなたと一緒に年とるから、心配しなくていいよ」とわたしに言った。なるほどと納得した。もしわたしがおばさんになっても、親友や親戚や家族などの愛している人たちもわたしと一緒におばさん、おじさんになる。その時、多分みんなもう定年になっている。暇な時一緒に旅行したり、カラオケに行ったり、互いの家に遊びに行ったりして、昔話をして、あるいは公園のベンチに座って、孫の自慢話をするなどは楽しいのではないか。

 しかし、洋服を買う時は、思わず可愛い洋服に手を出してしまう。そして、いつも隣にいる夫に「おい、あれは高校生向きだよ」と言われて、仕方なくやめた。

 ところが、ある日、友達の家に遊びに行った。ドアを開けたら、そこに立っているわたしより何歳も年上の彼女が着ている洋服は、なんと夫に「高校生向き」だと言われて買えなかった洋服だった。私はにっこりと笑った、ああ、もう一人おばさんになりたくない人がここにいた。

☆ おばさんになりたくない (中国語)

2005-09-22 20:48:58 | ☆ 苗苗の中国語Essay(新聞掲載済)
  怕老
「廈門日報」(アモイ日報)
2005年1月13日 

備考:(1998年に書いたものですが…日本語に翻訳しておりますので、ご興味のある方はカテゴリー「苗苗の日本語Essay」をご参照ください。

  曾幾何時,還在嘲笑那些怕老的女人,眨眼間自己也加入這條女人必經之路.

  25歳的生日一過,立刻被實實在在地打入女人行列.天真浪漫活潑可愛的少女時代愈離愈遠. 開始對十六、七歳的小女生一天到晩笑個不停感到百思不解,對於小女生的豪言壯語暗自嗤之於鼻.

  以前連護膚霜也不涂的臉,現在成了重點保護對象. 炎炎夏日,陽光成了最令我害怕的天敵.為了防止臉皮變成樹皮,寧願被噱為“阿婆”,也要撐那把防紫外線的小洋傘. 開始喜歡塗點兒香水----為添女人味.到處尋找“有效”的眼部化妝品,與漸漸在眼角安家落戸的紋紋線線們做點兒抵抗,也為自己找點兒心裡安慰. 照相時直叮囑: “不要近鏡頭哦,免得皺紋照的一清二楚.”

  最喜歡聽的話不再是: “今天好漂亮哦.” 倒是被人猜小了一兩歳便沾沾自喜. 有回,打工処的前輩關心我: “一個人在日本生活很辛苦吧?” 老老實實地答道: “我不是一個人,我先生也在日本.”前輩嚇了一跳: “騙人,你已經結婚了?? 我還以為你是高中生呢.”當下欣喜若狂, 私下認定此人為大好人無疑. 併將此事對先生囉唆了不下十次.

  年底時想著,新年將至,離30歳又進了一歩,心裡極不甘願. 自哀自憐lao1叨個沒完沒了. 先生煩得不行,便對我説: “行了,行了,你想想,你30歳時,你的好朋友華都已經36歳了.老是自詡年輕的小妹也27歳了.那麼多人陪你老,怕什麼?”頓時芳心大慰,是啊,就算我老了,至親好友陪我一塊兒老,幾十年以後,咱們這群雞皮鶴髮的老先生老太太們,一起在公園里曬太陽,聊聊東家長西家短,孫子乖媳婦吵,不也快哉?

  只是去買衣服時,情不自禁地手就向那些可愛型的衣物伸去.往往被身邊的先生大喝一聲: “喂, 那是高中生穿的!”一把拖將開去才罷休.

  豈料,一日去好友家做客.門一開,年長幾歳的她身上穿的正是----我想買而沒有買成的“高中生穿的裙子”.禁不住莞爾----又一個怕老不服老的女人.