暇つぶしです

私が思いついた事を書くだけのブログです。

みんな貧乏になれば

2012-07-15 14:05:18 | Weblog

 みんな貧乏になれば。とりあえず、心の平穏は手に入れられると思う。

 アイスランドで、金融危機の結果、国の経済が破綻した。しかし、その後の調査では、それ以前よりも、アイルランド人の、幸福感は高くなったという。その理由を彼らは、家族とのコミュニケーションが増えたため、と言っていると。

 

 経済的に貧しくなれば、不幸を感じるかと言えばそうでもないらしい。

 『ブータンの人達は幸せを感じている』と言っている人がいるが。でも、ブータンというのは、明らかにチベット仏教である。そのチベット仏教の総本山である、チベットは、中国に侵略されて、チベット人は、不幸になっている。軍事力を拒否するとこういう目にあう。結局、ブータンが、独立国であるという幸福を享受しているのは、ただの幸運に過ぎない。日本がブータン人のように、幸福を感じられるような状態にしたいからと言っても、日本は、日本人としての、独自の道を模索しなければならないと思う。ブータンみたいな、どこも海に面していない国を欲しいという国はあまりいないが、周囲を海に囲まれた国を欲しいという国はいっぱいいるということで。

 

 とりあえず、公務員の給料を減らせば、臨時的雇用で、月12万で働いている人達は、心の平安を得ると思う。

 金持ちというのは、遠くにいても、嫉妬を感じないが。近くにいる人がちょっと金を持っていると、嫉妬を感じる。

 発展途上国の人が、ビル・ゲイツはずるい、と言うであろうか。多分、どこか遠くの世界の話だと思っているであろう。でも、アメリカ人はずるいと思っているかも知れないということで。

 

 『競争しないと、正社員になれませんよ』と、社会の人達は言う。でも、「問題は、正社員という、立場を、普通の立場とする事にあるのではないか」と思う。みんな、貧乏になれば、とりあえず、心の平安を得ることが出来る。派遣やパートが標準的な雇用であると言う事になれば、とりあえず、多くの人達は心の平安を得ることが出来るのではないか、と。そんな気がするのだけれども。

 

 ヨーロッパ人の一般庶民が、日本人よりも、幸福を感じているように見えるのは、競争を下りたからであると思う。アメリカの、アメリカンドリームは、『すべての人は、努力次第で、金持ちになる事が出来ますよ』というものである。だから、アメリカは、すべての人が、競争しなければならない。『勝ち組の側に入らなければ、幸せになる事が出来ない』。それが、今のアメリカであるということで。正直言って、『貧乏人が、不幸になる事は当然の結果である』と言っているのが、今のアメリカであるということで。才能のある、一部の人達にとっては、素晴らしいが、普通の一般庶民にとって、しんどいのが、今のアメリカであるということで。

 

 「“みんな”を競争に巻き込むのは、もう止めにしたい」と。

 

 バーシャルは言う。『「そんなこと信じられない。私は頑張って、豊かさを手に入れたいのだ」と言えば、宇宙は「そう、そうだね」と言って、その通りしてくれます。あなたが、「もう、頑張りたくないのだ。私は、頑張らないで、幸せになりたいのだ」と思えば、宇宙はその通りしてくれます』と。

 

 私達は、“頑張らなくても”豊かさを手に入れられる社会というものを、模索すべきではないかと思う。経済成長を前提とするのではなくて。マイナス経済成長を前提とした上で、どうやったら、幸せを感じられるかという社会秩序を築き上げることが出来るのかと言う事について、考えるべきではないかと思う。

 

 ありていに言えば。本当はみんな、“頑張る事”それ自体に疲れている。“頑張らないで”幸せを感じられるようになりたいよ、と、多くの人が本当は望んでいる。

 

 橋本さんの意見は、一般民衆の意見を反映しているだけだと思う。本当はみんな、『公務員はずるい』『働かないで、お金を得られる、生活保護受給者はずるい』と思っている。多分、そこを、反映しているだけなのだと思う。

 

 まあ、マスコミは、『正社員が標準的な働き方なのに』という。でも、本当は、みんな、その思想に飽き飽きしているということで。正社員も、パートのような状態になれば良いのに、と実は、みんな思っているということで。

 

 若い人が投票に行くと、『子ども手当法案の成立希望行為』と言って批判していた言論人がいたが。未来を切り開くのは、常に若い世代である。本当は、「高齢者は、選挙権をはく奪しろ」くらいに言っても、構わないぐらいだと思う。浮動票こそ、未来を切り開く結果をもたらす訳で。組織票は、未来を切り開かない、ただの現状維持にしかならないということで。

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私達はどこへ行くのだろう

2012-07-15 12:26:18 | Weblog

 『私達はどこへ行くのだろう』

 

 橋本さんは、面白いのだけれども。どこへ行くのか、分からない。分からない理由は、『あの山の頂上を目指して』というのではなくて、『今よりも、高い所へ行こう』という方法だからだと思う。

 

 三橋貴明さんは、日本の景気を良くするためと言って、『公務員の給料を下げるとGDPは減少する』とか、『公共事業を増やせ』というが、橋本さんのやっている事は、その反対である。すなわち、三橋貴明さん的言い方によれば、日本のGDPを減少させる政策を推進している事になる。

 

 でも、堺屋太一さんの説明によれば、要するに、GDPの成長が見込めない、はっきり言うと、減少するのが、社会的正義である時代になったのだと思う。堺屋太一さんの、この説明は、1990年代前半に書かれた本の説明である。堺屋太一さんのこの論から、20後、この予想に基づいた倫理から、政治を行うものが現れたということで。

 

 あるネット記事の説明によれば。国家公務員の平均給与は、民間の2倍だそうである。すなわち、本当は、公務員の給料は、今の半分であるべきである、という意味だと思う。

 

 もちろん、この政策を実行すれば、日本のGDPは減少するであろう。でも、問題は、それの何がいけないのか、と言う事だと思う。今は、日本のGDPを減少させる政策が、社会的正義になっている時代なのである。そこの所を考え直さなければならないと思う。

 同じように、右翼的、保守的に見えたとしても、橋本さんと、自民党の考えは全然違う。GDPを減少させる政策を取るか、公共事業を10年間で200兆円投資するというGDP増加計画とは、全然立場が違う事に、気付かなければならないと思う。

 

 『若い人達が車を買わなくなった』『海外旅行に行かなくなった』。それが問題だと、言論人は言う。すなわち、GDPを減少させるような行為は、間違っている、と。

 

 世間では、『一生懸命に頑張らないと、競争しないと、お金持ちになる事が出来ないよ』と言う。でも、私は、「頑張らないで、お金を稼がないで、幸せに生きていく方法が知りたい」。

 

 『出生率の低下が問題だ』と。言論人は言う。しかし、人余りの時代の、出生率が低下するのは、自然の摂理だと思う。出生率の低下におかげで、次の世代の子ども達の時代には、失業率が低下するであろう、と。

 

 豊かさって何だろう。

 GDPを増加、すなわち給料を増加させる事ではないと思う。お金を使わないで、豊かさを感じる事だと思う。

 

 堺屋太一さんは、こう書いている。『有り余るものを豊富に使用し、足りないものを、少なく使う。それが、人間の持っている、優しい情知である』と。

 バブルの頃までは、“お金”があり余っていたから。お金を豊富に使う事がかっこいいことであった。その代わり時間が希少だったから。『お忙しい所すみません』が礼儀であった。

 今は、情報がただみたいな時代だから。ネットをする事が、善行になった。その代わり、お金が希少だから。お金のかかる、車は買わないというのが、善行になったということで。

 

 最終的には、公務員の給料が、今の半分になるまで、おさまりがつかないと思う。今の国民が本当に納得する道はこの道だからして。

 

 確かに、橋本さんは、ヒットラーに似ている。「本人は空っぽ」な感じ。つまり、世間が言って欲しいと望んでいる事を、言っているだけのような気がするのである。

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