自分で悪いことをしている意識がない子供時代、よく始末書を書かされた。
しかも、親にまで書かせてしまったのに、なんで始末書だったのか覚えていない。
多分、悪いことをしたと言う思いが希薄だったと思いたい。
親もさして気にしてないようだった。
悪いことって魅力的なのだ。
ジャン=リュック・ゴダールの映画「男と女のいる舗道」のポスターで娼婦であるアンナカリーナが男の肩越しにタバコを吸っている。
それに憧れてタバコを吸い始めた私である。どうでもいい話だった?
それに憧れてタバコを吸い始めた私である。どうでもいい話だった?
悪いことはしては駄目なんて、分かっていても、そうしたいのだ。
子供達を見ていても、親は駄目駄目だめと言いながら育ててしまうけど、
ダメと言われるほど面白くてなおやるという事になる。
小さい頃にいい子にならなくてもいい環境で育つのは幸せだと思う。
型にはめないで欲しいし、悪ガキをさせてあげて欲しい。
それでも、親という壁はある。
大人になると、ほぼ自分が子供だった頃を忘れている。
いつまでも子供でいられればいいけど、そうは行かなくなる。
子供のままでいるという事は、エネルギーが沢山要る。
たまにそういう大人もいるけれど、多くはエネルギーがもたない。
大人の視点で子供に規制を加えることは至極当たり前って気がする。
いい壁でありたいけど、それは子供達の感性に任せるしかない。
自分がどういう親だったか、なんて子供にしか分からない。
ただ、親としては、自分でものを考え、想像力を育て、(スポーツにしても何にしても想像力は欠かせない)生き抜く力をつけていって欲しい。
今では、いつの間にか、「大丈夫?」と気を遣われる立場になっている。
やれやれ。