郵便受けに大きな封書が届いていた。
見ただけでわかる。浄土真宗の同朋新聞だ。
私達は毎年、真宗の佐野賢明さんに歎異抄の講義をしていただいている。
恐らく、佐野さんは真宗でも異端になるのではないかと思っている。
しかし、親鸞も知らない、嘆異抄も知らないお坊さんの卵達の教育者でもある。
主人が佐野さんに依頼されて、新聞に記事を書いた事があるので、それ以後新聞が届くようになった。
佐野さんが編集に携わっていた頃は豆に記事も読んでいた。
このところ、読まない事も多い。
今回、作家の田口ランディが5月に公開講演会をした時の記事が載っていた。
タイトルは「死といういのちの相(すがた)」サブタイトルが「父の死が私に残したもの」という物だった。
彼女の父親は凄まじい。漁師であり、真面目で誠実であり、それを他人にも求める。
瞬間湯沸かし器のように、突然怒り出す。お酒を飲んで酔うと汚い言葉で人をののしる。
だらだらうんざりするような言葉を吐き続ける。彼女もお兄さんも、父親が大嫌いだったらしい。
お兄さんは中学の頃から荒れ始め、その後は引きこもり、職に就けないまま餓死して死んだとの事だった。
お兄さんが亡くなった後、死んだ事を母親の所為だと責め続け、お母さんはノイローゼになり、脳出血で亡くなった。
彼女は父親と縁を切れずに、付き合って行く。父親は夜、泣きながら電話をして来る。「寂しい」と。
ある講演会で、精神科医の加藤清と言う先生に田口さんが言われた事も興味深い。
「田口さん、あなたは最近悪い事をしましたか。私が子供の頃、戦争で食べ物が無くてお弁当はいつも麦飯だった。
クラスに一人だけお金持ちの子がいて白米のお弁当だった。ある時、そのお弁当をわたしがこっそり食べたんです。
その子も自分だけ白米で申し訳ないと思ってたし,皆も、いい気味だと思いつつ、許せる気持ちになったと。
そう言う物事の宿業みたいなものをひっくり返すような、悪い事を、たまにしないと作家なんか務まりませんよ」
と言われたらしい。田口さんは、エッセイや小説で、父親が自分たちにしたひどい事をした復讐のつもりで書き連ねていたわけで、
ある日、自分が書いた小説やエッセイを段ボールに詰めて送りつけたらしい。しかし、面白いのは、父親の反応である。
「読んだよ、ずいぶんいろいろ書いたな」「まあ,娘に書かれたんじゃあしょうがないな」
長く付き合っていても、大方自分の事しか見てないので、あれ?と思う瞬間がある。思いもよらぬ父親の反応に田口さんは驚いている。
しかも、そのあとで、父親の人間らしい感性に触れてびっくりする。
生きていて、まんざらでもないな、と思うのは多分こんな時だ。
そして、あれほど嫌っていた父親に自分の家に来ないかと言ってしまう。アルコール依存症、末期の肺がん、認知症という状況の中で、
田口さんは父親を正気に戻して死なせてあげよう,と思うのです。
後は省略します。気になる方は、田口さんのエッセイや小説を読んでください。
どうにもならない事が多くて、どうにもならない自分であり、
どうしていいか分からなくて、生まれて,生きて,そして死んで行くんだ、と思っている。
わたしも田口さんのお父さんと同じだ。どっか、違うんだろうか。
主人の父親が亡くなる前の事。小さな町の病院に入院していて、まだおばあちゃんも70代だった。
おばあちゃんと交代で、わたしも付き添っていた。わたしは人の世話が苦手なので、おじいちゃんを放って
本を読んでいた。ある日、病院のテレビで、黒木和雄監督が「竜馬暗殺」の次に作った「祭りの準備」と言う映画
を放送した。わたしは、酸素吸入器をあてがっているおじいちゃんをよそに、一心に映画を観ていた。
細かいあらすじは覚えてないけれど、その映画から明確な教訓を得た。
「人は自分の見える物しか見ないし、見える物しか見えない」
映画は人間模様を、上から俯瞰図のように描いていたような気がする。
自分の見た小さな世界の中で暮らし、小さな思いに振り回されて自殺したりする。その小さな世界がわたしの世界の全てなのだ。
あの人の世界には入れない。この人の世界にも入れない。夜空にたったひとつぽっかり浮かんでいる月みたいなものだろうか。
月だって、引力で、地球と繋がっている。人も,人と繋がってるに違いない。一人じゃ生きられない。
悪行多き田口さんのお父さんも、お母さんが亡くなると、寂しいと言って泣く。人間関係って,本当に厄介だ。
やがて,朽ち果てて行くのに、その場、その場を一心に生きている。
人間の命の有り様に、明確な意味が見えないまま、生き,そして死んで行く。
主人の父親は、まだ若い頃、妻と4人の子供を捨てて、他の女性と駆け落ちした。おばあちゃんと子供達はおじいちゃんの実家に残されていた。
ある日、駆け落ち先の住所を知ったおばあちゃんは困り果ててその住所を捜して,子供を連れて乗り込む。
そして、それからおじいちゃん、女性、おばあちゃん、子供たちという構成の生活が始まる。
主人は父親を憎んでいた。自分の母親の悲しい立場を見ている事が辛かったのだろうと思う。
その女性には一人の娘が居り、やがて高齢のその女性を娘が引き取って行き、おじいちゃんとおばあちゃんは二人残された。
15年前に、行き場が無くなって、わたしたちが主人の両親を引き取った。
おじいちゃんは,入院してまもなく、お医者さんに、もう駄目でしょう,と言われ、家に連れて帰ることになった。
おじいちゃんはモーツァルトのディベルティメント一番を聞きながら91歳で亡くなった。
おばあちゃんや子供達には涙もなく、サッパリとしたものだった。
一番縁の薄い、泣き虫の私が一人、何か切なくて泣いていた。
現実と言うのは,ほんとに淡々としたものだと思う。
まだ入院していたおじいちゃんに、顔に近づけて、「おじいちゃんどう、どうして欲しい」とわたしは何度も聞いた。
しかし、すでにおじいちゃんは口も聞けず、答えは無かった。でも恐らく私の声は聞こえていたと思う。
おじいちゃんはどう思って死んで行ったんだろう。自分の死を自覚し、91歳の生涯を閉じたのだろうか。
田口さんは、三人の家族を看取り、最後にこういって話を結んだ。「死は私にとって温かくて、とても優しいものになってきました。
それはやはり家族を看取ってきたからだろうなと思うのです」
わたしは田口さんのお父さんのように自分の死を受け入れて死んで行きたいと願っています。
駄々をこねずに、暴れずに。
以前から一度行ってみたいと思っているお祭りがあります。徳島の阿波踊り。
「踊る阿呆に見る阿呆、どうせ阿呆なら踊らにゃ損損」
積極的、前向きな諦めの中で、好奇心を友として踊るしかないような気がしています。
畑の草取りひとつ、花のメンテナンス、家の掃除、ご飯作り、大した仕事じゃないけれど、気持ち次第で色合いな何とでもなる。
さて、今日はどんな色になるのやら。