ぶら下り風に揺られて鬼やんま
お店の前の風船かずらの蔓に手足でぶら下っていました。
直立不動の美しい姿をまじかに見ることができました。
でも、疲れないのでしょうか、垂直なのですが。(笑)
以前、店内にやんまや揚羽蝶が入って来たこともありましたし、
昨日は子蟷螂が1匹入ってうろついていました。(笑)
お客様が先に見つけられ、一緒に見ていました。
小さいので怖くは無かったです。(笑)
お店の前の風船かずらの蔓に手足でぶら下っていました。
直立不動の美しい姿をまじかに見ることができました。
でも、疲れないのでしょうか、垂直なのですが。(笑)
以前、店内にやんまや揚羽蝶が入って来たこともありましたし、
昨日は子蟷螂が1匹入ってうろついていました。(笑)
お客様が先に見つけられ、一緒に見ていました。
小さいので怖くは無かったです。(笑)
素敵な詩を拝読させていただきました。
本当に感動です、ありがとうございます。
仕入先の問屋さんでも、そこの会長さんが相田みつをさんのフアンで、
いろんな言葉を紹介して下さっていました。その中の
「つまづいたっていいじゃないか人間だもの」が大好きでした。
第一憶えやすいですからね。第二に失敗の多い自分にとって、
勇気をくれる温かい言葉です。
それから、知りませんでしたが、「柔道の受身」良いことを教えて頂きましたよ。
『柔道の基本ではかっこよく勝つことを教えない
素直にころぶことを教える
いさぎよく負けることを教える
長い人生には かっこよく勝つことよりも
ぶざまに負けたり だらしなく恥をさらすことのほうがはるかに多いからです』
本当に素晴しい教訓だと思いました。
寛容で柔軟な精神力の持ち主、また美しいものを美しいとか、可愛らしいとか感ずる、感受性の高い人を尊敬しますね。
緑風
あちらは、字数制限があるのですみませんが、こちらで照会させていただきますね。
相田みつを 鹿児島地方
Nさんから頂いたメールをご紹介します。
「父、相田みつを」の伝えたかったこと
相田みつを美術館々長 相田 一人 氏
1.「美しいものを見て感動する心」
*大正13年に生まれた父は、昭和10年で10歳、終戦の昭和20年は20歳・・・そして亡くなったのは平成に入ってから3年目の12月17日、享年67歳だった。本人もよく言っていたが、父は昭和と共に生きた、正に「昭和の子」であったと思う。また、父ほど故郷、足利をこよなく愛した人はいなかった。その証拠に、東京の大学からたまに帰郷する私をつかまえて、必ず言うのは「どうだ一人。足利はいいだろう。街の真ん中に川が流れ、周囲に山があって・・・」。その父が一番好きだった渡良瀬川、その堤をよく散策したが、その思い出につながる「道」という詩を、まずご紹介したい。
「道」
長い人生にはなあ
どんなに避けようとしても
どうしても通らなければ
ならぬ道というものがあるんだな
そんなときはその道を
黙って歩くことだな
愚痴や弱音を吐かないでな
黙って歩くんだよ
ただ黙って
涙なんか見せちゃだめだぜ
そしてなあ
そのときなんだよ
人間としての
いのちの根が
ふかくなるのは
*父は若い頃から一貫して独特の書体で自分の言葉で書いてきた人間、その仕事が知られるようになったのは結構おそい。父が生涯で最初に出したのは「人間だもの」という本で、60歳のときに出版している。従って、最初の上梓から亡くなるまでわずか7年、広く知られるようになったのは、他界からと言える。私が生まれた昭和30年頃は、渡良瀬川に架かる「緑橋」という洪水の都度、流される古い橋があった。そのたもとに、私たちは住んでいた。仕事場で筆をとってたくさんの作品を書いていた父は、疲れを癒すためか夕方になると必ず渡良瀬川へ釣りに行く。そのとき、私と妹を連れて行ってくれるのである。夏の夕暮れ、堤を歩きながら父はよく童謡を唄ってくれた。「赤とんぼ」「夕焼け小焼け」・・・中でも父が一番好きだったのは「月の砂漠」だった。ふと足を止め、つないでいる手を離し、空を見上げながら父は言う「一人、見てごらん。なんてきれいな夕焼けなんだろう」。決して口先ではない、腹の底から感動しているようだった。そのことが子供の私にもわかった。父はこんな言葉を残している。
「美しいものを美しいと思える、あなたの心が美しい」。
*父がよく言っていたのは、「子供を育てるとき、親としてするべきことがいっぱいある。そのなかで最も大切なものは、美しいものを見て美しいと思える心を子供のうちに養っておくことだ。つまり、美しいものを見て素直に感動する心、これを持つことがいかに大事か。これを小さいうちから養っておくことほど、親としての大事なつとめはない」であった。そして、さらに言う「美しいものを見て感動する心を持つには、どうすればよいか? それには、親がまず感動すること」。親が美しいものを見て感動すると、その感動が必ず子どもの心に伝わる・・・水量豊かな渡良瀬川の堤から見上げた夕焼け空の感動を、父は私と妹に伝えたかったのかもしれない。
2.「つまづいたおかげ」
*父は若い頃、東京で書を勉強し、それなりに名が知られる存在であっ
たらしい。書壇の大家からも弟子にならないか、というお誘いを頂いたのもその頃で、父はずいぶん悩み、迷ったらしいが、結局、郷里に帰り、そして足利で生涯を過ごすことになる。こんな作品がある。
花を支える枝
枝を支える幹
幹を支える根
根は見えねぇんだなあ
父の作品には、「根」という言葉がよく出てくる。中央ではなく足利の地で生涯を過ごした父の「思い」が、おのずから伝わってくる。
「ある日のつぶやき・・・切り捨てる」
私は長い歳月
上に伸びることばかり考えてきた
土の中深く根を張ることを忘れていたようです
飄々と幹ばかり高く伸びて
雑然と枝葉が広がるようになったとき
幹や枝葉の重みに耐えられない
根の弱さに私ははじめて気がついたのです
気がついたときは手遅れでした
手遅れとわかったとき
私は思いきって枝葉を落とすことにしました
枝葉を落とすとき
私はやっぱり寂しい気がしました
もったいないなぁと思いました
しかし おかげさまで
いまは目に見えない土の中で弱かった根が
新たな活動を始めたようです
枝葉を伐った分だけ
いや それ以上にかも
誰にも分からない 根だけが知る
静かな充実感を持ちながら
*父の書が売れ出したのは他界後で、晩年の生活はたいへんだった。家族を養うために、父はお菓子会社のデザインの仕事をすることになる。包装紙、しおりに絵と文を書くわけである。
ひとつのことでも
なかなか思うようにならぬものです
だから私はひとつのことを一生懸命やっているのです
人の世の幸福とは
人と人とが逢うことから始まります
このお菓子がご縁となって
どうかよい人とめぐりあいますように
しかし、日々の生活というのは、かなりきびしかった。その中で残し
たのが、あの「つまづいたっていいじゃないか人間だもの」という言葉である。この短い言葉が生まれる前に、それに関連する詩が書かれている。
「つまづいたおかげで」
つまづいたり、ころんだり したおかげで
物事を深く考えるようになりました
あやまちや失敗をくり返したおかげで
少しずつだが
人のやることを 暖かい眼で
見られるようになりました
何回も追いつめられたおかげで
人間としての 自分の弱さと だらしなさを
いやというほど知りました
だまされたり 裏切られたり したおかげで
馬鹿正直で 親切な人間の暖かさも知りました
そして・・・
身近な人の死に逢うたびに
人のいのちのはかなさと
いま ここに生きていることの尊さを
骨身にしみて味わいました
人のいのちの尊さを
骨身にしみて 味わったおかげで
人のいのちを ほんとうに大切にする
ほんものの人間に 裸で逢うことができました
一人のほんものの人間に
めぐり逢えたおかげで
それが 縁となり
次々に 沢山のよい人たちに
めぐり逢うことができました
だから わたしのまわりにいる人たちは
みんなよい人ばかりなんです
*この「いい出逢い」のなかで、父は自分の仕事を深めていったと思う。
「あなたにめぐり逢えてほんとうによかった」と
一人でもいい 心からそう言ってくれる人があれば・・・
これは父が50代半ばに書いた作品だが、父の思いが凝縮されている作品と言ってもいいと思う。父は多くの人から「お坊さんだったのでは?」と思われていたらしい。禅の勉強はしたようだが、出家したわけではない。だから、高いところに立って、皆さんに教え諭すことは一切やらない。すべて自分に向かって言っている言葉である。足利を離れなかった理由の一つに、マニラと北京で戦死した2人の兄の供養があった。父の人生に大きな影響を与えた2人の兄、晩年になればなるほど、その思い出は父の心に強く鮮烈になっていったのではないか。
「ひぐらしの声」
ああ 今年もひぐらしが鳴きだした
ひぐらしの声は
若くして死んだ2人のあんちゃんの声だ
そして 2人のあんちゃんの名を死ぬまで呼び続けていた
悲しい母の声だ
また 2人のあんちゃんのことには ひとことも触れず
黙って死んでいった寂しい父の声だ
ああ今年もひぐらしが鳴きだした
結局、父が東京に行かなかったのは、理屈だけではない。兄たちと育った足利の街に対する、深い愛着があったようだ。
3.「受身」の大切さ
*つまづいたり、転んだりして生きた父の人生、そのなかでどういうふうに立ち直っていったか? 「受身」という詩を書き残している。
「受身・・・負ける練習」
柔道の基本は受身
受身とは投げ飛ばされる練習
人の前で叩きつけられる練習
人の前で転ぶ練習
人の前で負ける練習です
つまり 人の前で失敗したり 恥をさらす練習です
自分のかっこ悪さを
多くの人の前でぶざまにさらけだす練習
それが受身です
柔道の基本ではかっこよく勝つことを教えない
素直にころぶことを教える
いさぎよく負けることを教える
長い人生には かっこよく勝つことよりも
ぶざまに負けたり だらしなく恥をさらすことのほうが
はるかに多いからです
だから柔道では初めから負け方を教える
しかも本腰を入れて負けることを教える
その代わりころんでもすぐ立ち直る
それが受身の極意
極意が身につけば達人だ
若者よ失敗を気にするな
負けるときは さらりと負けるがいい
苦しいときは こんちくしょうと正直に叫ぶがいい
弁解なんか一切するな
泣きたいときには 思いっきり泣くがいい
やせがまんすることはない
その代わり すかっと泣いて けろりと止めるんだ
早くから勝つことを覚えるな 負けることをうんと学べ
恥をさらすことにうまくなれ
そして下積みや下働きの苦しみをたっぷり体験することだ
体験したことは 身につく
身についたもの それはほんものだ
若者よ 頭や体の柔らかいうちに 受身をうんと習っておけ
受身さえ身につけておけば
何回失敗してもすぐ立ち直ることが出来る
そして負け方や受身の本当に身についた人間が
世の中の悲しみや苦しみに耐えて
人の胸の痛みを心の底から理解できる
やさしく暖かい人間になれるんです
そういう悲しみに耐えた暖かい心の人間のことを
観音様 仏様と呼ぶんです
*この「受身」は、父の長い人生体験のなかで、だんだんと身についていった考え方ではないかと私は思う。格差社会という世の中にとって、きわめて必要なことではないだろうか。また、中学生を中心に「いじめ」が大きな社会問題になっているが、そのなかで「受身」という柔軟な考え方は、重要ではないかと思う。これは父が若者に呼びかけているというよりも、むしろ自分自身に呼びかけているような気がする。父のいろんな苦悩のなかで、また、つまづいたり、転んだりして過ごした日々のなかで、父の詩が生まれ、それがいまも、多くの人々の心を打つのではないだろうか。 (了)