こんにちは江崎遊子です。

ちょっと言ってもいいですか。

なぜか今、都はるみ。

2024年04月24日 | テニス雑感
この所、掃除をする時、都はるみのCDを掛けてる。

なんかやる気が出るのです。
これも買いました。

アンコー便りは、、アラ見てたのね、、好きになった人、、ほー惚れちゃったんだよー、、いいねえ。
演歌の世界は、私的には妄想の世界で、しかも濃い。
本当に良い男がいるって感じ。
いつも待ってる、待ってる。
これって男性の願望に違いないって気がする。
以前、ホームセンターでアルバイトしてた時、みんなで宴会の後、
カラオケ喫茶に行ったものです。
私の上司だった花担当のリーダーの女性が必ず歌ったのが「好きなった人」で、それには、片思いの男性との思い出が入っていた。
いつも彼女の歌が可愛いと思って聴いてました。
そりゃあ、人を好きになったら瞬間的にはそんな気分はある。

別れることは死ぬよりももっと淋しいってフレーズがある。
恋愛ってのは才能がいるって、昔から思っている。
思い入れを持続出来るってことだし、ドーパミンの出方も激しいのかも。
若い頃は「浪花の恋の物語」みたいなぐっちゃぐっちゃの男女関係に憧れたものです。
しかし、私の場合人を好きになっても長持ちしない。
顔が良いと、妄想が広がり、この上なくカッコいいと思い込む。
特に若い頃は顔が良いことが条件。
そう言った場合、自分の事は棚にあげてます。
75歳になっても、男性を好きになったら、素敵だけど、
私の場合、すぐに、スウエットの上下を着て、ゴロンとテレビを見ている姿が浮かんでしまう。夢がない。
以前、旦那が俺の悪い所も全部受け入れてね、と言ったけど、
そうは行かない。
長い事一緒に暮らしていて、年を取ると、我儘になるし、辛抱が効かなくなる。
困ったもんです。
大事なのは一人になれる部屋があること。

震災で、靴を履いたまま家中を歩き回ったので、床が煤けてしまった。
この所、都はるみを聞きながら拭き掃除を続けたいと思っている。
 CDのアルバムの9番目の「北の宿から」の頃には拭き掃除は終わり、
インスタントコーヒーを飲みながら、一休みです。
そして、一緒になって大声で熱唱。
「大阪しぐれ」はこの曲を貰った時、都はるみは歌手冥利に尽きると思ったとか。これも抑え気味で難しい曲だけど一緒に歌います。
都はるみの歌は絶品です。
私もカラオケでよく歌いました。
そんな時、年配のちょっと知的なおじさんに
「あんたのこと好きだ」と言われました。私60歳でした。
いやいや、私そんなんじゃないから。 NBA好きですから。
自慢しちゃった?

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ここまではいいんだよね。

2024年04月19日 | ゆるゆる野菜作り
少し遅れたけど、果菜の種を蒔いた。
今年は立派なハウスがあるので、(去年、和樹さんのおかげで新しいハウスをゲット)頑張りたい。ここまでは良いんだよね。
野菜作りの上手な男性が二人、新天地に行ってしまった。野菜作っているのにお裾分け期待してるもんね。これじゃあいかん。
気合を入れて頑張ろう。だからってうまく行くとは限らない。
まあいいや。
路地にも種を蒔いた。
春大根は美味しくないと去年から作るのをやめたけれど、今年は作る。
お気に入りのホームセンターでは野菜の苗の入荷が例年どーり行かないみたいだ。本社が新潟だからなんだろうか、それとも道路事情か?新潟は今回の地震で石川や富山より液状化が深刻だとか。
ともあれ、在庫の種は消化した。
お天気が少しづつ変わって来てるけど、なんとかなるさ。ハハ、、、とほほ。
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お天気が続いています。

2024年04月14日 | 日記
家に戻って、4週間ほどです。
コーヒー豆が手に入らなかったり、新鮮な魚が手に入らなかったりしますが、
輪島のドラッグストアやスーパーマーケットも再開しました。
暮らしにさほど支障がありません。ですが、物価が上昇してることを実感します。
これは庶民は耐え忍ばなければなりません。
これまで、何度も輪島に出かけました。
やっと、朝市通りの焼け野原の撤去が始まっていました。
公費解体も少しづつ始まっています。
しかし、町の瓦礫はまだ放置に近い状況です。

これがなかなか慣れません。
一月の初め、総務省の消防庁、緊急消防援助隊の方達の活躍を、生で感じることができました。
我らの仲間が豆炭あんかによる一酸化炭素中毒にかかり、(長年使っていたものの今まで経験したことのないこと)恐らく機密性の高い車内で使ったためと思われたのですが、頭痛と吐き気、それに意識が朦朧となった為、金沢の身内が救急援助を依頼してくれたのです。しかし頭痛がひどく、たまたま陣痛剤を飲んだ所、症状が回復し、ホッとしていたところ、夜の道路状況が悪い中、担架を3台持って8人くらいの救急隊員さんが到着。我らのところはポットン便所であり、薪ストーブがあり、薪風呂も使えました。家に入ってきた隊員さんは部屋の暖かさにびっくりしていました。被災地は電気がなく、暖房もままならず、寒い時間を過ごしていた頃です。
余震がひどい時期であり、みんな車中泊でしたが、少しづつ、被害の少ない寺の庫裡の宿坊に寝る人もありました。
途中救急車の要請の中止を連絡したものの、うまく伝わらず、来てくれたのです。
一応具合の悪くなった3人を診察してくれ、「また何かあったら言ってください」と丁寧に対応してくれ帰って行ったのでした。申し訳ないと思いましたが、その動きの迅速さにとても安堵させてもらったのです。
震災直後は、夜には毎晩救急車の走る音が聞こえていました。
誰かが助けられたか亡くなったか。と思いました。
のべ59000人の動員は東北大震災に次ぐ人数だったようです。
息子の家から時々戻っていましたが、車で走っていると、九州から北海道に至るまでの県外ナンバーの救急車に何度も出会いました。
その度に「ご苦労様です」と車の中から謝意を聞こえないと思いつつ言いました。
先日、テレビで消防隊員の入社式(?)を目にしましたが、こういう人たちがいざという時に活躍してくれるのかと、感慨深く眺めました。
携帯会社のこういう車もよく目にしました。
仮設住宅も少しづつ出来ています。
まだまだ7000には程遠いけれど、街が動き始めるのは嬉しい事です。
時々、体がふわーんと浮くような感じがします。
戻らない人もいるでしょう。
寂しいけれど仕方ありません。元気であればいいです。
自分のこと始めましょう。病院も、スーパーも美容院も始まっています。
日本中、世界中、油断できませんよ。
備えあれば憂いなし、そうありたいです。
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ジャガイモなんとか植える。

2024年04月12日 | ゆるゆる野菜作り
まだ片付けは済んではいない。
でも、2月に津幡のホームセンターでジャガイモの種芋は買っていたので
植えなければと思っていた。
去年のノートを見ると、4月1日に植えていた。
すでに12日である。
まだ村の誰も植えていない。
色々考えてはいた。籾殻を巻いて耕運しようと。
今朝、ノートを眺めていて、植えちゃえ、と思った。
男爵3キロ、
キタアカリ3キロ
メークイン3キロである。

畑に穴を掘って耕運しないで植えた。最近は丸ごと植えている。
芽が出て芽かきをしてから、耕運し、追肥と土寄せをすればいい。
いつだって、そこそこの出来なので、まあいいかって感じ。
だから上達しないのかも。
朝10時ごろ出て、午後2時半に終了。
来週雨が降ったら、畝を立てよう。
今年は4月3日の玉ねぎの追肥が初仕事でした。
車で輪島まで走ると、お家の被害が少ないところでは畑仕事をしている人を目にする。
元気に生き残った訳で、前に進むしかないよね。沢山できたら分けたらいいね。
それ目標です。
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うちの猫ちゃん達

2024年03月31日 | 日記
私たちが息子の家に避難してからほぼ2ヶ月間、寺のみんなが餌やりをしてくれ、元気にしていた。とても有難いことでした。
2匹でいることも大きかったかも。
普段からこんな感じで、仲のいい時もある。

けれど、時々喧嘩をするし、基本1匹づつという事もある。
一月の寒い中、停電中だったので、こたつ布団を二重にしておいた。
布団を覗くと2匹でいた。

キミ達よく頑張ったね。
帰ってからはべったりしてます。
ちょっと過保護です。まあいいか、と思ってます。
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