こんにちは江崎遊子です。

ちょっと言ってもいいですか。

マイブーム。

2016年09月24日 | 適当レシピ

 最近気にいっているのが、アイスにトマトソースをかけるもの。
 
 ベースは4割引の時に買って来るバニラアイスである。
 
 事の始まりは、春、イチゴジャムを作った事である。
 マイ畑のイチゴが沢山なくて、ジャムにしようと思ったものの、煮詰める前に火を止めた。
 綺麗なイチゴソースが出来た。
 暑い日はアイスが食べたい。しかし、最近市販のアイスクリームがわたしには甘過ぎる。
 で、初めはバニラアイスにイチゴソースをかけた。美味しいけど甘い。
 それに甘さを押さえるのにプレーンヨーグルトを加えてみたら、
 これが、銀座のフルーツパーラーにも負けない絶品デザートになった。

 イチゴソースがすぐ無くなってしまったので、その後はバニラに自作のラムレーズンをかけたり
 すっぱいみかんジャムをかけたりしていた。
 今、旬が過ぎたパスタトマトが畑で実っていて、トマトペーストにしようと思ったものの
 味が薄くて、美味しくない。そこで、美味しくないトマトソースをアイスにかけたら
 滅茶苦茶美味しかった。

 トマトは食べきれなくなると、ほんの少し塩をくわえて煮る。
 初めに皮を剥くときもあるけれど、丸ごと煮て、後で皮を拾い出す事もある。
 いずれにしても、あのトマトの命と言える種を入れたまま煮るのである。

 煮詰めたものはペーストにして冷凍保存する。
 これがホントに美味しい。
 最近はピザが食傷気味で、殆どミートソースやパスタに使う。
 今年はトマトペーストが余り出来なかった。
 デザートに変身してしまった。
 おいしくないトマトが甦るって、もしかしてわたし魔女かもね。
 
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食あたり。

2016年09月23日 | おばあちゃん

 少し前からおばあちゃんの部屋の冷蔵庫の電源を切った。
 冷蔵庫開けっ放し、というのが続いたし、食べ残した総菜などが山のように入っていた。
 時間が経ってカチカチなったものや、カビが生えたもの等、
 時々出してはそれらを食べていたりするようだった。
 何度も、注意したけど、分かってない。
 冷蔵庫はもう使えないからね、と口を酸っぱくして繰り返した。
 ところが、おばあちゃんはどこに隠すのか、時々前日の食べ物等食べているような気がした。
 おかしいどこに置いているのか、テーブルの周囲を見回しても分からない。
 時々点検していた時には冷蔵庫には入れてなくて安心していた。
 ところが来客等でおばあちゃんの部屋を覗く時間が無かったりする事もあり、
 間を置いて冷蔵庫をのぞくと、カビの最悪系黒カビが食べ物を覆い尽くしていた事があって
 思わず悲鳴を上げてしまった。
 何度おばあちゃんを脅しただろうか。しかし脅し続けなければ、おばあちゃんは忘れるようだ。

 2日前の事である。
 朝ご飯を食べて、薬を飲み、ソファに坐ってラジオを聞いていた。
 パタンとドアが開いておばあちゃんが出て来た。
 そのまま、すうっとトイレに行ってくれる事を秘かに望んでいる自分がいる。
 しかし、おばあちゃんは洗面器を持って洗われ、
 「これなんとかして」とわたしの前にその洗面器を差し出した。
 みると、上下の入れ歯が入っていた。
 「それくらい、自分でできるでしょ」と突き放す。
 おばあちゃんにとって、緊急事態である事はわたしはその時ピンと来ていなかった。
 洗面器に水を入れて、入れ歯にたまっている食べカスを洗い落とした。
 そして、入れ歯をコップに入れて、おばあちゃんの部屋に持って行った。
 昨日、買い物に出て、巻寿司を買って来ていて、巻寿司とミニトマトを出していた。
 おばあちゃんはミニトマトを食べたら変になったと主張する。
 わたしそんな筈はないと思った。

 しかし、おばあちゃんはげえげえと食べたものを小さなゴミ入れに吐いている。
 胸元も吐いた食べ物でびしょびしょだ。
 わたしは、おばあちゃんが古い腐ったものを食べたと思っている。
 それにしても、おばあちゃんの身体の作りは、かなり健康だと実感した。
 身体が拒否反応したものを、身体から出しているのだ。

 しばらくその様子を見て、出すだけ出せればいいと思っていた。
 嘔吐が収まってから、着替えさせ、身体を拭いて、水を飲ませた。
 食べ物が喉に引っ掛かることもなく、落ち着いた。凄い、と内心思った。
 もしかして、下痢が続くかも、と思ったけれど
 最悪の状況は免れた。
 主治医の先生に貰っていた胃の薬を飲ませ、この時とばかりに
 冷蔵庫を使わないようにと、言い聞かせた。
 おばあちゃんも懲りただろうけれど、忘れるからね。

 今朝、収穫したさつまいもを新聞紙に包んで、穴を開けた発砲スティロールに収めていたらおばあちゃんが出て来た。
 昨日はご飯を食べたがらなかったので、食べない方がいいと無理に食べさせなかった。
 今朝はお粥を食べさせ、部屋から出て来てバナナを食べると言う。
 
 天井を見上げて、何か考えているのか、何も考えていないのか。
 しかしなあ、何も言う事ありません。生きているという事実があるだけだ。
 これで良いんだと思う。

 今年、新たに介護認定の為、前回と違うケアマネージャーさんがやってきた。
 おばあちゃんは良い顔をしてますね、と言う。
 わたしはおばあちゃんの暮らしのスタイルを尊重していると思っている。
 おばあちゃんは自分のものを触られるのは嫌だし、
 永々と続けて来た自分の暮らしのパターンがある訳で、
 そこはおばあちゃんが譲れない所だろうと思うのである。
 自分なりに、朝窓を開けたり、夜になればカーテンを閉めたり、
 滅茶苦茶だけど、半分お尻を出して、衣類を触ってはあっちにやったりこっちにやったりしている。
 これがおばあちゃんの暮らしなのである。
 我等の価値観を強要しないで、
 臭いの汚いのを我慢している事がおばあちゃんに良い事なんだと気が付いた。

 今年、介護認定は介護3から介護4に上がった。
 今のところ、何も必要としないけど、いざ、という時の為である。

 人間てなんなんだろうね。
 


 
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bリーグ開幕戦みた。

2016年09月22日 | スポーツ雑感

 近頃、ドラマや映画をみる気がしなくて、
 チャンネルを回していたら、bリーグの開幕戦のハーフタイムで
 あろうことか、全くのNBAの真似、という感じのハーフタイムショーが放送されていた。
 ダセー、と思ったのが本音である。
 出来れば、北野武の映画、『座頭市』のラストシーンのような圧倒的日本製ショーにして欲しいね。
 これから、日本のバスケットを盛り上げよう、という趣旨はよく分かったけど、
 何処かに日本の文化を臭わせて欲しい、とおばさんは思ったのでした。

 松井啓十朗や伊藤ナントカさんもアルバルク東京のメンバーだった。
 WOWOWのNBAの放送でゲストとして出て来る。
 千葉ジェッツだったかな、富樫君が放送のゲストとして喋っていた。
 チケットも完売し、空席がなくてかなり盛り上がっていた。
 ここからNBA選手がでて来たらいいね。
 そういう事を考えているみたいだ。
 日本のバスケットが変わるかも、そういう盛り上がり方だった。

 今日も一時間相撲をみた。
 照の富士は負け越してしまい、宝富士も同じく負け越しだ。
 しかし高安はいい感じだ。今場所腰が低いのだ。
 稀勢の里もいい感じだけど、今場所の高安には及ばないね。
 稀勢の里は腰が高い。
 我が郷土の力士遠藤がこんなに強かったなんて知らなかった。
 人気に振り回されて、相撲が駄目じゃん、と思っていた。
 しかし、別人みたいな今場所の活躍である。
 相撲が巧いらしい。今なら信じられる。

 一時間じっくり坐ってみていると、色々思う。
 なぜ、取り組みの直前、相撲取りは水を飲んで、ペッと吐くのか。
 吐いたものはどこへ行くのか。
 袴をはいて紀文とかスギヨとか書かれた着物を着て、土俵の周りで仕事している人たち。
 その人たちが帚で、吐き落としているような気がする。
 塩の山と同じような所かな。なんか気になる。
 彼等は何故そういう仕事をしているのか。いや、それは個人の自由だけど、聞いてみたい。
 関取の座布団を持っているお相撲さんもいる。
 豪栄道の肩を揉んでいたお相撲さんもいた。近頃の浴衣の柄が随分変わっている。
 今日の豪栄道、鶴竜戦が面白かった。
 米俵マンは鶴竜に勝って紅潮し真っ赤っかの顔をしていた。
 思わず拍手喝采でひとりで大騒ぎ。
 行ける!と大いに盛り上がる時があるんだね。
 何とか、明日、日馬富士に勝って優勝したらいいねえ。

 正代という若いお相撲さんがいて、顔が好きではないけど
 今日の取り組みみていたら、やがて横綱になるんでは、と思わせるものがあった。
 貴ノ岩を投げたときの身体のしなやかさにびっくりした。
 
 どうしよう、半端なドラマより、スポーツが面白い。
 でも少しづつ日が短くなって、秋の夜長となれば、やはり映画でしょうか。
 
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通院中。

2016年09月22日 | 日記

 なんか贅沢な気がするけれど、月一で友人でもある村田治療院というか
 あすなろ治療院に通っている。
 
 輪島市の門前町、天領黒島と言う所である。
 
 海岸に面した静かな村である。家が山に向かって重なるように建っている。
 
 古い家で、室内は落ち着いた雰囲気がある。
 
 我等の寺の和尚さんの弟であり、旦那の大学時代の同級生で、付き合いは古い。
 鎌倉から引っ越して来てくれて、わたしは助かっている。
 
 自分の身体を表象やデータでみるのではなく、
 身体を看て、鍼とお灸で治療してくれる。
 内側から治して行こう、と言う姿勢なので、筋トレやストレッチをしながら
 長く使える身体を維持したいと思っている。
 時々、ぴくっとするけれど、痛いと言えばすぐ修正してくれる。
 鍼の上にもぐさを乗せてするお灸が、身体をどんどん温めてくれて気持いい。
 
 旦那が留守だったので、カンちゃんも一緒に行った。
 
 カンちゃんにとって初めての場所で落ち着かないらしく、車に乗せたら、後部座席で大人しく待っていた。
 いつも買い物に連れて行くので、車で待つ事には慣れている。
 
 彼の相棒の美枝子さん。この人の焼いたパンが絶品である。
 お茶やお菓子まで頂いて、午前中には家に戻った。

 こう言った治療は、彼を信ずるかどーかにかかっている。
 腕に関しては信用している。
 後は、自分でどう考え、どう自分の身体を活性化出来るか、と思っている。
 膝や股関節に問題ありで、これは相当前から不具合だったのである。
 慢性心不全も含めて、いい身体環境を作って行けたらいいな、と思っている。
 まだ死なない。生きているうちが花なのよ。坂村真民の言葉である。
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目の端に。

2016年09月20日 | 日記

 大事な友だちが、金沢の大学病院から七尾の恵寿病院に移って来た。
 恐らく、体力がなくなって、抗癌剤治療が出来なくなったと言う事だと思っていた。
 肺炎が中々治らず、こちらが忙しい事もあって、会いに行けなかった。

 少し前、彼女の親友と偶然一緒になって、会いに行った。
 彼女の様態については色々聞いていて、もう駄目か、と何度も思った。
 ところが、わたしが病院に見舞いに行く時は、必ずと言っていい程、喋れる日だった。
 彼女は気丈で、生き続ける事を、強烈に願っていた。そして慢性心不全のわたしを気遣ってくれた。
 そんな彼女と喋っていると、死が遠いもののようで、奇跡が起こるかも知れない、と思えた。
 
 しかし、現実的には、恵寿で死を待つだけの治療を続けている。
 両手の指先が小刻みに震えていて、その震える手で色鉛筆を持って塗り絵を一心にしていた。
 リハビリねん、そういう彼女からまだ生きるんだと言うメッセージを感じた。
 しかし、切ないものが伝わって来る。身体は極端にやせ衰えて、足先が浮腫のため巨大になっていた。
 わたしはその両足に触ってみた。足は熱を持って、何かと戦っていた。
 わたしは正直、気持がうろうろしていて、そこにいる事が苦痛だった。
 彼女の親友は気持の座ってるのんびりした性格で、わたしは助かっていた。
 2時間くらいいただろうか。
 「また来るね」と言って病院を後にした。

 昨日の朝だった。電話が鳴って、彼女の親友のN女史からだった。
 「意識が変わってしまった」と彼女の旦那からメールが入ったと言う。
 いよいよか、と思った。しかし、もう病院に行かない、と決めた。

 どーんとした重いものが、胸に居座った。いやいや冷たいわたしのことである。
 すぐに違う事を始めるだろう、とも思った。
 ラジオのパラリンピックの閉会式の音が煩くてラジオを止め、ステレオでモーツァルトのレクイエムをかけた。 
 少し気分が落ち着いた。何に向かってかよく分からない。
 お経を読んでみようと思った。大きな声で延命十句観音経を唱えた。
 ただ虚空に向かって大声を張り上げた。
   観世音 南無佛、與佛有因 與佛有縁 仏法僧縁 常楽我浄 朝念観世音 暮念観世音 念念従心起 念念不離心
 まったくの不協和音ながら、何度も繰り返した。
 そのうちハラハラと涙が出て来た。
 彼女は難病の白血病と分かった時、「好き勝手して来たし、思い残すことはない」と言い切った。
 しかしまだ40歳だ。自分の運命を受け入れながらも、生きたい!という思いが痛い程伝わって来た。

 人の命の生死の不条理に誰も答えられないだろう。
 仏教では、生も死もない、という。
 わたしは思うのである。生きている事が大事だと。
 彼女は意識が朦朧として来てもまだ頑張るだろう。それが彼女の生きている姿だと思う。

 モーツァルトのレクイエムを今朝もかけた。
 その時、目の端に何かが入ってきた。透明な薄紫の小さな朝顔だった。
 確かに何か言いたげな気がした。デジカメで写真を撮ろうと頑張った。
 しかし、光が足りないのだろう。全部輪郭がボケていた。
 希薄で小さな朝顔。そこに彼女の姿を見た気がした。
 
 
 十方三世一切佛 諸尊菩薩摩詞薩 摩詞般若波羅蜜
 
 あの日、彼女は塗り絵のキノコの色をどうしようか悩んでいた。
 あれからまだ4日しか経っていない。まだ塗り絵が続けば良かったのに。
 一緒にNBAみたかったのに。旦那と釣りに行ければ良かったのに。
 一緒に掻き揚げうどんが食べたかったのに。
 昨日の電話で、何かがプチンと切れた気がした。

 そのうちわたしも行くしね。そん時はよろしくね。
 いや、何も言う事が出来ない。ドウしろと言うの?ごめん。
 
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