金寶
2015-05-31 | 日記
おととい、午後に阿偉さんのおじいさんが亡くなりました。
私たちが結婚したころはとても元気でまだ斗六で農家をしていたのですが
おばあさんが亡くなってからは急激に衰え始め、
痴ほう症の症状が出始めたのでここ3年くらいは台北に住むおじさんの家に住んでいました。
でも、やはりお年寄りにとって生活環境の大きな変化はあまりよくなかったようで
おばさんが何か月かに一度田舎へ帰るときに一緒に連れて帰るととても元気になって
庭にある菜園を耕したり、柳丁の剪定をしたりと忙しく働けているのに
台北へ戻ると痴ほう症がひどくなったり…という状態が続き
ここ半年くらいはほぼ寝たきり状態になっていました。
1年ぐらい前までは自分の子供や孫の名前は言えていたようですが
寝たきりになってからはそれすらわからないこともあったようです。
私とは年に何回か会うぐらいでしたが
日本時代、日本の高等学校まで出られていたのでかなり日本語が流暢で
いつも昔の話を日本語で話してくれました。
初めて田舎のお家へ行ったときなどご近所に
「この子は日本から嫁にきてくれた日本人なんだ」と自慢?してまわったことを覚えています。
おかげで行って1時間もしないうちにご近所のみなさんが私を知ってくださいました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
そんなことを思うととても寂しいです。
阿偉さんのお義母さん方のおじいさんということもあって
法事などのお手伝いすることはないようですが
せめておじいさんにお供えする金寶を作るお手伝いをしています。
金寶は昔のお金を意味するようで
7日ごとの法事の際に紙で作った蓮華の花などと一緒に燃やしてお供えします。
毎回段ボールに何箱分か燃やすので多ければ多いほどいいようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/26/04e4fc4b62bedd268c11c1b606c80059.jpg)
ここ数年はご本人にとっては決して幸せとは言えなかったんだろうけど
天国ではおばあさんと一緒に仲良く暮らせますように。
私たちが結婚したころはとても元気でまだ斗六で農家をしていたのですが
おばあさんが亡くなってからは急激に衰え始め、
痴ほう症の症状が出始めたのでここ3年くらいは台北に住むおじさんの家に住んでいました。
でも、やはりお年寄りにとって生活環境の大きな変化はあまりよくなかったようで
おばさんが何か月かに一度田舎へ帰るときに一緒に連れて帰るととても元気になって
庭にある菜園を耕したり、柳丁の剪定をしたりと忙しく働けているのに
台北へ戻ると痴ほう症がひどくなったり…という状態が続き
ここ半年くらいはほぼ寝たきり状態になっていました。
1年ぐらい前までは自分の子供や孫の名前は言えていたようですが
寝たきりになってからはそれすらわからないこともあったようです。
私とは年に何回か会うぐらいでしたが
日本時代、日本の高等学校まで出られていたのでかなり日本語が流暢で
いつも昔の話を日本語で話してくれました。
初めて田舎のお家へ行ったときなどご近所に
「この子は日本から嫁にきてくれた日本人なんだ」と自慢?してまわったことを覚えています。
おかげで行って1時間もしないうちにご近所のみなさんが私を知ってくださいました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
そんなことを思うととても寂しいです。
阿偉さんのお義母さん方のおじいさんということもあって
法事などのお手伝いすることはないようですが
せめておじいさんにお供えする金寶を作るお手伝いをしています。
金寶は昔のお金を意味するようで
7日ごとの法事の際に紙で作った蓮華の花などと一緒に燃やしてお供えします。
毎回段ボールに何箱分か燃やすので多ければ多いほどいいようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/26/04e4fc4b62bedd268c11c1b606c80059.jpg)
ここ数年はご本人にとっては決して幸せとは言えなかったんだろうけど
天国ではおばあさんと一緒に仲良く暮らせますように。