芳しきひと振りふた振り秋扇
秋暑し。やっとまとまった雨が降りましたが、蒸し暑いです。
昨日から始まった取水制限は、お陰様で中止となりほっとしています。
新成羽川ダム湖も30パーセントくらいまで?水位が回復したのでしょう。
息子が一週間前に釣りに行って、「こんなに底が見えるのは今年が初めて」と
言っていました、こうなると魚は生命の危険を察知するのか、のんびり
気分ではないので、餌には無反応らしいです。ただただ身を潜めて
じっとしているのが判るそうです。(釣り師曰く)
「湖の底の石垣まで見えた」というから取水制限する筈でした。
この恵みの雨も、夥しい集中豪雨に変身すると人の生命財産と
共に、自然まで破壊してしまいますね。今年の夏は洪水による
被害が各県で多く出て悲惨なことです。
秋暑し。やっとまとまった雨が降りましたが、蒸し暑いです。
昨日から始まった取水制限は、お陰様で中止となりほっとしています。
新成羽川ダム湖も30パーセントくらいまで?水位が回復したのでしょう。
息子が一週間前に釣りに行って、「こんなに底が見えるのは今年が初めて」と
言っていました、こうなると魚は生命の危険を察知するのか、のんびり
気分ではないので、餌には無反応らしいです。ただただ身を潜めて
じっとしているのが判るそうです。(釣り師曰く)
「湖の底の石垣まで見えた」というから取水制限する筈でした。
この恵みの雨も、夥しい集中豪雨に変身すると人の生命財産と
共に、自然まで破壊してしまいますね。今年の夏は洪水による
被害が各県で多く出て悲惨なことです。
お早う御座います、昨夜は雷雨が2時間ほども続き、
窓の外は総天然色の音響が華やかで久しぶりに自然の
くりなす芸術を堪能しました。(爆笑)
そこで、季語にも有る雷様について歴史を紐解いてみ
ました。
ー抜粋ー
雷という文字の由来~古代からの雷をめぐる神々のロ
マン「雷」という文字は、「カミナリ」とか「イカヅチ」とも読みます。「イカヅチ」は一説によると、日本神話で有名なイザナミ・イザナキの神に関連しているらしいのです。類語のイザナフ・イザリ・イザリビなどのイザは何かというと、山上憶良が万葉集巻一・六三に詠んでいる感動詞です。
去来子等 早日本辺 大伴乃 御津乃浜松 待恋奴良武(いざ子供 早く日本(ヤマト)へ 大伴の み津の浜松 待ち恋ひぬらむ)と詠んでいる感動詞であり、それは或人が誰かを誘ったり、自分が積極的に何ごとかをしようとする時に発する語ですが、漢語の「率」と「去来」をそれに当てています。
率 ミチヒク、ヒク、ヒキイル イル イサナウ(「名義抄」)
これからすると、イザはもともと「引く」ということで、それが男女二神であることは、すなわち引き合う神のことです。「去来」には「率」の意味はなく、もともと行ったり来たりすることです。イザナミ、イザナキのミは女性、キは男性、ナは助詞ノに当たります。要するに、イザナミは引き合う女、イザナキは引き合う男で、中国の陰と陽とを擬人化したまでのことであるといいます。しかしこの陰陽二神を、空想上に成り立った架空の神とすることはできなく、ある特定の自然現象の説明であり、自然現象の神であったといいます。そしてイザナミの神の死骸に雷が取り憑いているという神話があります。
八の雷(やくさのいかづち)と所謂(い)ふは、首(かしら)に在るは、大雷(おおいかづち)と曰(い)ふ。胸に在るは、火雷(ほのいかづち)と曰ふ。腹に在るは、土雷(つちのいかづち)と曰ふ。背(そびら)に在るは、稚雷(わかいかづち)と曰ふ。尻(かくれ)に在るは、黒雷(くろいかづち)と曰ふ。手に在るは、山雷(やまつち)と曰ふ。足の上に在るは、野雷(のつち)と曰ふ。陰(ほと)の上に在るは、裂雷(さくいかづち)と曰ふ。(「日本書記 神代上 第五段一書第九」)
ここに書かれているイカヅチは、「大雷」は近雷、「稚雷」は遠雷、「火雷」は放電雷、「黒雷」は落雷による火災、「裂雷」は落雷による裂木、「土雷」は土地への落雷、「山雷」「野雷」は山野に落ちる雷を意味してます。これらは雷現象のほとんどを網羅していて、陰神イザナミは雷であったといいます。男の怒りを雷鳴(鳴神)に例えたり、単に「神」とも言ったことから、雷の名称が怒りに出ているのが分かります。「伊加都知(イカヅチ)」のイカはイカル(怒)の語幹であり、ヅは助詞、チは以下のような語尾の知・智で、蛇形の化物です。
遠呂智(オロチ)~大蛇(屋根の化物)
美都知(ミヅチ)~鮫竜(水に住む竜)
久久能智(ククノチ)~木神(木に珠る蛇)
軻遇突知(カグツチ)~火神(熔岩流)
怒声の雷鳴と、蛇形の雷光が合ってできた名称が、イカヅチであったと言えるらしいのです。
陰と陽(-と+)
雷電(イナツルキ、イナツルビ)のツルキは、剣(ツルギ)と同じで、剣の用法であるツラヌク(貫)から出た名称ですが、鞘に刀身を納めることからツルギ太刀(たち)とも言いました。
ツルビ・ツルミも雌の陰部に雄の陽物を差し込むことで、現代でも動物が交尾することを、山形・福島・埼玉・岐阜・福井・大阪・福岡・熊本などでツルムと言っています。
イナヅマのツマも、古代では妻だけを指すのではなく、夫も夫婦もツマといいました。これは、ムツブ(睦)がツブを経て、ツムからツマとなったと考えられます。これも夫婦の結合から出ています。
イナツルビ・イナヅマのイナは、従来稲と誤解していたらしいのですが、このイナは稲でなく、イザナの簡略化で、「イザナツルビ・イザナムツビ」が、イナツルビ・イナヅマになったようです。イナツルビもイナヅマも、陰陽のイザナミ・イザナキの二神が性交する姿ということでした。
中国でも陰陽の両気が切迫し、感応して雷となり、激突してイナヅマ(雷光)となると考えられていました。では雷の母体は何であったでしょうか、それは雷雲です。陰陽のイザナミ・イザナキは、一つの雷雲の中における陰と陽の神と考えられていたようです。
このように我々の祖先たちは、現代にも通じるような陰と陽(-と+)の原理を見越していたことになります。これは驚くべき事実であり、一般に言う「昔の人が言ったことは科学性に乏しい」などと馬鹿にできない一例です。
こちらも昨日は朝10時頃まで、ゴロゴロと大雷で
そら恐ろしく、独り鎮まっていましたよ。(笑)夜も鳴っていたようです。
やはり、陰陽のお話しは興味深いものがありますね(笑)
+-の原理原則は解かり易いですよ。子孫繁栄、末広がりを皆望みますから、
お庭に陰陽石を置くことは有名ですね。(我が家は土地が無くそのようなお庭ではありませんが)
上の文の中にありますが、俳句でも夫と書いて、『ツマ』と読みますので、
最初の頃はちょっとしたカルチャーショックでした、
因みに背も『そびら』と読みますね、意味は『後ろ』ですが、美しい言葉ですね。
夫婦が睦むことも、お互いに引き合うことが大事なのですが、平行線になって、やがてま反対に向いてしまって、
離婚してしまうカップルが多くなりましたね。
情愛の世界はこれまた不思議なご縁とでも言いましょうか、摩訶不思議で、出会いはまるで雷神様に打たれたような感じでお互いにアバタも笑窪になってしまいますからね。(笑)