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about him

俳優・勝地涼くんのこと。

『六番目の小夜子』(3)(注・ネタバレしてます)

2007-05-04 00:48:50 | 他作品

玲はドラマのオリジナルキャラですが、関根秋も本人の性格と果たす役割こそ原作とさほど違わないものの、バックボーンの部分はかなり異なっています。
すなわち「両親が離婚」「心臓病で一年留年」、この二つの結果として「名字の違う(父親に引き取られた)弟と同学年」の三点。

原作の秋は高校生ですがドラマでは中学生。
高校生としてさえ大人びた秋のパーソナリティの説明として親の離婚、病気、留年といった苦労を背負わせ(物語の最初の方で、秋がユキに学校では「兄ちゃん」と呼ばないよう苛立たしげに言う場面がありますが、同学年に弟がいることで自然と周りの目が「留年」と「親の離婚」に向いてしまうことに強いプレッシャーを感じているのがわかります)、さらに周囲より年上ということで自然に皆が彼を立て話を拝聴するようなスタイルを違和感なく成立させた。

そして弟・由紀夫との関係。
原作では同年の親友であるユキをなぜ弟設定に変えたのかは不明ですが、想像するならユキを弟=目下に持っていくことで、秋のユキに対するさまざまなコンプレックスをより強める効果を期待したのかも。
メインキャストの一人でありながら、作品の根幹である「サヨコ」をめぐる騒ぎにユキは直接にはほとんど関わっていない(クラスも違うし)。
彼の存在意義はもっぱら関根秋のキャラクターに陰影を加えることにあるように思えます。

運動が得意(バスケ部)で明るく単純明快な、心身とも健康そのものの弟。
二人がとっくみ合いをする場面がありますが、本気でやりあったら兄より背も高くアウトドア派のユキの方がおそらくは強い。
基本的に「陽」であるユキの存在が秋の「陰」を強調する役割を果たしている。
秋はユキに対しても、玲に対すると同様の眩しさや羨望を持っていたと思います。

同時に心臓病のゆえに自分の方が母に引き取られたことに対する罪悪感もあったはず。
「父の新生活に張りを与えるため」などという理由で父の側にやられたユキは、父が相変わらずふらふらしてるために一人で食事を取ることが多かったり、しょっちゅう母の花屋を手伝ってたりしている。
そんな家庭での孤独、離れて暮らす母への思慕を想像させる言動に触れるたび、秋は密かに心を痛めていたに違いない。

そしてユキの方も兄が自分に抱いている感情をおよそ察知していたのでしょう。
彼も基本的には「明るく単純明快」ではあっても「陽」一色の平面的なキャラ設定ではない(この作品にそんなキャラは存在しない)。
秋ほど小難しく思いつめるタイプではないものの、理由はどうあれ母が兄の方を「選んだ」ことへのわだかまりや、「選ばれなかった」辛さを知るからこそ自分が父を見捨てて母のもとへは行けないという思いが、秋と違って論理的に整理されることのないままに心の中に積もっていたのでは。

ユキが母方に引き取られるかどうかという問題が持ち上がって以降、自称「野生児」のユキの表情にも複雑な翳りがちらつくようになりますが、ユキの、というより勝地涼の魅力は、ユキ本来の「陽」の部分よりこうした「陽中の陰」の部分に多く表れていたように思います。
勝地くん本人は明るくやんちゃな少年だったようですが、俳優としての資質は当時はむしろ「陰」の方を向いていた(今は「陽」と「陰」のどちらもハマる)。
彼の持ち味はほぼ同時に撮影していた(『六小夜』が若干早い)『永遠の仔』の被虐待児童役の方でより良く発揮されたと言えるでしょう。 

話は変わりますが、お母さんと暮らしているのは秋の方なのに、お母さんが経営する花屋を手伝うのがいつもユキなのは、勝地くん自身のお母さんがお花屋さんなのに由来してるんじゃないでしょうか。
主要キャストは皆若いだけに演技の経験が浅く、とくに勝地くんはこれがほとんど初演技だったそう。
少しでも本人に近い役の方が演じやすいだろう、とスタッフが配慮した可能性はあるのでは。

そういえば、ユキはお母さんと一緒の場面は多い一方で、一緒に暮らしてるはずのお父さん(古尾谷雅人さん)とは一緒のシーンが一ヶ所もない。
ひょっとすると『永遠の仔』でも古尾谷さんと共演していて、そちらでは一種敵対する役柄だったので、勝地くんが混乱しないように、ということだったのかも。


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