ゆめと私の台湾日記

2010年から本格的始めた不妊治療の末、妊娠、昨年11月に出産しました。只今、3人での生活満喫中です。

子宮卵管撮影

2010-03-30 | 不妊治療
前の日からとても心配で。
なんとなくイライラ
何をかくそう、私は注射が大の苦手…なのに血液検査…その上わけのわからない子宮の検査…
痛かったらどうしよう…

子宮卵管撮影の検査が朝一番の予約だったので8時半ぐらいに病院へ到着。
なんとなく落ち着かずそわそわしながら受付を済ますと検査服に着替え。
番号を呼ばれて検査室に入ると検査技師の男性と看護婦さんが一人。看護婦さんが書類を見ながら、「あなた日本人なのねえ~~」「中国語は大丈夫?」「ご主人は台湾人?」立て続けに色々きかれつつ…検査台へ。
緊張してガチガチになっている私に「日本はいいところだよねえ~」なんて世間話をしつつ、「液をいれますよ~~力を抜いて~~」仕事はちゃんとしてるみたい…
痛くはなかったのだけれど、撮影する際に少し空気を入れるのかな~?
それがなんとなく気持ち悪くて…今までに味わったことのない感触でした。
とりあえず、痛くはなかったから一安心…

次回の予約を確認すると、次回は生理がきて2日目か3日目にきてください、とのこと。
とりあえずは一安心です。

初診

2010-03-27 | 問診
まずは病院探し。
実は中国へ行く前、周りの色々なプレッシャーのもと産婦人科へ行ったことがあります。
人生初めての産婦人科は知り合いに紹介された、不妊治療の「名医」がいらっしゃる病院。
でも、でも、でも…私たちをチラッとみただけで「子供を生みたい?」「年は?」など適当に聞いて「まだまだ若いのにあせる必要はない」
話はそうでしょうけれども…あっさりと何の検査もなく内服薬を処方。
「生理がきて5日目から飲んでください。」本当にこれでいいのだろうか…。一抹の不安を覚えつつそのときはそのまま帰宅。しばらくはそれにしたがって薬を飲んでいました。

でも大きな異変がおきたのはその後。
薬を飲み終わり生理が少し遅れてるな…なんて思っていたらある日、突然大出血。
今までにないくらいお腹が痛くて、病院へ行くにも動けないくらい…
とりあえず、一晩(今思えば救急車を呼べばよかったのだろうけど当時は痛すぎて何にも考えられなかった)痛みが落ち着くまで待って急いで病院へ。
ところが…「名医」は問診するどころか「何をしにきたんだ!」といわんばかりの面持ちで
「排卵剤を飲むと時々そういうことが起こる。気にするな。」とのこと。絶対、おかしいよねええ…というわけでそれ以来、人がいう名医は信じないことにしたのでした…(どんなけ長い前ふり…)

以前の苦い経験もあったので病院探しには結構時間をかけました。
病院へ通うことになると阿偉くんがいつもついて来てくれるとは限らないし…。自分でMRTやバスで通える場所で不妊治療のある病院…。
インターネットや実際の評判、病院の感じなんかを総合して最終的に長庚医院の生殖医学中心(台湾では不妊外来をそう呼ぶようです)にお世話になることにしました


担当医は謝医師。お医者さまの中では若いほうだと思う。とても色の白いきれいな先生…治療には関係ないけど。
初診だったので一通り話しをした後でとりあえず、検査をしてから今後のことを決めていきましょう、ということになりました。…ま、当然といえば当然で。
子宮卵管撮影、血液検査、精液検査の予約。精液検査は別に当日でもよかったのだけれど、阿偉くんの心の準備ができてなかったのでとりあえず、ほかの検査と一緒にすることとなりました阿偉くん、加油!!

何から書こうかな~。

2010-03-25 | 日記
や~っとのことで夫君の阿偉の転勤先中国から台湾へ

私は決してアンチ中国派ではないと思う。でも本当に生活に順応できず、本当に辛かった…。恐らく、上海や北京など大都会であればそんなことはないのかもしれない。
でも…阿偉の転勤先は昆山という台湾企業のたくさん集まる場所。
いえば、上海などに比べればかなりの田舎…。しかも、工場ともなれば、従業員の質はお世辞にもよいとは言えない…
現に私たちが滞在中に従業員の窃盗、付近の警察のタカリなど日本や台湾では考えられないことが普通に起きてくれるからコワい…

そんな生活にどうしても慣れることができず、会社へ異動願いを出して半年、やっとのことで帰ることができました

中国への転勤する前、仕事を持っていた私は1~2ヶ月に一度出張がある身であったので子供のいない私たちを周りは子供を生みたくないのだろうと勝手に理解していたようです。
私たち本人は特に何も気にしていなかったのだけれど…
でも私が仕事を辞めて中国へ行くとなったときはみんな口をそろえて「これでゆっくり子作りに専念できるわよ~」なんて言われていました

でもでもでもっ!!現実はそんなに甘くなかったんです
毎回、台湾に帰ってきたときには「まだ?」…いや、残念ながら…
そんな会話が続いて帰台する前には姑に「子供ができないなら、早く病院でみてもらいなさいよ!!」と意味もなく叱られる始末…

私だってできれば早く欲しいわよ…人の気も知らずに…
ということで台湾への異動が決まったのをきっかけに不妊治療を始めることになったのです…。