多摩ニュータウン開発前の多摩丘陵にもう一度行ってみたいものだ。
せめて模型で、とジオラマ作りに挑戦してみた。
が、頭で思い描くようにはなかなか作れないものだ。
結局、樹木でぼろを隠して、画面のトリミングでごまかした。
モデルにした元の写真は『写真集落合の移り変わり』(落合地区ニュータウン協力者親睦会 平成5年12月発行)の「上落合バス停付近 昭和55年」p.249です。元の写真は白黒ですが、こいのぼりが写っているので、山の緑は5月の新緑の感じにし、水田は水をはる前の草地のような色にしてみました。
道路、建物の位置、地形は、『多摩市の町名』(多摩市都市整備部都市計画課 平成元年)に載っていた1/10000の地図を拡大してベースに使いました。
一応、縮尺は1/625なのですが、建物の高さはおそらくもっと強調されています。特にこいのぼりはかなり巨大です。(まあ、こうして画像にしてしまえば、縮尺はあまり重要ではありませんけれど)
その他に、ビデオ『変貌する多摩 村から市へ』(企画多摩市教育委員会 制作東京シネビデオ(株))(上落合のバス停も含めて、開発前の落合・唐木田の風景がところどころ記録されています。おそらくパルテノン多摩の歴史ミュージアムで上映しているビデオ映像と同じものだと思います)や『落合名所図絵』(峰岸松三 多摩書店 平成元年)などを参考にしました。
<現在の上落合バス停(画面中央付近)付近を東側から>
『落合名所図絵』によると上落合のバス停は、昭和33年にできたようです。バス停は今も「上落合」という名前で、開発前とだいたい同じところにあります。当時のバス停や民家はもちろんもうありませんが、元写真の風景が100%なくなってしまったかというとそうでもなく、東側の丘陵から見てみると、バス停背後の丘陵の上の方がわずかに残っています。(現在、散策路「からきだの道」が通っている部分です。もっとも丘陵の上部は昭和55年時点ですでにゴルフ場になっています。)
ニュータウン開発前と現在の地形図をみくらべてみると、模型の中でこいのぼりがあがっている民家の奥の丘陵は、上の現在の写真の位置では右から2番目の集合住宅の後ろあたりのようです。「からきだの道」をたどると谷地形が残っているのがわかります。
<現在の上落合のバス停と「からきだの道」に残る谷地形>
せめて模型で、とジオラマ作りに挑戦してみた。
が、頭で思い描くようにはなかなか作れないものだ。
結局、樹木でぼろを隠して、画面のトリミングでごまかした。
モデルにした元の写真は『写真集落合の移り変わり』(落合地区ニュータウン協力者親睦会 平成5年12月発行)の「上落合バス停付近 昭和55年」p.249です。元の写真は白黒ですが、こいのぼりが写っているので、山の緑は5月の新緑の感じにし、水田は水をはる前の草地のような色にしてみました。
道路、建物の位置、地形は、『多摩市の町名』(多摩市都市整備部都市計画課 平成元年)に載っていた1/10000の地図を拡大してベースに使いました。
一応、縮尺は1/625なのですが、建物の高さはおそらくもっと強調されています。特にこいのぼりはかなり巨大です。(まあ、こうして画像にしてしまえば、縮尺はあまり重要ではありませんけれど)
その他に、ビデオ『変貌する多摩 村から市へ』(企画多摩市教育委員会 制作東京シネビデオ(株))(上落合のバス停も含めて、開発前の落合・唐木田の風景がところどころ記録されています。おそらくパルテノン多摩の歴史ミュージアムで上映しているビデオ映像と同じものだと思います)や『落合名所図絵』(峰岸松三 多摩書店 平成元年)などを参考にしました。
<現在の上落合バス停(画面中央付近)付近を東側から>
『落合名所図絵』によると上落合のバス停は、昭和33年にできたようです。バス停は今も「上落合」という名前で、開発前とだいたい同じところにあります。当時のバス停や民家はもちろんもうありませんが、元写真の風景が100%なくなってしまったかというとそうでもなく、東側の丘陵から見てみると、バス停背後の丘陵の上の方がわずかに残っています。(現在、散策路「からきだの道」が通っている部分です。もっとも丘陵の上部は昭和55年時点ですでにゴルフ場になっています。)
ニュータウン開発前と現在の地形図をみくらべてみると、模型の中でこいのぼりがあがっている民家の奥の丘陵は、上の現在の写真の位置では右から2番目の集合住宅の後ろあたりのようです。「からきだの道」をたどると谷地形が残っているのがわかります。
<現在の上落合のバス停と「からきだの道」に残る谷地形>
落合村の事を調べていたところ、こちらのブログにたどり着きました。
『写真集 落合の移り変わり』という本はどちらでご購入されたのでしょうか?
突然不躾な質問で申し訳ありません。
お教えいただけたら幸いです。
『写真集 目でみる多摩の一世紀』は多摩、町田の写真が少ないので、というかニュータウン開発前の多摩丘陵の写真は「ボンネットバス」の1枚だけですので、あまり大きな期待はなさらないでください。
そのうち、ニュータウン開発前の多摩丘陵の写真を載せている書籍リストを作ってみたいと思っています。
「昭和20年代の南多摩の地図」貴重ですね。期待しております。
愛宕って落合あたりですよね。ボンネットバスの
シーンは気が付きませんでした。
『写真集 目でみる多摩の一世紀』は是非見てみたいです。
武蔵名勝図会も一部ネットで見られましたが、
昔の風景の写真など多摩ミュージアムでみられるとは楽しみです。
ちょっと最近まで見られた景色なんですよね。
あまりにも開発スピードが早過ぎた。
当時デジカメがあればなあ、自分なりに
記録できたのに、、、等思ってしまいます。
棚から引張り出した昭和20年代の南多摩の
地図や国土アーカイブなど見て少し曖昧な記憶
を呼び戻しております。
まだら記憶でご迷惑かもわかりませんが
あのあたりの情景など思い出したら
また投稿させていただきます。
先日「平成狸合戦ぽんぽこ」を見ました。
大和証券の裏手が出てくると教えていただいたシーンですが、
私にはわかりませんでした。
たぬきが車に轢かれて、清掃の人に片付けられるシーンあたりだったのですかね。
そのかわりというわけではありませんが、
あるシーンの下敷きに使われたなと思える写真をみつけました。
そのシーンは、たぬきたちが最後に、開発前の風景を幻出させる一連の場面の中で、
ボンネットバスが茅葺き民家の前を通る数秒のカットです。
このシーンのネタに使われたと思われる写真は、
『写真集 目でみる多摩の一世紀』(多摩百年史研究会 けやき出版 平成5年発行)の
57ページにある「村内を走るボンネットバス」と思われます。
この写真には
「現在、民家の後ろは愛宕団地になっている。昭和33年6月多摩市」
とキャプションがついています。
両者を見比べてみるとまったく同じではありませんが、
この写真がベースになっていることはまちがいないと
私は思っております。
ここで並べてお見せできないのが残念ですが。
影取り池について武蔵名勝図絵には「小山田境の谷間にあったが、今は水が涸れている」以外のことは書いてありませんでした。
私は、見たことがありません。
この週末にでも、ご指摘のシーンを見てみたいと思います。(楽しみです)
六部塚、影取り池
伝承については「落合名所図絵」「多摩市の町名」で知るのみですが、影取り池については「多摩市の町名」に
武蔵名勝には「小山田境の谷間にあったが、今は水が涸れている」とある。現在の大妻学院付近と思われるが、面影はまったくない。
と載っていますね。
こちらも週末に図書館で「武蔵名勝図会」を見てみたいです。
平成タヌキのポンポコの最後あたりのシーン
開発の多摩市から未開の小山田にタヌキが移動
するとこ、あのロケーションは大和証券の裏ですよ。
トムの畑のところ。残土置き場や地蔵様とかでてきましたよ。
思い込みでないとしたら。
そっくりでした。
小山田には子供の頃から縁がありましたが、伝説はわかりませんでした。
最近六部塚とか影取り池とか知りました。
地元の人の話では六部塚は旧都道155線の入り口のあたり、池は大妻の西あたりに開発前まであったそうです。
池は暗くて深い谷間にあったそうです。
こればかりは国土交通アーカイブでも確認できませんでした〔笑い〕
バスで相模原まで行った事ありました。唐木田始発の神奈中です。
唐木田から先、民家もないのに林道沿いに十字路とか通信所前など停留所があったような。
トトロのバス停よりも人気がなったとおもいます。
非常にあやふやで不確かな記憶ですが。
このあたりの伝説とか昔話もっと知りたいです。
月になんどか小山田は行くのですが、
多摩市の開発はすごいですね。
大妻となりの残土置き場は立派な大型ビルができそうです。
ただ155線など道路関係は多摩市止まりですね。
いかにも「となりのトトロ」にでてきそうな
たたずまいですよね。
>昔はどんな場所だったかって、
>知りたくなります
尾根幹線の南側の
小野路や小山田あたり、
よくぞ残ってくれたものだ
とすら思ってしまいます。
良かったです。
多摩ニュータウンが開発される前の風景を
実際に見たことがありません。
生まれた時には、すでに、開発が始まっていましたから。
まだ、その頃は発展途上ということで
なんだか、眩しかったです。
今では
これが当たり前になってしまいましたが。
ジオラマで昔の風景を復元してみようなんて、
思いもしませんでした。
唐木田には、伝説や沼があって
昔はどんな場所だったかって、
知りたくなります。
ふと思うのですが、
唐木田は、「となりのトトロ」の
モデル地じゃないかな~って。
「落合名所図絵」を見ると、
このあたり、「禁断の地」「底なし穴」「かくれ穴」「迷い道」など不思議な名前の場所がいくつかあって、私の頭の中ではワンダーランドのようになっています。
「落合名所図絵」の絵がいっそう郷愁と空想をかき立ててくれます。
私も自転車小僧でした。40年以上前なんていうと
年齢がばれますが。
小学校高学年から中学校くらいまでかな。
自宅は都内なので川崎街道から多摩丘陵、相模湖
奥多摩とよくいきました。
旧由木村あたりの中心地なんかその頃古い校舎などありなかなも雰囲気ありました。
多摩が好きだったんでしょうね。
落合 中組 唐木田 その先の小山までは砂利道で
ほんと田舎道でした。
ビーコンのあたり少し昔の道ありますね。
長池など名前も知らなかったけど、なにやら深そうで近寄りがたいおもいでがありますが、今になって
思うとどこを下ってあの池にでたか、忘れてしまいました。
すごい山のなかで大きなアンテナの近くだけおぼえてます。
免許をとった40年代は時々唐木田あたり山を削り
はじめ怪獣映画のロケにはぴったりの景色でしたね。
いまでも小山田あたりすきです。
kampeitaさんの掲示板でごあいさつしてましたですね。
NT開発前の
私のお気に入りのサイクリングコースは
「日野の程久保の谷戸を上り
多摩テックの横を通って
八王子の堀之内に下り
蓮正寺の谷戸を上って
長池のあたりで今の尾根幹線付近に出て
そこから唐木田・中組の谷を現在の多摩センター方面に下る」
コースでした。
唐木田・中組の道筋で私の記憶に残ってるのは、
遺跡調査のプレハブ小屋があったこと、
小川の上に、プラスチック板のようなものを渡した
歩道があったこと、
といったしょうもないことだけです。
結構狭い道だったので車道を走ると
後ろから来る車がこわかったような・・・
あと、
長坂の地蔵はかすかに覚えているかな
唐木田地区の開発が始まったのが昭和58年のようですので
25年以上前のことですね。
落合の昔なつかしいです。
鎌倉街道の出合から乞田川沿いに唐木田までローカルな田舎道のところどころに集落がありました。
40年以上も前ですが。
乞田川も今は深く掘られてますが、あのころは浅く道すれすれに綺麗な水が流れてたと思います。
小川でした。
細い乞田川に小橋がかかり民家の庭があり、、って
感じだったんではという当時のあやふやな記憶があります。