東海道 翁・媼ののんびりウオーク
楽歩会
1.楽歩会という歩き仲間がいる。私、川崎の翁と横浜の翁
横浜の媼(おうな)二人、4人が東海道を歩くことにした。
日本橋から西に向かって、何時までに?・どこまで?を
決めずに、のんびり歩く「東海道中膝栗毛の現代版」を
実践する。
2.第一回
①6月15日(土)
②お江戸日本橋から浜松町まで
お江戸日本橋 昔の面影は無い
③コース
日本橋→高島屋→銀座通り→三越→松坂屋→
新しい汐留(シオサイト・カレッタ汐留等)→浜離宮庭園→
旧芝離宮恩賜庭園→浜松町駅
日本国道路元標
日本の道路の起点、明治政府が設置
東海道・中仙道・甲州街道・奥州街道・日光街道の起点
④浜離宮恩賜庭園
海水を引き入れた潮入の池と、二つの鴨場を伝え、江戸時代には、
江戸城の「出城」として機能を果たしていた徳川将軍家の庭園です。
今日は、庭園の中の「花木園・あずまや」で「山野安珠美さん」の
琴の演奏が聴けた。
山野さんと翁・媼
⑤旧芝離宮恩賜庭園
小石川後楽園とともに、今に残る最も古い大名庭園のひとつです。
典型的な「回遊式泉水庭園」で、池を中心にした地割と石割は秀逸です。
幕末に紀州徳川家の芝御屋敷となり、明治に有栖川家のものとなる。
旧芝離宮庭園恩賜公園で 翁・媼
3.第二回
①8月18日(土)
②浜松町駅から青物横丁駅まで
③コース
芝増上寺→東京タワー→高輪大木戸跡→泉岳寺→品川宿本陣跡
芝増上寺 門前
④増上寺
明徳4年(1393)聖聡上人によって開基。家康の手厚い保護あり。
徳川家の菩提寺、2代・6代・7代・9代・12代・14代将軍の墓所あり。
東京タワーからの眺め 増上寺
⑤泉岳寺
慶長17年(1612)、江戸城近くに創建、寛永の大火で焼失、浅野家他
5大名の協力で現在地に移された。浅野家との縁はこの時から始まる。
浅野長矩と大石良雄・義士の墓がある。
大石良雄 銅像
⑥品川
江戸時代の品川は東海道第一の宿場として、また江戸四宿のひとつ
として重要な役割を果たす。2Km余りの街並みに旅籠屋・水茶屋を
中心に店が立ち並び、活気を見せた。「北」の吉原・「南」の品川
観光案内所も設置
4.三回目
①9月15日(土)
②青物横丁から川崎駅
③コース
青物横丁駅→品川水族館→平和島競艇→六郷の渡し跡→
多摩川→川崎駅
秋祭り 山車を背景に
品川寺
④しながわ水族館
トンネル水槽・シャークホールで鮫と遭遇・ダイナミックなイルカショウー
しながわ水族館 水槽
5.四回目
①10月20日
②川崎駅から横浜駅
③コース
川崎駅→芭蕉句碑→熊野神社→鶴見川→生麦事件碑→
キリン横浜ビアビレッジ→横浜駅
いさご 秋祭り
八丁畷 駅前を歩く
鶴見川大橋
④キリン横浜ビアビレッジ キリンビール横浜工場
ビールの歴史から、美味しいビールの製法を見学
見学後は試飲を楽しむ
食事はパブブルワリーで、できたてのビールを堪能
⑤生麦事件碑
1862年ここ生麦村で薩摩藩島津久光の行列に遭遇した
イギリス人4人が無礼のかどで切られた。薩英戦争の原因となる
生麦事件之跡
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