森住卓さんの写真はこれまで拝見する機会が何回かあった。
埼玉にいた頃、「イラク戦争」「クラスター爆弾」などのパネル展で、
豊田直巳さんの写真などと共に使わせて頂いた。
でも、お話を聞くのは初めて。
予想以上に衝撃的だった。
初めに紹介された写真は、セミパラチンスク核実験場。
旧ソ連初の核実験場で、広さは日本の四国ほどもあり、
1949年~1995年まで、そこで467回もの実験が行われたという。
特に信じられない思いで聴いたのは、たった一人生き残ったカイナール村の男の話。
その核実験が非常に危険だったので、サハロフ博士が住民の避難を軍に進言した。
けれど軍は、42人の男たちには任務を与え、村に残るよう命じた。
その後、その男たちの41人は癌や白血病で亡くなり、一人だけが生き残ったという。
軍による人体実験だったのだろうか?
いずれにしても殺人行為だ。
また、ドロン村では、
森住さんがいつものように取材目的を告げ、核被害による患者の紹介を頼むと、
看護婦さんがとても困った顔をしたという。それは・・・
その村ではほぼ全員が何らかの病(放射能が原因と思われる病)に冒されていたので、
誰を紹介すべきか迷っていたらしい。
カザフスタンでは、このような悲惨な核被害者を救おうとする運動が一時盛り上がったが、
今は違う。
なぜなら、原発に使うウラン資源が注目され、現在は世界第2位の輸出国となったから。
核被害を口にすることができなくなってきたという。
人間ってなんて愚かなんだろう・・・
次に紹介されたのは、イラクの写真。
劣化ウラン弾の被害者、おもに子どもや赤ん坊で、目を覆いたくなるものばかり。
マンスール病院で出会った子どもたち。
退院していく可愛い女の子。
そのお母さんが言った。
「よくなったから退院するんじゃないのよ。薬がないので退院するの」
お腹がパンパンに膨らんだこども。
やはり医者は為す術もなく注射針で水を抜くだけ。
が、麻酔薬もないので針をさす度にものすごい叫び声をあげていたという。
別の産科病院では、当時、1000人中3人の奇形児が生まれていた。
ある朝、森住さんが行くと、脳症の赤ちゃんが生まれていて、
ドクターは森住さんに「しっかり写真を撮ってくれ」と言った。
「この子はあと30分ほどで亡くなる。
でも、あなたが写真を撮って世界に伝えてくれたら、この子も生まれてきた意味がある」
ファルージャやラマディでは、今も奇形の赤ちゃんが生まれ続けている。
しかし、それと劣化ウラン弾の関係をアメリカは否定し続けている。
それを証明しようとしない国際社会も、アメリカと同罪ではないか?
写真のこどもたちがそう語っているような気がした。
本題の福島については、写真ではなく動画から始まった。
森住さんたちJVJA(日本ビジュアル・ジャーナリスト協会)の数名(4,5人?)と
DAYS JAPAN の広河隆一さんたちは、3月13日には福島入りして、
ナビを頼りに、福島第1原発周辺を移動して、現場を録画し、
それぞれが持参したカウンターで放射能を測定し、
数値が高いところでは、住人に避難を呼び掛けてまわった。
あちこちで針が振り切れ、森住さんたち自身が狼狽する様子がそのまま映されていた。
その後の取材の様子は写真を使って説明された。
特に印象的だったのは、やはり飯館村。
6500人の小さな村だが、最近は後継者の若者が育ってきて、希望に満ちていたという。
春は花が咲き乱れ、山菜採りが楽しみだったそうだ。
村には11件の酪農家がいた。
田中さんは酪農家を初めて10年目。
この人は〇〇さん、この人は××さん・・・
みんな廃業した。
骨と皮になった牛の写真。
手塩にかけて育てた牛がトラックに乗せられて行くのを見送る女性の写真。
「ごめんね、ごめんね」と声をかけ続けていたという。
空っぽになった牛舎の真ん中で立ち尽くす夫婦の写真。
最後に見せられたのは、相馬市の酪農家の言葉。
馬鹿につける薬無し
原発で手足ちぎられ酪農家
そして、「原発さえなければ」と記して自殺した、あの男性が壁に書いた文字だった。
森住さんは、福島の話を始める前に、こう言った。
空港からここまでドライブさせてもらって、美しい大村湾を見ながら、
ここでは何の抵抗もなく空気を吸っていいんだ…と感じました。
向こうにいる時は、呼吸をするごとにストレスが溜まっていくようだった。。
なんだかすごく申し訳ない気持ちになった。
申し訳ないけれど、私たちに福島の空気をきれいにする力はない。
過去にはもどせない。
私たちにできるのは、福島の皆さんに、長崎で暮らしませんか?
九州に越して来ませんか?と声をかけること。
政府に帰村ではなく廃村を求めること。
福島の人たちが安全な場所に永住できる政策への転換を求めること。
そして、何より、
日本中の原発を廃止し、原発の輸出も止めること。
私たちはそれを願っていると声をあげること。。