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俳優・勝地涼くんのこと。

『カリギュラ』人物考(3)-2(注・ネタバレしてます)

2009-04-11 01:05:56 | カリギュラ

もう一人彼女の嫉妬の対象となっているのがドリュジラだ。
「あの人が(ドリュジラを)愛していたのは、ほんとよ。つらいわね、きのうまで抱きしめていた人が、今日は死んでいくのを見るって」という口調はどこか素っ気無い。
この時セゾニアはカリギュラの失踪そのもの以上に、カリギュラがドリュジラの死にこうもショックを受けている、そこまで彼女を愛していた事実の方により傷ついているように見える。
「そりゃ、あなたはドリュジラを愛していた、でもわたしやほかの女を愛しながらだったわ。」という、カリギュラのドリュジラに対する愛情を低く見積もろうとする表現にも、ドリュジラへの嫉妬心がありありと感じ取れる。

自身の肉体だけが神だった(「神だった」とセゾニアはすでに過去形で語る)セゾニアにとって、年を取りその肉体が衰えることは非常な恐怖であろう。
彼女のカリギュラへの対し方はエリコンとよく似ているが、彼女がカリギュラの側近くに仕えていられるのは、その肉体の魅力による部分が大きいだろう点で異なっている。
史実のセゾニア(カエソニア)はカリギュラの正妻(四度目の妻)だった(※1)(※2)が、戯曲『カリギュラ』の彼女は正式の妻ではなく情婦という設定になっているのも、女としての魅力を失えば地位を失いかねない不安定さを彼女に与えている。

しかしそのために皇帝の機嫌を取ろうと彼女は「冷酷で非情な女に」なったわけではない。あくまでもカリギュラを愛し彼の心を守りたい気持ちがそうさせたのだ。
思えばカリギュラはずいぶんひどい男ではある。ローマ全体に振るった暴政とは別の次元で、女に対して、少なくともセゾニアに対しては実に、ひどい。
ドリュジラ死後の「変心」にともなってそうなったのか、それとも元からそうなのか(たぶん後者)、「おまえはなぜここにいるんだろう」「あなたの気に入っているからよ」「ちがう」という会話など実ににべもない。
「肉の快楽は鋭く、心の悦びはなかった」も愛していないと言っているに等しい。カリギュラは彼女に要求するばかりで自分からは優しい言葉一つ与えない。

しかし「ほっといてくれ、セゾニア」と突き放したそばから「そばにいてくれ」と弱々しく懇願するようなその子供っぽい身勝手さには、何とも母性本能を刺激する危なっかしい魅力がある。
セゾニアはカリギュラに何も要求しない。「あなたが愛してくれなくても、そんなことはもうどうでもいいの」。
この我が儘で気まぐれな暴君を、彼女は子供にでも対するように、無制限の愛情をもって愛したのである。カリギュラを甘やかす彼女やエリコンのやり方が彼の暴虐の被害をより拡大したのかもしれないが―。

そんなカリギュラが唯一セゾニアに優しさを見せるのが第四幕第十三場である。
この時彼は「本当の苦しみは、苦悩もまた永続しない、という事実に気づくことだ」「何一つ永続しない!」と語る。
「人はもう死ぬことはなく、幸福になる」世界、不変を求めるカリギュラにとって、物事が移ろい衰えてゆくのは耐え難いことである。苦悩も愛もそして若さも。
なかでもはっきりと目に見てとれる若さ、肉体の衰えはとりわけ憎むべきものだったろう。
カリギュラは言う。「ひとりの人間を愛する、それは一緒に年を取っていくのを受け入れること。おれはこの愛ができない。年老いたドリュジラは、死んだドリュジラよりも悪い」。上で引いた「肉の快楽は鋭く、心の悦びはなかった」もセゾニアの価値は肉体にのみあると言っているようでもある。

セゾニアは自分でも繰り返し口にするように若さを失いつつある。カリギュラも彼女がそれを気に病んでると知りつつ、年老いた女は愛せないときっぱり言い切る。
最大級のひどい発言だが、それに続けて「一種の恥ずかしい優しさを、心ならずも覚えてしまう。」と語る。
それは彼女が老いて醜くなる前に彼女を殺してやろうという温情、恥ずかしいというよりすさまじい優しさである。
しかしセゾニアは「嬉しいわ、あなたが言ってくれたこと」とカリギュラの殺意さえも受け入れてしまう。自身の肉体を唯一神と呼んだ彼女は、若さと美しさに見放されつつある今、まだしもそれらを留めているうちに死んでゆくことを無意識に―あるいは意識的に―願っていたのだろうか。

だとすれば恋しい男の腕の中で、その男の激情を受け止めて息絶えることは、彼女にとっては最高の死に方だったにちがいない。それは病で(戯曲中でははっきり死因は書かれていないが状況からして急病による死だろう)亡くなったドリュジラ―セゾニアの嫉妬心を刺激し続けたドリュジラが得られなかった死に場所である。
しかもカリギュラは彼女を絞め殺しながら初めて「愛しいセゾニア!」と彼女への愛を口にしている。最後の最後でドリュジラに勝利した、セゾニアはそんな満足感を抱いて死に赴いたのかもしれない。

 


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