旅芸い者放浪記

前沢政次 ブログ

総合内科医養成に向けた取り組み(北海道)

2011-08-26 23:35:12 | 学会活動

来る10月30日(日)に北大交流会館で第1回北海道地域医療教育研究会を開催することにしました。

午前中は臨床研修における地域医療研修を取り上げ、午後は北海道が取り組む総合内科医養成プログラムを取り上げたいと考えています。

本日、道庁を訪ね、担当者と意見交換してきました。

内科学会総合内科専門医に近いネーミングをしたのは、北海道医師会への遠慮があったようです。医師会は家庭医に反対してきたからというのがその理由です。

家庭医では入院医療、救急医療を担うことに適切でないというイメージもあったようです。

総合医群養成としておくのが、一番適切だったのではと改めて思いました。まあ、担当者も2年程度で交代するので、議論が十分だったのかどうか、ぼくも委員会ではネーミング批判をしたのですが、一度決めたことは変えないようでした。

現在23病院が指定を受けています。実際に研修医を有しているのは11病院で半数に達していません。予算のバラマキという批判もあります。病院と書きましたが、唯一室蘭市の本輪西ファミリークリニックのみ診療所です。

何とか国民・道民の血税を使う制度に魂を入れていかなければ批判に応えられないでしょう。


「脇役」たちがつないだ震災医療ーケアとキュアを再考する

2011-08-25 23:09:21 | 読書

紹介した本の3冊目です。本の名は上記の左部分。副題は前沢が付けました。右と左は反対に表現した方が良かったかもしれません。

辰濃哲郎&医薬経済編集部著です。出版社は医薬経済社。

一般の方々にとって医療は医師が主役と考えています。今回の災害はケガの方が少なく、命を落とされたか、生き延びられたかでした。

命ある方々も病気は生活習慣病など比較的軽症でした。重度の病気を抱えた方々は過酷な環境の中で命が脅かされました。

そうしたなかで大活躍されたのが、医療機関の事務職員、看護師、薬剤師、医薬品の卸担当者などのふだんは脇役に徹した方々でした。長期間丁寧に取材をされて医療の本質が何であるかを示してくださった辰濃さんの奮闘に感謝を込めて、この本を取り上げました。

在宅医療のMLでケアとキュアを比較したメールをよく読みますが、医療の本質はケアです。キュアはその一部に過ぎません。多くの医師がはき違えているために医療の質が低下してしまっているのです。

プライマリ-ケアの立場からすれば、医療の中心はセルフケアということになります。当然医療の主役は患者さん、あるいは地域住民自身です。

 

 


介護支援専門員研修改善事業

2011-08-24 23:45:03 | 地域協働

表記の第1回研修向上委員会が開催されました。実務は日本介護支援専門員協会が担当します。

委員長になりましたので、責任重大です。

今年度は専門研修についてガイドラインを作成することになりました。

ただ、現在の研修は制度論80%、ケア論20%でほとんどが講義形式、一部演習ということですから、大幅に内容を変えていく必要があります。

まずは受講者のニーズがきちんと把握されてない状況にあります。個人の研修記録はあるのでしょうかね?

ケアマネジャーが現在しているアセスメントは情報収集に終始しているようです。なかなか分析から判断、サービスの活用と進んでいかない。

最近は圧倒的大多数が介護福祉士となってきたのに、専門研修では医療の部分が、認知症の部分も含めて選択制になっている。困った状況です。

改善の余地が多くあるのですから、良い研究にしていきたいと思います。

しかし、対人サービスの研修の大部分が座学ということはおかしいなと思います。日本に指導者が数的にもある程度確保できたら、小地域内OJTにしていくことが強く求められています。


社会的苦しみ

2011-08-23 22:48:23 | 読書

2冊目の本は日本語訳本の名称が『他者の苦しみへの責任 ソーシャル・サファリングを知る』です。

クラインマン、ファーマー、ロックら、複数の著者による現代人への警告の書です。著者の多くが医療人類学の専門家です。


クラインマン夫妻は遠隔地にある人々の苦しみの映像がグローバル化するとき、精神的疲労、共感の枯渇、政治的絶望を生み出すこと、米国ではケアする言葉が能率とコストの言葉にとって替わられていること、病気になることが重大な精神的問題でなくなり、たんに物理的に不如意な状態に陥るだけになっていると述べています。

ファーマーは貧困層女性の苦痛と構造的暴力問題を通して、苦しみの実態を見極め、優先順位をつけること、資源の有効利用などを行うトリアージの重要性を力説します。


ロックは医療テクノロジーが身体のコントロールと修復を中心としてきて、社会的要因が苦しみや悩みの原因であることを無視してきたこと、日本が北米同様、基本的に非宗教的社会であり、合理的・科学的思考を重んじる国であることを指摘しています。医学が人体を「生命のある死体」とみなし、「生命の有限性」が医療化され、病院に押し込めてきたという言葉は重いですね。

現代社会は医学の進歩とともに、医療が人類に幸をもたらすことよりも、自己充足のために別の方向にむかっている。恐ろしいことです。


児童虐待はなぜ起こる?

2011-08-22 21:00:15 | 読書

北海道新聞日曜日には「現代読書ナビ」という欄があります。

ここ4年くらい医療・福祉分野を担当してきました。担当は4か月に1回くらいです。

8月21日に掲載された号には、3冊の本を取り上げました。

1冊目が石川結貴『誰か助けて 止まらない児童虐待』(リーダーズノート新書)です。

虐待の本はたくさん出ているのですが、ほとんど読んでません。紹介する本のルールとして、6か月前までに出版された本という縛りがあります。すごく注目された本などもなるべく避けます。でもかなりの数の本を買って目を遠し、共感するところが多い本を選びます。目からうろこの本もありますし、逆に自分の考え方を後押ししてくれる本を紹介することも少なくありません。

ぼくが伝えたかった内容は新聞をご覧いただくこととして、児童虐待がなぜ増加しているかについては字数が限られていて書けませんでしたので、少し触れてみます。

母親には幼少期の被虐待体験、複雑な成育歴、愛情体験不足などがこの本でも取り上げられています。子どもに対する認知の歪みも大きい。孤立。

子ども側のリスク要因には、乳児期、未熟児、育てにくさを持っている子どもなど。

養育環境としては、未婚を含む単身家庭、内縁者や同居人のいる家庭、子連れの再婚家庭、人間関係に問題を抱える家庭、転居を繰り返す家庭、親族や地域社会から孤立した家庭、生計者の失業や転職の繰り返しで経済不安のある家庭、など。

原因は単純ではないようです。幾層もの事情が重なっておこるものでしょう。

母性本能というものも乏しくなってきているのでしょう。もともとないという説もあります。

生命の軽視も大きいでしょう。看取りのほとんどが家族と距離のある病院内で行われる。生命の最後、生命の始まりに対する畏怖を現代人は持ちません。持つ機会が極端に少なくなったのです。感覚鈍麻です。

生命誕生のもとにあるセックスもゲーム感覚など娯楽でしかなくなっている。性の問題もその原点に戻れない現代です。精神的な暴力も吹きすさんでいて、悲しい限りです。