薄暑光姫四代の並びけり
久し振りに実家の母を訪問すると、5月に娘や孫を連れて
訪ねた時のスナップ写真が出来ていて、その内の1枚は既に
額に納まって応接間のマントルピースの上に飾られていた。
数枚貰ってきたので、このぺージに顔の小さいものを
アップしてみた。母は「私はもういい」と言って、映るのを
恥ずかしがっていたが、一緒に映ってくれたので良かった。
90歳にしては元気だし、若つきかなと思うミコちゃんだ。
ケータイも使えるし、食器洗浄機やファックスも使えるので、
100歳まで大丈夫な気がしてきた。その調子、頼むよお母さん!(笑)
久し振りに実家の母を訪問すると、5月に娘や孫を連れて
訪ねた時のスナップ写真が出来ていて、その内の1枚は既に
額に納まって応接間のマントルピースの上に飾られていた。
数枚貰ってきたので、このぺージに顔の小さいものを
アップしてみた。母は「私はもういい」と言って、映るのを
恥ずかしがっていたが、一緒に映ってくれたので良かった。
90歳にしては元気だし、若つきかなと思うミコちゃんだ。
ケータイも使えるし、食器洗浄機やファックスも使えるので、
100歳まで大丈夫な気がしてきた。その調子、頼むよお母さん!(笑)
蛍の宿は川端柳、倉敷川に、大正、昭和、平成の一世
紀母娘四代の源氏蛍が舞い遊びます。
蛍の句 ありがとうございます。
大正、昭和の時代は、蛍も見れたのですが、
平成の世ではなかなか見ることも出来なくなりました。
自然環境が蛍に厳しく、適さなくなってしまったのでしょう。
幻想的なロマンの句に蛍が起用されていますので、
文芸の中では生き続けてくれるでしょう。
蚊帳の中に蛍を放って喜んだ昔が懐かしいです。