身辺
教育者の立場に立つ人
つまり
家庭では親
学校では教師は
何よりもまず
明確な教育意識を持たなければなりません。
それを持たずに漫然とその立場にいるほど ・・・ 罪なことはありません。
では 教育意識とは何でしょうね。
教育者が
自ら描き好む人間像に
後進の青少年を合致させようとする意識のことでしょうか。
あるいは
客観的存在として描かれた人間像に
近付けようとする念願のことでしょうか。
・・・ 否 ・ 否 ・ 否 です。
教育意識と正当に呼ばれるべきは
そのように描かれたものへの合致を夢みることではなく
対象が
その本来保有する可能性を発するための手助けをしてやろう
というのが ・・・ 正当な教育意識だと思います。
もう少し具体的に言いますと
監督 命令や おどしとペテンによって
親や教師の描く ・・・ 型にはめようとする仕事ではない
と 声を大にして言いたいのです。
今日 多くの大人のもっている教育意識は
概ねそのようなものではないでしょうか。
そんな教育意識ならば持たぬ方がましだ
と 声を大にして言いたいのです。
家庭では
教育意識をなるべく捨てて
・・・ 家庭生活の健全化を心がけるべきだと思います。
むやみにあせって
効果をあげようとするより
・・・ 家庭生活の中での健全さを
ジックリと求めて行った方がよいと思います。