こんにちは江崎遊子です。

ちょっと言ってもいいですか。

今日はたれます。

2011年07月31日 | 日記

 

  郵便受けに大きな封書が届いていた。
  見ただけでわかる。浄土真宗の同朋新聞だ。
  私達は毎年、真宗の佐野賢明さんに歎異抄の講義をしていただいている。
  恐らく、佐野さんは真宗でも異端になるのではないかと思っている。
  しかし、親鸞も知らない、嘆異抄も知らないお坊さんの卵達の教育者でもある。
  主人が佐野さんに依頼されて、新聞に記事を書いた事があるので、それ以後新聞が届くようになった。
  
  佐野さんが編集に携わっていた頃は豆に記事も読んでいた。
  このところ、読まない事も多い。
  今回、作家の田口ランディが5月に公開講演会をした時の記事が載っていた。
  タイトルは「死といういのちの相(すがた)」サブタイトルが「父の死が私に残したもの」という物だった。
  
  彼女の父親は凄まじい。漁師であり、真面目で誠実であり、それを他人にも求める。
  瞬間湯沸かし器のように、突然怒り出す。お酒を飲んで酔うと汚い言葉で人をののしる。
  だらだらうんざりするような言葉を吐き続ける。彼女もお兄さんも、父親が大嫌いだったらしい。
  お兄さんは中学の頃から荒れ始め、その後は引きこもり、職に就けないまま餓死して死んだとの事だった。
  お兄さんが亡くなった後、死んだ事を母親の所為だと責め続け、お母さんはノイローゼになり、脳出血で亡くなった。
  彼女は父親と縁を切れずに、付き合って行く。父親は夜、泣きながら電話をして来る。「寂しい」と。
  ある講演会で、精神科医の加藤清と言う先生に田口さんが言われた事も興味深い。
  「田口さん、あなたは最近悪い事をしましたか。私が子供の頃、戦争で食べ物が無くてお弁当はいつも麦飯だった。
  クラスに一人だけお金持ちの子がいて白米のお弁当だった。ある時、そのお弁当をわたしがこっそり食べたんです。
  その子も自分だけ白米で申し訳ないと思ってたし,皆も、いい気味だと思いつつ、許せる気持ちになったと。
  そう言う物事の宿業みたいなものをひっくり返すような、悪い事を、たまにしないと作家なんか務まりませんよ」
  と言われたらしい。田口さんは、エッセイや小説で、父親が自分たちにしたひどい事をした復讐のつもりで書き連ねていたわけで、
  ある日、自分が書いた小説やエッセイを段ボールに詰めて送りつけたらしい。しかし、面白いのは、父親の反応である。
  「読んだよ、ずいぶんいろいろ書いたな」「まあ,娘に書かれたんじゃあしょうがないな」
  長く付き合っていても、大方自分の事しか見てないので、あれ?と思う瞬間がある。思いもよらぬ父親の反応に田口さんは驚いている。
  しかも、そのあとで、父親の人間らしい感性に触れてびっくりする。
  生きていて、まんざらでもないな、と思うのは多分こんな時だ。
  そして、あれほど嫌っていた父親に自分の家に来ないかと言ってしまう。アルコール依存症、末期の肺がん、認知症という状況の中で、
  田口さんは父親を正気に戻して死なせてあげよう,と思うのです。
  後は省略します。気になる方は、田口さんのエッセイや小説を読んでください。
  どうにもならない事が多くて、どうにもならない自分であり、
  どうしていいか分からなくて、生まれて,生きて,そして死んで行くんだ、と思っている。
  わたしも田口さんのお父さんと同じだ。どっか、違うんだろうか。

  主人の父親が亡くなる前の事。小さな町の病院に入院していて、まだおばあちゃんも70代だった。
  おばあちゃんと交代で、わたしも付き添っていた。わたしは人の世話が苦手なので、おじいちゃんを放って
  本を読んでいた。ある日、病院のテレビで、黒木和雄監督が「竜馬暗殺」の次に作った「祭りの準備」と言う映画
  を放送した。わたしは、酸素吸入器をあてがっているおじいちゃんをよそに、一心に映画を観ていた。
  細かいあらすじは覚えてないけれど、その映画から明確な教訓を得た。
  「人は自分の見える物しか見ないし、見える物しか見えない」
  映画は人間模様を、上から俯瞰図のように描いていたような気がする。
  自分の見た小さな世界の中で暮らし、小さな思いに振り回されて自殺したりする。その小さな世界がわたしの世界の全てなのだ。
  あの人の世界には入れない。この人の世界にも入れない。夜空にたったひとつぽっかり浮かんでいる月みたいなものだろうか。
  月だって、引力で、地球と繋がっている。人も,人と繋がってるに違いない。一人じゃ生きられない。
  悪行多き田口さんのお父さんも、お母さんが亡くなると、寂しいと言って泣く。人間関係って,本当に厄介だ。
  やがて,朽ち果てて行くのに、その場、その場を一心に生きている。
  人間の命の有り様に、明確な意味が見えないまま、生き,そして死んで行く。

  主人の父親は、まだ若い頃、妻と4人の子供を捨てて、他の女性と駆け落ちした。おばあちゃんと子供達はおじいちゃんの実家に残されていた。
  ある日、駆け落ち先の住所を知ったおばあちゃんは困り果ててその住所を捜して,子供を連れて乗り込む。
  そして、それからおじいちゃん、女性、おばあちゃん、子供たちという構成の生活が始まる。
  主人は父親を憎んでいた。自分の母親の悲しい立場を見ている事が辛かったのだろうと思う。
  その女性には一人の娘が居り、やがて高齢のその女性を娘が引き取って行き、おじいちゃんとおばあちゃんは二人残された。
  15年前に、行き場が無くなって、わたしたちが主人の両親を引き取った。

  おじいちゃんは,入院してまもなく、お医者さんに、もう駄目でしょう,と言われ、家に連れて帰ることになった。
  おじいちゃんはモーツァルトのディベルティメント一番を聞きながら91歳で亡くなった。
  おばあちゃんや子供達には涙もなく、サッパリとしたものだった。
  一番縁の薄い、泣き虫の私が一人、何か切なくて泣いていた。
  現実と言うのは,ほんとに淡々としたものだと思う。
  まだ入院していたおじいちゃんに、顔に近づけて、「おじいちゃんどう、どうして欲しい」とわたしは何度も聞いた。
  しかし、すでにおじいちゃんは口も聞けず、答えは無かった。でも恐らく私の声は聞こえていたと思う。
  おじいちゃんはどう思って死んで行ったんだろう。自分の死を自覚し、91歳の生涯を閉じたのだろうか。

  田口さんは、三人の家族を看取り、最後にこういって話を結んだ。「死は私にとって温かくて、とても優しいものになってきました。
  それはやはり家族を看取ってきたからだろうなと思うのです」
  わたしは田口さんのお父さんのように自分の死を受け入れて死んで行きたいと願っています。
  駄々をこねずに、暴れずに。
  
  以前から一度行ってみたいと思っているお祭りがあります。徳島の阿波踊り。 
  「踊る阿呆に見る阿呆、どうせ阿呆なら踊らにゃ損損」
  積極的、前向きな諦めの中で、好奇心を友として踊るしかないような気がしています。

  畑の草取りひとつ、花のメンテナンス、家の掃除、ご飯作り、大した仕事じゃないけれど、気持ち次第で色合いな何とでもなる。
  さて、今日はどんな色になるのやら。

  
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映画クレイジーハート

2011年07月29日 | 日記

WOWOWで放送されてる映画や、BS3で放送されてる映画を、近頃選択出来ない。 
 このところ、息子の選ぶ映画が当たっている。
 夕べはジェフ.ブリッジス主演の「クレイジー,ハート」と言う映画だった。
 簡単に言ってしまえば、落ちぶれたシンガーソングライターの再生の話だ。
 監督、脚本はスコット.クーパー。マギー.ギレンホール、コリン.ファレルも出演していた。

 ジェフ.ブリッジスと言えば、沢山の映画で見て来た気がする。
 私の中では、ディノ.デ.ラウレンティス製作の「キングコング」が一番印象に残っている。 
 ジェシカ.ラング演じるヒロインがキングコングに心寄せて行くのを、必死で阻止する役柄だったと思う。

 キングコングのつぶらな瞳に勝てないでしょ、と言う思いと同時に、
 何とかせねば、と思いながら見てたような気がする。

 ジェフ.ブリッジスには申し訳ないけど、他の映画では全く引っ掛かってこなかった。
 しかし、夕べの映画は良かった。
 お酒に溺れる演技も大袈裟でなくいい。ちょっと太めのお腹が人生の黄昏っぽい。
 翌朝、釣りに行くので早く寝る、と言っていた主人が、他人事じゃないな、と言いながら最後まで見ていた。
 ロバート.デュバルが出ていて嬉しかった。初めて見たのは、「アラバマ物語」の知恵おくれの男の役で、とても印象に残っている。
 「ゴッド.ファーザー」では弁護士役で活躍していたけど、今回、随分年取った印象だった。
 「クレイジー.ハート」はジェフ.ブリッジスのエンターテナーショーみたいだった。
 エリック.クラプトンを彷彿させる歌声で、自身が唄っていたらしく音楽映画みたいで楽しかった。
 今まで、飽くまで私の勝手な解釈であるけれど、ジェフ.ブリッジスは役柄を演じていても,ジェフブリッジスだった。
 今回のシンガーソングライターはジェフ.ブリッジスじゃなくて、カントリー&ウエスタンの落ちぶれた歌手だった。
 俳優ジェフブリッジスでは無く、シンガージェフブリッジスだったのかも知れない。俳優だけでなく、多才な人らしいから。
 
 眉毛が以前から気になるコリン.ファレル。存在は目立つけれど、存在感が薄い。どっちに行くんだろう彼は。
 
 年を取るって、決してきれいごとではない。醜い事でもある。
 もれなく、誰にでもついてくる。自分の写った写真を見ると、これ誰?と言いたくなる。
 へー、凄いね、と関心してる場合じゃない。もう,現実を見ようとしてないよね。
 以前、作家の赤瀬川原平が、老いを逆手に取って、「老人力が付く」と言っていた。
 でも、自分の老いを中々認識出来ない気がする。
 92歳のうちのおばあちゃんは、毎日坂を下って寺の大きな薪風呂に入りに行くのが日課であるが、
 去年の夏、遊びに来た30代の女性が、そのの薪風呂が深いのでこけるんじゃないかと心配し、
 わざわざ気になって坂を下りて見に行ったのだ。一番危ないのが自分だと言う自覚が無いわけで、凄い、とびっくりした。
 30代の女性に失礼だよね,と思うけれど、ここまででなくても、似たような事はある。
 
 今日、車で町まで出かけた。前を走っている車に枯れ葉マークが付いていた。枯れ葉じゃなくて、モミジって言うんだった。
 遅い車の人は、大方、後ろをよく見ない。今日、その40キロ走行の車は道を譲ってくれた。
 「やるじゃん」と言いながら追い越し様、運転者をみたら、70歳位に見えた。
 我等の田舎道は口の悪い人が「爺婆街道」と名付けている。勿論、自分はその中に入っていないと思っている。
 おじいさんやおばあさんが道に出る時、左右を見ないで出て来るので、気を付けなければならない。
 しかも、その道を走る軽トラックはほんとに速度が遅い。やがてはわたしもお仲間になる。

 町の手前、農協のセレモニーハウス近く、車用道路の端で、おじいさんが緩い坂を転がって行くスイカを追っかけていた。
 「おじいさん頑張って」と思いながら走り去った。
 スイカ作っているんだ,と思った。かなり高齢に見えたけど、ちゃんと仕事してる。生涯現役っていいよね,と思う。
 おじいさんには悪いけど、何かなごんだ。その緩い動きの全体がメルヘンのようだった。
 
 
 


 
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PC用スピーカー

2011年07月28日 | 日記


  この23日に、おばあちゃんのテレビを慌てて買いに行った。
  おばあちゃんは、目が薄くなっているし、テレビを買いなさいといっても、
  状況を理解出来ないだろうと言うのがあった。主人と相談して、地デジチューナーを買う事になっていた。
  うっかりしていたら,地デジチューナーがどこでも売り切れで、入荷にかなり時間がかかると言う事だった。
  明日からテレビが見れないとなったら大変なので、慌てた。

  ホームセンターの並びに100満ボルトがあるので、仕事の前に慌てて駆け込んだ。
  テレビの売り場にまっすぐ行くと、店員さんが近づいてきた。あっと思った。 JBL君だ。

  実は、以前、レアもののマックから主人の使っていたマックに切り替え、パソコンがかなりグレードアップしたので、
  主人が早々と手に入れていたアルティックと同じスピーカーが欲しくなった。デザイン、音、特に低音がいい。
  けれども、これが中々見つからない。無いとなると,益々欲しくなるから不思議だ。
  一応主人に「ちょうだい」と言ってみた。「やだ」と言われた。
  それでも、スピーカーが欲しい。お小遣いもあるし、色々捜した。
  研究の結果、オンキョウのGX-D90の黒がいいかなと思った。これだとネットで買ったら11,439円でお手頃だ。
  もうひとつ、気になっていたのがオンキョウのGX-500HDと言うスピーカーだ。これだと34,900円で、
  PC用スピーカーとしてはかなり贅沢な感じである。正直、主人よりいいのが欲しかった。
  一応、電気屋さんに行って調査してから決める事にした。

  100満ボルトに入って、スピーカーを捜した。
  「すいません、ちょっといいですか」
  若い店員さんが居たので呼んだ。初めて見る顔だ。
  「パソコン用スピーカー、展示品あります?」
  その店員さんは、そこにあったパソコンを起動させて、映像を出した。
  「僕的には、これがお薦めですね」
  パソコンの画面に映し出されたのは、JBLの黒のボディの、デザイン的にはかなりシンプルな物だった。
  ちょっとぐらっと来た。自分で捜した時には、JBLに気を引かれる物が無かった。
  けれども、買った人の満足度と言う点では、JBLのポイントは高かった。
  「僕、ここに勤める前に、ここでJBLのスピーカー買ったんですよ。初めに使ったのがJBLでしたがいいですよ」
  「アルティックはないですか」
  「今、お薦め出来るようなのはないですね」
  JBLはジャズピアノとかジャズボーカルにいいのは知っていた。R&Bのボンボンと響く低音は期待出来ないかも知れない。
  しかし、JBLの文字はオンキョウよりかなりスタイリッシュだ。
  「音の解像度はいいですよ。ちょっと、低音はアルティックに比べると弱いですけど」
  「こちらで買うより、ネットで買った方が安いですよね」
  店員さんは、JBLのスピーカーの利点を熱く語って、ちょっと待ってください、と言って奥に引っ込んだ。
  自分で使ったものなので、説得力がある。そこに、ミニ物語が見えて来る。
  「今、在庫はあるみたいです。17,000円にしますが」
  結局、JBLのスパーカーを買う事にした。入荷したら電話をくれるとの事だった。
  家に戻って、ネットで調べたら、そのスピーカーはあった。ネット値段よりわずかに安くしてくれていた。
  
  今、マイJBLから音楽が流れている。もしかして、若い青年に、僕的には、と言われてぐらっと来たかもしれない。 
  これも、小さなひとつの出会いなのだ。満足度はかなり高い。主人に、替えようか,と言われたけど、「やだ」
  と言った。

  それにしても、今、家電屋さんはテレビに関して態度が大きい。
  エコポイントが取りざたされてた時におばあちゃんのテレビも買っておくんだった。
  居間にある32インチのテレビと20インチが同じ値段なのだ。足元見てるよね。
  今回のJBL君は、渋く、
  「在庫はこれしかありません」
  と言って退けた。仕方なく20インチのテレビを買って帰った。
  何とか間に合ってホッとした。やれやれ。
  
  
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力技

2011年07月26日 | 日記


  仕事から戻って、自分の部屋の窓辺で、一休みする時間がいい。
  まだ明るくて,蜩の鳴き声が波のように押し寄せて来る。
  冷たい飲み物を飲みながら外を見ると、豊な緑の森の向こうに入道雲が見える。
  この時間、特に、夏だ、と実感する。冬にはもう真っ暗な時間である。
  体の中にインプットされてるのだろう、夏はすぐ終わるという儚さが同時にある。
  
  ヘルニアを患った息子が、期間限定のアルバイトを捜しているけれど、
  中々うまくいかないようだ。顔を突き合わせて暮らしていれば、ゴミを片付けろとか
  夜型は節電にならない、とか、つい文句を言いたくなってしまう事もある。
  長い一生の中の僅かな時間である。
  自分で考えて、自分で方向を見つけて欲しいと思っている。
  私達が若い頃は、真面目に働けば暮らしが良くなるという希望の持てた時代である。
  今は厳しい時代である。誰かと助け合わないと、人並みの暮らしが出来にくい時代とも言える。
  子供達も大変だ。でも、この時代を生き抜いて行くしか無い。
  
  ほんとに大変な時は手を差し伸べるつもりだし、ひどく傷ついた時には、家に戻って休息すればいい。
  本人の力を信じて、そっと見守る。これ、かなりの力技である。

  いつの間にか、蝦夷ゼミが鳴き出した。
  アブラゼミの鳴き声を低音にして、やる気を無くしたような声である。
  早く海水浴に行かなければ,夏はすぐ終わってしまう。
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ナウシカ

2011年07月24日 | 日記

  
  「風の谷のナウシカ」で思い出した事がある。
  主人は以前、ファーブル昆虫記を愛読していたので、蜂の生態の面白さをよく知っていた。
  雑木山で暮らしていれば,いろいろ危険な生物もいる。マムシ、ヤマカカシ、オオスズメバチ、スズメバチ。
  主人は子供達に最も危険なのは、オオスズメバチと言い聞かせていた。確かに、マムシにしろ、ヤマカカシにしろ、
  我等に遭遇すると、慌てて逃げて行く。
  蛇の苦手なわたしは蛇に遭遇すると、キャーと言って逃げる訳で、お互いさまという感じがする。
  でも、長年、山で暮らしているけれど,蛇を可愛いとは思えない。しかし、主人はいつも蛇の見方である。

  夏の終わり頃から、スズメバチが巣作りを始める。危険なのはこの時期。
  お盆に、都会から海水浴客が遊びに来る。私としては、低い位置で、スズメバチが飛んでいると,気が気で無い。
  案の定、女の子が刺された。
  「駆除しよう」
  というわたしに、
  「大丈夫だろう。蜂は普通に暮らしてるだけだろ」
  と飽くまで、ナウシカっぽい。
  ところが、主人も刺された。蜂に刺されると、その痛さはやけどみたいで頭を刺されると堪らんものがある。
  「蜂退治用の薬買って来い」
  殲滅しろ、なぎ倒せ。余りに人間として正直過ぎる主人の対応に、あんぐり。
  ナウシカからクシャナ殿下に変貌するのに、時間はいらない。  
 
  
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