暇つぶしです

私が思いついた事を書くだけのブログです。

地獄は認識の中にある

2012-07-19 17:13:03 | Weblog

 『地獄は認識の中にある』

 

 『ガイドからの手助けを得るための方法は、感謝の念を持って生きる事です』と書いてある文章を見つけたが。ガイド、霊界からの援助は関係ないと思う。

 私が書いたのは、『感謝の念を持って生きている人と、不満ばっかり言って生きている人と、どちらの人間を採用したいと思うでしょうか』という言葉です。本当は、『感謝の念を持って生きる人生を選ぶのか、不満ばっかり言って生きる人生を生きるのか、あなたはどちらの選択をしますか』と書きたかったのだけれども。

 

 別に、“地獄”なんていうのはないと思う。でも、“地獄”を感じて生きている人達がいます。この世を、地獄のような世界であると認識して生きている人がいます。

 世界とは、ただの認識の問題に過ぎないと思う。

 

 二人の人間が散歩しています。一方は、頭の中で、物理学の事を考えながら歩いていて。もう一人の方は、今日の晩御飯何にするかについて考えながら歩いています。この二人にとって、世界というのは、同じものだろうかと思う。

 よく思うけれども。毎日、朝日新聞を読んでいる人と、スポーツ新聞を読んでいる人とでは、『これが私にとって、世界なのだ』と考えている、世界認識が違うと思う。同じように、見掛け上は、この日本に住んでいるように見えたとしても。同じ世界の下には生きていない。そう思うのだけれども。

 

 地獄なんて、存在しない。でも、この世界を地獄のように感じて生きている人達はいるように思う。

 『愚痴ばっかり言うな』と私は言いたい。そして、周りの人は、愚痴ばっかり言う人達から離れていくでしょうね。神による罰はある。でも、神が罰を与えている訳ではなく。人間が罰を与えている。別に、神が意図的に罰を与えている訳ではないが。悪い思考には、それなりの報いは受けるということで。

 

 階層度(抽象度)を上げる事について書きたいと思う。

 リストラにあったら、誰でも悲しいと思う。でも、それがリストラしないと、会社が倒産するような状態であったとしたらどうだろうかと思う。

 いじめにあったら辛い。でも、いつまでも引きずるのは、人生を無駄にしていると思う。

 許しは他者の為にするのではなく、自分の為にするものである。

 『会社はリストラせざるを得ない状態だったのだ』という理解があれば、許しが起きる。そして、『私はリストラにあった、みじめな自分なのだ』という事に対する許しも起きる。

 すべてを許してからではないと、前には進めないのが、人間というものかも知れない。

 結局、問題は、感情だ。憎しみを持って人生を生きるのか、許しを持って人生を生きるのか。憎しみを持って生きる人達と仲良くしたいという人がいるであろうか。そういう憎しみを持って生きる人に近づいてくるのは、詐欺師しかいないであろう。そして、憎しみを持って生きる人達は不幸になるであろうと思う。

 

 『知識が何の役に立つの?』と考えている人もいるだろうと思う。でも、『リストラせざるを得ない状況だったのだ』と分かれば、自分と会社と自分をリストラした人達の事を許せるようになる。知識がなければ、その判断がつかずに、ずっと怒りを感じた、みじめさを感じたまま生きる事になる。それでは、人生を幸福に生きる事は難しいだろうと思う。

 

 地獄は、“あなたが感じる事”の中にある。物質的、客観的事項にはない、と。

 

 だから、相手に対して、『地獄に堕ちろ』とか考える必要はないのだと思う。相手が本当の悪人であれば、もう既に地獄に落ちた思考を持っているからである。『なんで、自分はこんなに苦しんでいるのに、相手は、良い世界にいるのだ』と感じていたとしたら。それは、あなたの思考が地獄的な思考にいるだけなのである。

 神は、常に悪い思考の持ち主に対して、罰を与えている。でも、それは、物質的に、客観的に見える状況によってではないかも知れない。見る目があれば、見える。悪い思考の持ち主には、ちゃんと、それに応じた罰がある事を。

 

 ちなみに。“NO”と言えない人がいる。犯罪者を告発出来ない人達がいる。それは、善行ではなく、悪行である。あなたが犯罪を告発出来ないと、犯罪者は、また次の犯罪行為をやってしまうであろう。だから、犯罪者に対して、NOを言えないのは、悪行の一つである。

 人生には、学ばなければならない事がたくさんある。“NO”を言えない人達は、“NO”と言う事を、学ぶ為に生まれてきたのだと、自覚する必要があると思う。『犯罪者がぬくぬくとしている。私はこんなに不幸なのに』と感じている人がいるとすれば。それは、犯罪を告発しなかった、あなたの責任である。すべての不幸な思考には、自分自身に責任がある。他者にはない。その事を考えなければ。“やる事をすべてやった”と信じられるのであれば、次のステップ(段階)に進めるであろう。憎しみに捕らわれているのであれば。それは、あなたが、するべき事をしていないからである。問題は、自分の過ちにあるのに、それを、他者のせいにしてはいけないと思う。

 

 強姦被害を誰にも言わない人が、被害者の8割ほどにも上るらしいと。これは、絶対に、善行でも、優しさでもないと思う。それは、その人達が、弱いからである。

 “セカンドレイプ”という人達がいるが。犯罪行為を告発しないのは、その人達の過ちだと言わなければならないと思う。被害者には、犯罪者を告発する義務があると思う。被害を言わないのは、その人の正しさの証拠ではなく、その人の過ちの証明であると思う。

 

 『完璧な存在なら、この地球上に生まれてくる必要はない』と言っている人がいます。すべての人の“学ばなければならない”事があるのだと思う。“自分自身にとっての完璧な幸福”が実現出来たら、すべての学びを終えたら、この地球に生まれてくる必要はないと思う。だから。すべての人は、どこか欠けている。偉大な数学者は、料理が出来ないかも知れない。でも、それで良いのだと思う。自分が、幸せを感じる思考を持っていれば。

 地球が分離するという意見を言う存在がいるが。幸せを感じて生きている人達と、不幸を感じて生きている人達とに、分かれるのかも知れないと思っている。障害があっても、難病に掛っていても、周囲に対する感謝の念を感じながら生きて行く事は可能だと思う。でも、もちろん、不満たらたらで生きている人達も大勢いるけれども。知的障害があるからと言って、皆善人でない事は知っている。でも、勇気ある魂であるのかも知れない。“自分を変えよう”という意思を持った勇気ある魂であると言う事は言えるかも知れないと思う。ぼーっと健常者として、生まれる事によっては見えてこない世界が、障害を持って生まれてくるというチャレンジ(挑戦)には付きまとってくる訳だからして。

 

 「パズルのピース(かけら)を全部集めたら、成功だ」という意見があるように思う。全部のピース、王様、奴隷、男性、女性、子ども、高齢者、世界のあらゆる立場、そのすべての立場を経験したら、人生を存分に生きた事になる、という話である。一つの人生では、そのすべてを経験することは、無理だけど。たくさんの人生を生きれば、それが可能かも知れない。それが、生命の目的だと言っている存在がいます。

 

 『階層度(抽象度)を上げた思考が出来るようになれ』と言っているけれども。本当は、「すべての人の立場を理解出来る存在になれ」すなわち「神のような存在になれ」という意味かも知れないけれども。“神”とは、“すべてを含む集合体”なのだそうだからして。

 “科学理論”とは、“すべての現象を説明するより大きな理論”を思いついたら、科学理論としては成功らしい。つまり、“よりすべてに近い事を説明する理論”を思いついたら、科学理論としては、成功だ、ということであろう、と。

 別に、“リストラする側”と“リストラされる側”を含む正義はないけれども。“どちらの立場も理解出来るようになる事”それが、よりレベルの高い人間、存在になっていくという意味ではないかと私は思う。

 

 “幸福感”とは、ただの認識に過ぎない。でも、相手の立場について、考える事が出来ない人間が、幸福感を感じる人間になる事は難しいと思う。

 「恨み辛みはもういらない」と思うけれども。でも、相手の事を、憎んでいる人達がいる。でも、それは、相手が悪いのではなく、そういう思考を持ってしまった、自分の問題である。“相手の立場について、考える事が出来ない”という、その人自身の過ちに関する問題であると思う。

 

 後、不幸を感じる理由として。“自分の社会的立場が全然分かっていない人達”がいるのだよね。

 『時給700円は安い』と言ったって。他の会社でそれ以上高い賃金で雇われる見込みがなければ、その時給は今雇ってくれている会社に対して、感謝してもらうべき賃金である。それを、他の会社でそれ以上高い賃金で雇われる見込みのない人にも関わらず、『賃金が低い』と言って、文句を言っている人達がいるのだよね。本当に馬鹿な行為、思想だと思う。結局、「自分の置かれている立場が分かっていない」ということだと思う。

 知識がなくても、馬鹿だとは思わないけれども。『私はこの夫と一緒に暮らすしか、ないのである』と考えているのであれば、夫の悪口を言うのは過ちである。『私はこの日本で暮らすしか、ないのである』と考えているのであれば。日本の悪口はいらない。私はそう思うのだけれども。

 

 とにかく、“もらえれば良いのだ”と考えている人がいるように思う。『宝くじが当たらないかな。そうすれば、私の人生は変わるのに』と待っている人達の事である。

 でも、仕事というのは、他者に対して利益を与えた分だけもらえるのが、正当な賃金だと思う。だから、振り込め詐欺でお金が入ったとしても、それは犯罪行為であるし。生活保護でお金が入ったとしても、それは、別にあなたが素晴らしい人間であるという証拠にはならない。

 関係ないが。他人からお金をせしめて、おごってもらって、“普通の事”と思っている人達がいる。もらう事に対する感謝の念がないと、他人からは嫌われる。でも、それが、分からない人達がいるようである、と言う事で。

 『どんな方法でも良いから、お金を得たら良いのだ』という考えは間違っていると思う。そして、そういう思考が、結局、最終的には、『自分は不幸な人間である』と感じる原因を作っているように思う。一時的に、“働かないで”金をせしめることに成功したとしても、そういう人達が、幸福を感じる人生を生きる事は難しいであろうと思う。

 

 結局、“認識”の問題なのだ。『宝くじが当たったら』という、外部から見える事項は、感じる幸福の、ほんの一側面に過ぎない、と。

 

 『加害者も被害者も存在しない』と言っている存在がいます。

 『ブラジル人とブラジルで合弁会社を作ろうとして、ブラジル人に多大な金額を騙し取られた』と言って、不幸を感じる思考になっている人がいます。

 「ブラジルで、ブラジル人と合弁会社を作ろうとして、ブラジル人にお金をだまし取られる可能性を考えなかったのは、あなたの過ちである」と思う。ブラジル人からすれば、絶対に『金持ち日本人だから、多少の金は騙し取っても良いだろう』くらいの事は考えているはずだからして。

 結局、“相手の立場”についての思考が全然及んでいないのだよね。相手がどういう思考を持っているかについて、全然想像することが出来ていない。だから、“騙された”段階で、『騙された』と叫ぶ。ブラジル人とブラジルで合弁会社を作るなんていう行為は、ブラジル人に騙される覚悟でしなければならない行為なのに、と。

 

 自分の立場と相手の立場、世間における自分の立場を理解する、想像する事の出来ない人間には、不幸を感じる出来事が起きる。「そんな事は、織り込みずみで行動しろよ」と思うのだけれども。彼らには、相手の立場を想像する、想像力に欠けているのだろうと思う。だから、普通の人にとって、「そんな事は織り込み済みで」という行為に出会っても、“不幸を感じてしまう”ということで。

 

 詐欺師にあって、『詐欺だ』と不幸を感じてしまうのは、不幸を感じる方に問題があると思う。日経平均株価が下がって誰に文句を言おうというのであろうか。そんな事は、織り込み済みで行動して欲しいと、知識ある人達は思う。ただ、それだけの話だと思う。

 

 “被害者意識”のまま永遠にとどまるのは、愚かな事である。仕返ししたいであればすれば良いではないか。あなたの出来る範囲で。その仕返しが上手くいかないというのであれば。それはあなたの主張が社会的に見て妥当なものではないからである。自分の過ちに気付かずに、相手の人間を恨んでも仕方ないと思う。それはあなたの過ちであろうと思う。

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