今日は朝から大掃除と決め込んでいたけれど、
旦那から、支払いの送金依頼がメールされて来た。
仕方ない、午前中に輪島に出向いた。
これですっきり。後は掃除です。
家は水が出なかったこともあって、4日程掃除しないで放ってあった。
さて、と思って玄関を開け放ち、ゴミを掃き出していた。
そしたら、布教というのか、聖書を持って家を回る、ものみの党の人がやって来た。
先日来よく来る人である。
ここでは、毎年冬の農閑期に曹洞宗の道元禅や親鸞の歎異抄を勉強している(こう言う場合、ちょっと大袈裟に言うのですが)
と言っても、堂々と何度もやってくる。「この忙しい時期によく回られますね」
と一言嫌みを言ったけど、痛痒がない。「こう言う時だから、お家にいらっしゃるんですよ」
仕方なく、汚くて猫や獣臭い玄関から上がってもらった。
中学生の頃、自分の部屋に、どこで仕入れて来たのか「信ずる事程強い事はない」と書いて貼っていたのを思い出す。
何かを売る為のセールスではなく、人々を幸せにする、と信じているんだろうな。
でなければ、強くしぶとく何度も来ないだろうと思う。
こちらは、ある意味、自分に自信がないし、自分の事も、人の事もほんとはよく分からない、
噛み合うわけがない。よく分からない、という状況はとても自由ではないか、と思ったりしている。
聖書の言葉を引用するんではなく、彼女が今、何を考えているかと言う事に興味がある。
彼女たちには、神がいる。それも話を聞いていると、絶対神というわけではなく、
日本的な神の捉え方と混同している。神が生物の中に宿っている、と言うような言い方をする。
こっちとしては、色々な生き方があって、貴女が幸せだと思えるのなら、それを否定しないし、
わたしはわたしの価値観や、わたしの生き方があって、聖書はいらないのである。
欧米の映画をみていると、欧米人の宗教観は、宗教が定着しにくい民族の我等に、
ちゃんと理解出来ないのではないのか、と思ったりする。
ものみの党の人と喋っていて、お互いに、なにか考えるきっかけになればいいんだけど。
正直に言えば、放っておいてください、と言いたい所である。
でも、また来そうである。
「奥さんみたいな人はそういません」と言って帰って行った。
どう言う意味なんだろうね。ちょっと喋り過ぎたかも知れない。
掃除だ掃除だ。窓から外し忘れていた網戸を取り込み。
猫が滅茶苦茶にした多肉植物の鉢の土を掃いていた。
あっ、タヌキが出て来た。

おばあちゃんが神棚に供えていた洋梨が、腐って来たらしく雪の上に放ってあった。
タヌキが縁の下から出てきて、食べている。
わたしが写真を撮り始めたら、梨をくわえて、少し離れた所に持って行った。

えっ、えっ、全部で3匹?

あらまー、参ったね。ファミリーかい。
玄関の異様な臭さは、やっぱりタヌキなんだ。
猫シッコの臭いと、タヌキ汁の臭いとトイレ用消臭剤の香りが混ざってどーもこーもなりません。
吐きそうである。これに犬が加わるんだ。どーしよう。