負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

感謝無限 ・・・ 平々凡々たる毎日

2013-11-16 22:30:18 | 原発震災避難者


遠足

・・・ 「 大遠足 」 は 雪にうずまるその時期に再びアップすることとして ・・・


平々凡々たる毎日がつまらなくて

「 なにか変わったことはないか ? 」

「 オモシロイことはないか ? 」

などと言ったり 空想したりする人がいます。


しかし ここで考えなおしてみれば

平穏無事であることほどありがたいことはありません。


その価値がわからなくて オモシロイことのみ求めるのは

・・・ 感謝知らずというものでしょうね。


日々の衣食住にこと欠かないだけでも

感謝無限というべきほどに ・・・ ありがたい現実なのです。







本末転倒 ・・・ 心とすがた

2013-11-16 20:15:58 | 原発震災避難者


遠足

・・・ 「 大遠足 」 は 雪にうずまるその時期に再びアップすることとして ・・・




形こそ深山 ( みやま ) がくれの朽木 ( くちき ) なれ

心は花になさばなりなむ     ( 兼芸法師 )


古今和歌集に出ている歌で

詞書 ( ことばがき ) に

「 女どもの見て笑いければよめる 」 とあります。


・・・ 私の姿こそは

深山の奥に隠れている朽木のように 見るかげもなく醜いものだが

ご婦人がた そんなにお笑いめさるな。

心は花のように美しくしようと思えば

できないことはないでしょうからネ ・・・ 。



人は とかく他人を表面的な姿 形で評価しようとします。

大切なのは ・・・ 中味である精神面なのに

そのほうはよく見ようとはせず

また 読みとる眼力もとぼしいものです。


自分自身に関しても

表面的なものだけを飾り

内面の修養ということを怠りがちになります。



いつの時代においても 人とはそういうものでしょうが

物質主義 拝金主義の今の世において

そういう性向は ・・・ 極まった感がありますね。








いまの政・財界は小物ばかり ・・・

2013-11-16 18:30:22 | 原発震災避難者


大遠足



「 命もいらず 名もいらず 官位も金もいらぬ人は

始末にこまるものなり。

この始末にこまる人ならでは

艱難をともにして 国家の大業はなしえられぬなり 」 とは

大西郷遺訓のなかの有名な一節ですが ・・・


西郷隆盛においては これは観念論ではなくて

かれ自身がほんとうに

そのような始末こまる人であったらしいのです。



こういう始末にこまる大物が たとえ数人でも

いまの政 ・ 財界にいてくれたら ・・・ と思ってみることがあります。


だが 考えなおしてみると

そういう人が ・・・ もし いたとしても

いまの世の時勢に合わず

野 ( や ) にかくれて 黙っているしかないのかもしれません。


世の仕組みが

そういう人物を表に押しだすようにはなっていないのでしょうね ?

だとしたら

時勢そのものが情けない ・・・ ということにもなりますよ ね。







最高のパワースポット ・・・ 身近に

2013-11-16 15:30:34 | 原発震災避難者


大遠足



橘曙覧 ( たちばなあけみ ) は

幕末の越前 ( 福井 ) に生まれた国学者であり

歌人としても優れていた人です。


この人に 『 独楽吟 ( どくらくぎん ) 五十二首 』

という作があります。

すべて 「 たのしみは・・・ 」 で始まり

「 ・・・のとき 」 と結んでいます。


自分日常生活のなかから

楽しいことを探し出しては歌にしたわけですが

これを見ると 人生の楽しみ ( 癒し )というものは

日常の平凡な なんでもないことのなかにこそあることがわかります。


まさに 最高の 「 パワースポット 」 は

身近な日常生活 家庭のなかにこそあると思います。

パワースポットを求めて遠方に出かけることが

むしろ ・・・ 愚かしいとさえ思えてきますね。







牛のように ・・・ 小智忙々 大愚閑々

2013-11-16 11:54:54 | 原発震災避難者


大遠足



じつにもって あわただしい世の中です。

こういう世に もまれながら生きていますと

自分の心もまた あわただしくなり

なんとなく 「 先を急ぐ 」 気持にかりたてられます。


忙しいことはしかたありません。

ただ 体や頭をいかに忙しく使っていても

心までがさわがしくなってはいけません。

心は つねにユッタリ 冷静水のごとしでなくてはなりますまい。


「 小智忙々 大愚閑々 」 といいます。

どうでもいいような枝葉末節のことに気や神経をつかうから

心が ・・・ さわがしくなります。

バカになって 小さなことを切り捨ててしまえば

心は ・・・ 悠々閑々としてきます。


世の中の人たちが 奔馬のように走りまわっていても

自分は 牛のようにヨダレを

・・・ ヨダレは垂らさんほうがよろしいが

とにかく 牛のようにゆっくり ノッシノッシと歩いていきましょう。


大切なのは 歩みの速さではなくて ・・・ 怠らないことだと思います。



怠らずゆかば千里の外も見ん

牛の歩みのよし遅くとも


俗に 「 運 ・ 鈍 ・ 根 」 といいますが

そのうちの鈍と根を ・・・ 牛に象徴させています。

牛のように遅歩でいい 根気と忍耐力さえあるなら

いつか運の加勢もある ・・・ ということでしょうね。







ワガママ ・・・ ワガおマンマ

2013-11-16 09:30:38 | 原発震災避難者


大遠足



三度たく飯さえこわし柔らかし

思うままにならぬ世のなか


ごはんのことを おマンマといいます。

それで 「 飯 」 をうけて 「 まま 」 としゃれたわけで

ワガママのとおる世のなかではないゾ ・・・ と教えた歌です。


自動炊飯器という便利なものができてから

ごはんたきの手間ははぶけたかわり

ごはんの味は ・・・ じつにまずくて 単調なものになりました。


あれは何といっても昔ふうに

鉄の釜をもちい 薪やワラを燃やしてたくのが

いちばんおいしいようです。


炊飯器のない時代には

水かげんや火かげんがなかなかむずかしい。

「 はじめチョロチョロ なかパッパ ・・・ 」 などと

火かげんのコツを教える言葉が普及していたほどです。


毎日たいていても かたすぎたり やわらかすぎたり

なかなか ・・・ 思うようにはゆきません。


日々のごはんたきでさえ このとおりです。

思うがままに世を生きようなんて ・・・ とんでもない心得ちがいであるゾ

そんな ・・・ お説教をしているわけでしょうね。







花の命は短くて ・・・ 朝顔

2013-11-16 06:37:26 | 原発震災避難者


大遠足



朝咲いて昼に散るともわが務め


桜の花は 咲いてから散るまでの期間が短いので

「 はかない 」 ことや 「 いさぎよい 」 ことの象徴のようにみられていますが

それでも 朝顔にくらべたら まだまだ 「 長生き 」 のほうです。


朝顔は 朝咲いて昼にはもうしおれてしまいます。

「 花の命は短くて ・・・ 」 といいますが

おそらくもっとも命の短い花でしょうね。

虫の世界でいえば カゲロウといったところでしょうか。


だが 朝顔は

「 すぐしおれてしまうぐらいなら

咲いたってつまらない 咲くのはやめよう 」

などと ・・・ ダダをこねたりしません。

数時間の間とはいえ

美しく咲いて 人の眼をよろこばせるというその務めを

・・・ よろこんで果たすのです。


巨視的視野からみれば

人の一生だって まことに短い はかないもので

朝顔のそれと本質的な差のあるものではありません。


これを 「 はかない 」 と嘆けば はたらくことが

・・・ イヤになってきます。

そこで 朝顔を見習いたまえ というわけです。


人生の長さなんぞ ・・・ どうでもいい。

とにかく 生きているあいだは

それぞれの務めを果たさねばなりません。


世のため 人のため いや だれよりも自分自身のために

美しく咲きたいものです。

これは ・・・ 神からの至上命令であるような気がします。


やるべきことをやりとげたら

安らかな大往生 ・・・ キレイに散ることができるはずです。