少しづつ、アオリイカが釣れだしている。
今年は、朝間づめではなく、夕間づめがいい、と旦那は言っていた。
埼玉の後藤さん一派が最後にアオリイカを釣って帰った。
しかも大きいのばかりである。
この連休にやってきたお客さんを見ていて、人にはスイッチがあって、
スイッチが入った瞬間に動き出す、という場面があって、面白かった。
特に、普段寡黙な人が喋りだす時、どんなスイッチが入ったのかとても興味深い。
旦那は「原発はいやだ」と言うのは、議論の余地がない、という。
後藤さんは「原発の話は議論が成立しない」と言う。
その話は、初めから噛み合ない。でも、横で聞いていて面白かった。
哲学や宗教の話まで出て、いつまでもその場が続いて欲しい、と思うような面白さがあった。
突然、今回で2度目の来山の寡黙な堀内さんのスイッチが入った、と思った。
わたしには、堀内さんの話が新鮮だった。しかも、目の下瞼の所にうっすら涙がたまっているようで。
喋っている堀内さんをわたしは横からじっくり眺めていたのである。
若い頃、インドに行った事、宗教について考えたこと。集団的自衛権の話。
今回、何処から派生したのか分からないけれど、彼等の話の中で、バッハの「マタイ受難曲」が出ていた。
旦那は、以前、版画の仕事をしながら「マタイ受難曲」を聞いていた事がある。
「マタイ受難曲」の中でも、1958年に録画された名盤を誰かから聞いて購入し、愛聴していた。
堀内さんがその名盤を見たい、というので捜せとの指令。
皆が釣りに出掛けた後、管理の悪い江崎家のあちこちを探しまわった。
思い込みが邪魔する。ここには無い筈、と思っていた所にあった。
中々捜せなくて、アマゾンを検索して同じジャケットを捜したけれどもう廃盤なんだろう、なかったのである。
堀内さんに見せ損なってしまった。
カールリヒター指揮、エルンスト・ヘフリガー、フィッシャー・ディスカウ、ミュンヘンバッハ管弦楽団、
ミュンヘンバッハ合唱団、ミュンヘン少年合唱団、などなど。
わたしは「マタイ受難曲」を聴いても、スイッチは入らない。
モーツァルトの「魔笛」を子守唄代わりに、延々と聴く事がある。
統合失調症の青年からもらったカールベーム指揮のこれも名盤。
パパパパパゲーノ、とか、「魔笛」の余り深い意味の無さそうなファンタジーっぽいところが好きである。
音楽評論家がモーツァルトの事を、悲しみが疾走する、と評していた。
「マタイ受難曲」?重いじゃん、と簡単に横に追いやってしまう。
仕方ない。わたしの限界かもね。