少し前である。
久々夫婦戦争勃発。
びっくりしたのは旦那が本気で怒っていた事。
恥ずかしいけど、何が発端だったか忘れてしまった。
私は「ふざけた男」と何度もしつこく旦那を罵倒したのはよく覚えている。
その時はふざけた男と心底思っていたのだ。
もしかして、今でも思っているかも知れない。
旦那は「一緒に暮らす意味がない」と主張。
うん?なんか変。鬱ですか?
私はそれを言わなかったけれど、旦那本人も認めているけど
発達障害だと思っている。芸術家に多いような気がする。
こう言った場合、言葉の戦争は噛み合わないし意味がない。
急にシュンとなって、お互い自分の部屋に篭った。
翌朝が問題である。普通は翌朝には普段どーり戻っていたりする。
旦那はまだ厳しいものをひきづっていた。
でも長続きはしなかった。
わたしはその喧嘩の時、自分が本当に冷たい人間に思えた。
そして何か忘れ物をしていた気がしたのである。
今日である。和田静香さんの本「時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか」
を夕方読んでいた。その本の中の言葉がピンときた。
「他者の合理性」という言葉である。
(これは、人それぞれには人生の有り様や生き方に理由があり、
それを「他者の合理性」と呼ぶ考え方だ。一見して他人からは
不合理な行為に見えたとしても、当事者にとってはそれなりの
確かな合理性や理由があり、その理由そのものを安易に理解
する事ができなくても、淡々と、冷静に、あるいは世俗的に認め
そこに合理性があるということを理解し、隣人になることができるのだという)
本当に感性も性格も嗜好も長年一緒に暮らしていてその違いに戸惑う。
呆れ返るほど違うのである。
私は先日の喧嘩で、この歳でやっと、旦那の合理性を認める事ができた気がした。
ちょっとは優しくなれるかも知れない。
でも、あまり期待しないでね。
なんでもすぐに忘れるから。