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俳優・勝地涼くんのこと。

『カリギュラ』人物考(4)-1(注・ネタバレしてます)

2009-04-19 02:01:21 | カリギュラ

シピオン


詩人の青年。カリギュラの年少の友。

もしカリギュラを救える人物がいたとしたら、それはシピオンだっただろう。ドリュジラ亡きあと、彼だけにその可能性があった。
カリギュラとの絆の強さをいうならばエリコンやセゾニアの方が上かもしれない。彼らはカリギュラを無条件に絶対的に愛し、カリギュラも彼らを無条件に信じ甘えていた。
しかしそれは彼らは自分に付いてきて当然という従者に対するような感情であり、対等の関係とはいえない。一方のエリコンとセゾニアもカリギュラを愛すべき子供として労わるように大事にしていて、やはり対等とはいえない。どちらもそれぞれに上から目線なのである。
カリギュラと彼らの間には愛情と信頼はあるが尊敬という感情は存在していないように思える。

カリギュラが尊敬の念を抱いているのはケレアとシピオンに対してだ。ケレアとはおそらく個人的な交誼はなかったように思うが、シピオンとは親しく友情を結んでいた。
シピオンは大分年少だし、彼の言葉からするとカリギュラがシピオンを教え導いていた感じだから完全に対等とは言い難いのだが、カリギュラが彼の人間性を尊重し、敬意を払っていたのは疑いない。
暴君と変じた後も、シピオンに対するときだけは、しばしば彼の口調は穏やかになる。カリギュラが正面から「きみ」と呼びかけるのはシピオンくらいだ。

初登場した頃のシピオンは無邪気にカリギュラへの好意を語る少年だった。彼は言う。「(カリギュラは)ぼくに優しくしてくれました。励ましてくれました」。
このあとカリギュラの人柄がうかがえるような言行についても語るのだが、彼を好きな理由として真っ先に、相手の人間性ではなくて「自分に良くしてくれた」ことをあげているのだ。
人情として自然なことかもしれないが、この発言に彼の子供っぽさ、愛するよりまず愛されたいと願う性格が表れているように思える。
この、愛情に包まれそれを当たり前のようにしてきた少年の世界を一変させたのが敬愛するカリギュラの変貌と彼によってもたらされた父の死だった。

このシピオンの父の処刑は純粋に「でまかせに作ったリストに従」った結果なのか、それとも「シピオンの父親だから」処刑したのか。後者だとすればシピオンとの交誼を断ち切るためやった、ということになるだろう。
第二幕第五場で、カリギュラはレピデュスに「昔々、誰にも愛してもらえない可哀想な皇帝がおりました。皇帝は、レピデュスを愛していました。自分の心からこの愛を取り去るために、彼はレピデュスの末っ子を殺しました」と話しかけるが、この前後でカリギュラとレピデュスが特に仲が良かったという描写がないので、これは暗にシピオンを意識して語っていると思われる。
彼を傷つけ自分に幻滅させることで距離を取る。裏を返せばこんな強行手段で遠ざけねばならないほどに彼はシピオンを愛していたのだ(※1)。

同時にそこには近親者の理不尽な死という、自分と同じ苦痛をシピオンにも味わわせることで、自分の苦しみを理解してほしいという心理も働いていただろう。
純粋であるほどに絶望はその魂を黒く染め上げる。カリギュラがそうであったように。その結果三年後のシピオンはカリギュラへの憎しみを隠そうともせず、暗く心を閉ざしてしまっているように見える。

しかし彼は変わらず詩を書いている。変わらず自然を愛し、その自然が父親を殺された心の傷を治してくれたとさえ言う。
もちろん傷が完全に消えていないからこそ彼はカリギュラを憎んでいるのだが、彼はローマの自然によって、自然に対する変わらぬ愛によって、心の慰めを見出すことが出来たのだ。これはカリギュラが持ち得なかったたぐいの強さである。
カリギュラがドリュジラを失ったときの絶望からそれまで愛していたものを否定して非情の論理に走ったのとは対照的に、シピオンは神に代わりカリギュラが不条理を振りまいている現在の世界でもなお愛を語り、その善なる純粋さを保っている。

(つづく)

※1-横川久「カミュの『カリギュラ』を読む-シピオンの父親殺し-」(『藝文研究』XXVI、京都大学フランス語学フランス文学研究会、1995年)。「この「哀れな皇帝の物語」も、カリギュラの内的真実を物語るものではないかと推測することができる。(中略)要するに、カリギュラはシピオンに対する愛情を断念するために、その父親を殺すことによって詩人の憎悪を買い、愛情を成立する可能性を自ら潰そうとしたのだと、この物語を解読できるだろう。」

 


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