負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

親心 ・・・ 人の道にそむく

2013-11-15 23:00:18 | 原発震災避難者


大遠足



江戸時代に加藤枝直 ( えなお ) という歌人があり

二人の子のために いろいろと教訓の歌を遺しています。

そのひとつ ・・・


愚かさの親に似よとは思はねど

教えおかるる子の行方かな


・・・ こんな至らぬ親に似てほしいと思うわけではないが

やはり親心として 子の将来を考えると

自分なりに教えられることは教えておきたい。

そういう気持にかりたてられる ・・・


謙虚さと かつ 子を思う親の愛および責任感と

ともにゆたかにあふれていて まことにいい歌ですね。

親たるもの みなこんな心で 子に対するべきではないでしょうか。


当節は 親の自信喪失の時代だそうで ・・・

「 愚かさの親に似よとは思わないから

教えることはあまりしないでおく 」 という人が少なくないそうな。


こういうのは ・・・ 謙虚ではありません。

・・・ 卑怯 怠慢というものです。

・・・ 人の道にそむくことです。







テング ・・・ オレが オレが

2013-11-15 21:00:30 | 原発震災避難者


大遠足



人間は とかく我のつよい生きもので

「 オレが オレが 」という気持にとりつかれやすいものです。


優越欲という妙な欲から 多くの人は脱しえていないものです。

その欲がすこしでも満たされると

・・・ テングになって 自慢を口にしたがります。

このちっぽけなオレを誇るのです。


「 井のなかのカワズ 大海を知らず 」 というとおり

こういう人は例外なく

せまい世界で自他をくらべ ちょっとばかり自分がまさっているというので

・・・ テングになっているにすぎません。


ほんとうに力量のある人は

広大な世界を知っているので とても高慢にはなれません。

・・・ 謙虚たらざるをえないのです。


・・・・・ 。







恩着せがましい

2013-11-15 18:00:42 | 原発震災避難者


大遠足



イソップ物語に こういう話があります。


狼が ノドに骨を立てた。

鶴にたのんで その長いクチバシで抜きとってもらった。

「 なぜ礼を言わんか 」 と鶴が要求すると

「 かみ殺されなかったことをアリガタイと思え 」


どちらも 「 恩を着せ 」 ているわけですが

この寓話にことよせて 人間にもおなじような手合いがいるゾ

・・・ と警告したのでしょうね。


恩着せがましいことをよく言う人がいます。

自分が人にしてやったことを さかんに強調するのです。

こう人にかぎって

自分が人から受けている恩には まったく鈍感です。

不感症といいたいほどです。 ・・・ 自己中心の身勝手というものです。



助けあいの世のなかです。

人と人はたがいに恩をかけあう関係にあります。

ならば 自分がしていることはさておき

人から受けている恩に ・・・ まず感じる。

・・・ その深さを知る。

これが 無私ということで

みながそうあってはじめて 人の世の和は保たれるはずです。


ゆえに 次のような歌が詠まれたのでしょうね。


世のなかに人の恩をば恩として

わがする恩を恩と思ふな



エゴイズムがまかり通る世では

「 献身 」 ということが 自己犠牲と錯覚されやすいです。


しかし

人の世の本質をよく把握するならば

「 献身 」 こそが 自己を生かすことであるはずです。


「 よきように使ってください 」 と自分を世に放りだすから

自分というものが生かされるのでしょう。



人をのみ渡し渡しておのが身は

岸に上がらぬ渡し守かな



自分のことより 人のことを考える。

そういう行いのできる人に 恩を着せる心はまったくなく

事実においては ・・・ 人に多くの恩を施しているのです。







祈るヒマがあるなら ・・・

2013-11-15 15:00:43 | 原発震災避難者


大遠足



生活の安定やら商売繁盛などを 神仏に祈る人がいます。


祈りはけっこうだけれど

それが欲心からのものであるなら

・・・ 汚いだけのものでしかありません。

神やホトケが聞いてくださるはずはありますまい。



福の神祈る間 ( ま ) あらばはたらいて

貧乏神を追い出だせかし


祈るヒマがあるなら ・・・ はたらけ

そのほうが結果はよろしいゾ ・・・ と言っています。



暁の社 ( やしろ ) に欲を祈るより

酒を楽しみそしてはたらけ


労働が本能であるなら

欲心からの神社詣でなど ・・・ 無用のことであるはず。

そういう人は

酒を飲むというような本能をも 適当に発散させて楽しむ。

人生 要は楽しまなくてはならない。

労働こそは ・・・ その楽しみの中核であるべし。


そう ・・・ 教えているのでしょうね。







汚れに染まる ・・・ 気概

2013-11-15 12:00:51 | 原発震災避難者


大遠足



エゴイズムの充満した ・・・ まことに汚い世のなかです。


どんな仕事につこうと なんらかのムジュンや不潔はさけられません。

自分もまた多少なりと それらに染まらないわけにはゆきません。

ああ イヤだ と潔癖に考えつめたら

遁世 ( とんせい ) でもするしかテがなくなりそうですね。


遁世してみたとて 衣食住の資は要ります。

それらは 他人の労働によってつくられたものです。

ならば 遁世こそ ・・・ エゴの極というものです。


自分もまた汚れた世ではたらくことを 厭うことはゆるされません。

多少ぐらい その汚れに染まることを おそれてはならないのです。


自分だけは汚れたくないというのは ・・・ 小我の倫理です。



世のために田に出てにごる清水かな


田んぼの水をみてください。

もとは清冽な岩清水でありました。

それがあえて田に流れでて 泥ににごっているのです。

世のために 米をつくるために

みずから汚れることをいとわないのです。

むしろ よろこんで 田に出てにごっているのです。


・・・ 大我の倫理とは そういうものなのです。


「 田に出てにごる 」 には

人のいやがる仕事を求めてする という含みもあると考えられます。


世のためになることなら 何だって よろこんでする

・・・ そういう気概をたたえた句であろうと思います。







銭金 ( ゼニカネ ) ・・・ 腕 ( ウデ )

2013-11-15 09:00:07 | 原発震災避難者


大遠足



月雪も花も紅葉も銭金も

わが身にあるぞ働いてとれ


落語などに描かれる江戸っ子の職人たちは

「 宵越しのゼニはもたねェ 」 などと言って

金銭への執着がまったくありません。

人が心配すると 「 ナーニ ゼニはここに入ってら 」 といって

右腕の力コブのあたりをポンと叩きます。

職人としてのウデに自信があるのです。

・・・ そのウデを使えばゼニになる という意味ですね。


だが それとても

人のためにいい仕事をするから つまり生業に勉めるからこそ

ゼニが入ってくるわけで ・・・

利己の心や なまけ心でやるのでは ・・・ ゼニは入っても 少ないですよ。



江戸っ子の職人にはかぎらないのです。

人間みな 事情は同じことです。

「 銭金わが身にある 」から はたらきさえすれば生活はできます。


経済的に安定すれば 月雪花など 風流を楽しむ心の余裕もでき

  ・・・人間らしい生き方もできようといものです。



それにつけても ・・・ ウデですよ ウデ。








宝の手

2013-11-15 05:22:36 | 原発震災避難者


大遠足



動物は 「 動く 」 だけですが 人間は 「 働く 」 ことをします。


その労働は 動物にはない 「 手 」 でなされます。

頭脳労働 肉体労働 どちらであれ

「 手 」 をつかわないでできる仕事はありません。


手をつかうことの量

すなわち 人の一生の労働量ということでしょう。



なきものを仕出す宝の手をもちて

ただおく人ぞ愚かなりける


「 なきものを仕出す 」 とは

「 無から有を創りだす 」 といったような意味です。


それのできる手とは 神秘とも 宝といえるものですが

その尊い手をもちながら 「 手をこまぬいて 」 何もしない人とは

なんとバカな野郎ではないか。

頭でなくて 心がバカなのである。

これ以上もったいない話はない。

人にたいして 神にたいして まことに相すまぬことである ・・・。


「 宝の手 」 という表現をよく味わい

自分の手を ・・・ ジッと眺めたいと思います。