道彦の散歩道

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5/19 落雁&五家宝

2014年05月19日 | スイ-ツ・お菓子

【落雁】

「落雁」は、米などから作った澱粉質の粉に水飴や砂糖を混ぜて着色し、型に押して乾燥させた干菓子である。型に押す際に、餡や小豆、栗などを入れて一緒に押し固めるものもある。
名は近江八景の「堅田の落雁」にちなんで付けられたという説と、中国の軟落甘の「軟」が欠落したという説とがある。

『製法』

「落雁」の製法には二通りある。

1.すでに蒸して乾燥させた米の粉を用い、これに水飴や砂糖を加えて練り型にはめた後、ホイロで乾燥させたもの。

2.加熱していない米の粉を用いて1同様に水飴を加えて成形し、蒸籠で蒸し上げた後、ホイロで乾燥させたもの。

通常は、前者は落雁、後者は白雪糕(はくせつこう)と呼ばれるものである。後者は新潟県長岡市の「越の雪」が有名である。ただし、改良の末、前者に限りなく近い製法となっている。

製法は明時代の中国における軟落甘に基づく。これは小麦粉・米粉を水飴や脂肪で練り固めて乾燥させた菓子で、西~中央アジアに由来するといわれ、元時代に中国に伝来した。
これが室町時代に日明貿易で伝わり、茶道の勃興によって広まった。なお、中国にはこの「軟酪甘」が現在も存在しており、長崎市には「軟落甘」が江戸時代に再上陸したものとして「口砂香」と言われる「落雁」がある。

江戸時代には加賀藩が大々的に製菓事業に対して奨励策を取ったことから、金沢市では「落雁」の技術が進化しており、「長生殿」はこうした成果の一つである。なお、この原料である糯は軍事作戦には不可欠の食料であるため、奨励策は軍備維持における糯の在庫処分ではないかという説もある。

また、松江藩でも松平治郷が茶の湯と共に和菓子を奨励したため、山川という「落雁」を生み出しており、前述の「越の雪」・「長生殿」と共に日本三大銘菓として挙げられている。

このように茶席菓子や供物などに用いられていることが多かったことから、茶の湯では薄茶点前に供される定番の菓子となっている。また、仏事の供物として用いられることも多い。このことから、「落雁」は和菓子の中でも高級なものとされている。このような高貴な場に供されるものは、糖類に和三盆、または精製された糖蜜の少ない黒砂糖が使われる。

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【五家宝】

「五家宝」とは和菓子の一つで、おこし種を水飴で固め棒状にした芯をきな粉に水飴などを混ぜた皮で巻き付け、さらに黄粉を表面にまぶしたものであり、青色のものは青大豆を用いて製造されている。

『発祥』

発祥には諸説ある。

■―水戸藩の銘菓「吉原殿中」を元に改良を加えたという説。

■―幕末に下総国露村(現在の茨城県猿島郡五露町)で開発されたという説。

■―文化年間に武蔵国不働岡(現在の埼玉県加須市)で開発されたという説

■―享保年間に上野国五箇村(現在の群馬県千代田町)で開発されれたという説。

■―原料に「五穀」を用いたことから名付けられたとう説。

『現在』

埼玉県熊谷市の銘菓として知られ市内各地に取扱店舗があるほか、希に公立小中学校の学校給食に出ることがある。
草加市の草加煎餅・川越市の芋菓子と共に埼玉の三大銘菓とされており、埼玉の音風景・かおり風景10選の一つ(かおり風景)にも選定ささされている。
熊谷市では「五嘉棒」の名で文政年間に熊谷で売り出され、その後「五嘉宝」、「五箇宝」表記を経て、「五穀は家の宝である」という祈りを込めて現在の表記になったと紹介している。

また、前述の不働岡を市域に含む加須市でも特産品となっている。加須市では約130年前から総願寺の門前で売られていたと紹介している。なお、熊谷市や加須市以外ぶも販売を行っている企業も多い。

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