こんにちは江崎遊子です。

ちょっと言ってもいいですか。

戦艦大和。

2013年11月30日 | 日記
 
 おばあちゃんの行水作戦が進行中。
 場所を作るのに、色々片付けなければならない。
 申し訳ないけど、おばちゃんのコレクションにも手を出した。
 わたしの判断でおばあちゃんのコレクションを間引く。
 大きな段ボール1箱分くらい減らしたかな。

 さっぱりしたなあ、と思っていた。
 でもね、なんか違う。可愛さがない。古物商の陳列棚みたいだ。
 それを旦那に言ったら、愛が無いんだよ。と言われた。

 今日、おばあちゃんは朝から動きがいい。
 椅子に坐って、テレビに映る天皇陛下と皇后さんを観ている。
 「天皇陛下は美智子さんとテニスで知り合ったのよ」
 と説明してくれる。知ってるけどね。ふーんと言っておいた。
 腰が痛いと椅子に長く座る事が無かったけど、ほんとに久々テレビを観ていた。

 もう、ベッドに横になったかな、と覗いてみたら、まだ椅子に坐っている。
 「あんた、戦艦大和をこっちに移してよ」と言う。
 はあ、戦艦大和?
 よく観ると、ホコリを被ったおじいちゃんの油絵がテレビの奥に掛かっていた。
 竹竿に提灯がずらずら掛けてあって、その奥にあったじいちゃんの油絵は殆ど見えなかったのである。
 あの、すぐに沈没してしまった戦艦大和は広島の呉辺から出航したのかな。
 もう既に、太平洋戦争の日本の命運は決まっていたに違いないけど、
 日本人はあの戦艦大和に希望をみたのかも知れない。
 広島の江田島に江崎家は住んでいたし、本物を見たのかも知れない。
 しかし、おじいちゃんの戦艦大和は暗い海にしょぼく浮かんでいた。
 
 
 どことなく華やかさや、可愛さがなくなったテレビの回りに何か感じたのか、
 それとも、おじいちゃんを感じたのか、戦艦大和はおばあちゃんの椅子の真ん前に移動した。
 おばあちゃんの命運はいかに。
 今日は元気だった。
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ヒート対サンズ

2013年11月29日 | NBA雑感

 録画しておいたヒート対サンズを観たけど面白かった。
 サンズを観ていると、ニックスが如何に変だったかよくわかる。
 ニックスの選手が動かない感じは、カーメロの素晴らしささえも、封じ込めてしまう。
 サンズは若いチームらしい。双子の選手もいた。身長が2センチ違うとか。
 ヨーロッパから来ている白人の選手などは、凄い選手が多い。
 スロベニア出身のゴーラン・ドラギッチと言う選手も素晴らしい。
 ファンタジー向きの名前である。
 動きがいいし、王者ヒートの前では力不足だけど、面白かった。
 若い選手が一生懸命やってる感じは、負けても、今後に繋がる感じがする。
 それにつけても、ニックスはどうしたことだろう。

 ヒートは余裕だね。デフェンスもオフェンスもいいからねえ。ハハ。
 第4クォーターでレイアレンがスリーポイントを3本立て続けに決め、
 ウェイドのアシストが光っていたし、最後はわがゴリラ君がフェーダウェーでだめ押し。
 ヒートにとっては理想的な試合運びだ。

 先日マイケルジョーダンの特集をWOWOWで放送していた。
 現役時代を観た事が無い、と言う息子に頼まれて録画した。
 我等はあの頃、よくブルズの試合を観ていたけれど、クーコッチの名前は覚えていたけれど、
 ホーナセックと言う選手は覚えていなかった。
 そのホーナセックがサンズのヘッドコーチだった。
 東野さんが言っていたけど、ホーナセックは連続11本のスリーポイントを沈めた記録があるとか。
 
 NBAの試合を観ていると、前列で応援している、年配のご婦人を見かける時がある。
 わたしめも、いくつになっても、バスケやスポーツに熱くなれるおばさんでいたい、と思っているのである。
 
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ネタ探し。

2013年11月29日 | 日記

 ブログを書く、と思うと書けるけれど、最も、誰にも批判されない、という事が大きいけれど
 ちょっと、ネタ切れの感あり。
 今年も、冬ごもりの季節である。
 まだ、大根も埋めてないし、白菜も収穫してない。
 今日の雪は根雪にならないでしょ、と思っている。
 
 冬の猫たちの暖房も、おばあちゃんの暖房問題とともに考えなければならない。
 去年はマイルームのテーブル炬燵に、仲良く4匹が入っていた。
 ところが、今年父親猫のアーサーが2匹の雄猫に厳しい。
 みると、アーサーだけが炬燵に入っている。
 
 冬毛になってモコモコになった。
 わたしがいない時までストーブを点けておけないし、後は何とかしろ、と思っている。
 結局何も考えてない。
 薪が豊富にあった時代は、薪ストーブが一日中点いていたので、猫も犬も温かい場所を見つけていた。
 母猫のオレコは動きが最も敏捷で、押し入れの上の布団の上が定位置だ。
 これも、近頃息子に厳しい。母猫より体の大きい息子を威嚇する。
 
 娘が置いて行ったくまのプーさんの縫いぐるみが見える。布団から綿をだしているようだ。古い布団だし、まあいいか。
 今朝、わたしの布団の中に入って来た、旦那のお気に入りコテツ。
 
 4匹で餌を食べる時、皆をみながら信望強く皆が食べ終わるのを待っているのがコテツである。
 大人な感じじゃん。コテツはどういうわけか、ドライキャトフードでも何でも、手で餌のお皿から一つづつ出して食べる。
 お陰で、畳の上がすぐ散らかる。
 キクチヨの性格が変わっている。文句が多い。人の顔を見るとニャアニャア言う。
 コテツは餌問題で、一階の居間にいる我等を呼びにくる。特に魚を焼いていると、欲しいという感じでやってくる。
 しかし、キクチヨが呼びにくる回数が一番多い。しかも、犬が苦手で、茶箪笥の上から呼ぶのである。
 ちょっと暗い顔が特徴である。悩みがあるのかねえ。淋しがりやなのかな。
 
 
 おばあちゃんの部屋にイタリア製のデロンギオイルヒーターを導入した。
 夜中に自分でポーッタブルトイレに起きるので、思い切って導入した。
 ところが、急に冷え込んで暖かくなかったのか、朝、自分で石油ストーブを点けていた。
 緊急事態になると、自分で何とかしようと動くみたいだ。
 電気毛布が足元に固まって、寒かったみたいだ。
 適温になると、安心してすーすー寝ている。94歳にもなるとよく寝るのである。

 ネタが欲しい、と言って旦那の製作中の作品を撮らせてもらった。
 ヘースブックにはアップしているらしいが、載せてみます。注文品である。
 
 女体が半分に切られている大きい花瓶わかるだろうか。
 個展の時、この花瓶に紅花をドッサリ生けた事がある。面白いですよ。恥毛も付いてます。
 ちょっと、宣伝しました。
 
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うーん、ショックかも。

2013年11月28日 | NBA雑感

 ブルズファンでなくても、ローズの怪我はショックである。
 トムティポドーHCが肩を落としてコートを去って行く姿が他人事じゃない感じだ。

 ヒートファンだけど、ヒートやスパーズを脅かすチームが沢山いないと、面白くない。
 怪我はどうしようもない。ローズが一番がっかりしているんだろうけれど、39点差だっけか
 で負けてしまうなんて、モチベーションが如何に低かったか伺える。
 ほんとに、ほんとに残念である。

 今日、ニックス、クリッパーズ戦を少し観た。
 ニックスはどうしたことだろう。
 イマンシャンパール、ギアナ高地ヘヤやめてしまったんだ。
 なんか、動きが悪いね。ヘヤスタイル考えた方がいいかも。
 カーメロが今、バスケが面白くない、と言っていたらしい。
 ネッツもニックスも下位を低迷してるみたいだ。
 クリッパーズのジャマールクロフォードもいい選手だし、怪我しなければ
 クリッパーズはいいとこに行きそうだ。選手の動きがいいのは、あのカエルヘッドコーチのお陰か。

 贅沢だけど、面白い試合が観たい。
 しかし、ペーサーズの好調が不気味である。
 ペーサーズはギアナ高地みたいんじゃなくて、大型選手揃いで、ヒマラヤ軍団て感じだ。
 一敗しかしてないんだからね。ペーサーズを脅かすチームがヒートくらいじゃ冴えないね。
 ゆっくり、試合が観たい。
 しかし、集中力が散漫になってきて、肝心な所をいつも見逃しているような気がしないでもない。
 まあいいか。
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おばあちゃんの事。

2013年11月27日 | 日記
山を歩いていると、倒れ、朽ちて、土に帰って行く木を見かける事がある。
秋の終わりの所為か、虚しい風がよぎっていく。

雑木の隙間から向こうの山が見えるようになった。

あんなに華やかで楽しかった散歩道も、冬枯れに近づいている。





おばあちゃんが、初めてこんなことを言った。
恐らく、死が初めて、リアルに見えて来たのだろう。
「私が死んだら、この人形たちはどうなるのかねえ」
「燃やしてしまうのは可哀想だから、箱に入れてとっておいたらいい」と言う。
わたしの癌騒動の時、わたしは自分の荷物を猛烈な勢いで片付け始めた。
要らないもの、がとても多いような気がしたのである。あれ以来、ものを片付けては始末している。
おばあちゃんは、死んでも尚、自分を残しておきたいのか。
死んでまでも、ものに執着する、と言う事なのかな。死後の世界をどう考えているのだろうか。
少なくとも、おばあちゃんにとってはあの人形たちが大切なものだと言う事は分かる。
それをもしかして愛と言うのだろうか。この年になっても、愛、と言うものがよく分からないでいるわたしである。
おばあちゃんのコレクションは凄い量だ。
様々な縫いぐるみが、薄汚れているものの、大切であるらしい事は伝わってくる。
でも、要らない人にとってはただのゴミになってしまう。
大芸術家が描いた絵画でも、感じなかったり、欲しいと思わなければ、ゴミになるかも知れない。  
そうしたものだと思っている。
「残しておいてどうするの?」
わたしとおばあちゃんのものに対する思いには大きな差がある。
旦那の指令で、おばあちゃんの荷物を沢山燃した。おばあちゃんの監視はかなりゆるくなっている。
でも、燃やす時に、ちょっと気持を引きずる。いい事をしているとは思いにくい。
おばあちゃんに対してと共に、ものに対していいのだろうか、という感じがする。
でも、確実におばあちゃんの部屋は片付いて、快適になった筈である。
もはや、片付ける事も捜す事もままならなくなったおばあちゃんの衣類が畳の上に散乱し、
そこに使い終わって尿の沁みた紙おむつも一緒に散らばっていた。

おばあちゃんは、そこらに転がっていた子供たちのオモチャや人形を大事そうに拾っては、
自分のコレクションに加えていた。
わたしには、そう言ったものに執着する気持が理解出来ないかも知れない。
わたしの生きた痕跡は跡形も無く消してもらって差し支えない、と思っている。
おばあちゃんは椅子に坐って、人形たちを眺め、愛おしそうにそう言うのである。
意識がしっかりしているし、簡単に死なないと思っている。
でも、おばあちゃんは以前のように顔色が良くないかも知れない。
旦那は、そろそろかもな、と言う。わたしは、いやいやまだまだ生きますよ、と言っている。

「わたしはどうなるんかね。いつ死ぬんかね」
とおばあちゃんはわたしに聞く。
「そればかりは分からないよ。死ぬまで生きるんだよ」
「そらそうだね」と笑う。
木が朽ちて行くように、自然に消滅して行くのが理想だ。
でもわたしたち人間は厄介である。動物のようにそっと、視界から消えて行く訳に行かない。
これもひとつの縁である。おばあちゃんをしっかり看取ろうと思っている。

おばあちゃんの死はわたしの死とも繋がっている。決して他人事ではないのである。

山を歩いていると、もう来春に向けて雑木たちが準備している事に気が付く。

落ち葉から沢山の栄養を吸収した土から、木々の根っこたちはその栄養を吸い上げ、でんぷんを蓄える。
冬芽はこれから冬の寒さに耐え、わたしたちに来年も頑張れ、と言っているみたいだ。
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