「すいませーん。もう一回探してもらいたいんじゃが・・・」
「あら!まだ見つからんですか?でも、こっちにもないんですよ。ほらね。」
と、診察券入れの箱やファイルなどを取り出してみせる看護師さん。
「そうですか。すいませんね、何度も。」
「いいんですよ。でも、困りましたね。持ち物の中はよく見らしたとですか?」
「私は見とりませんけどね、本人はよう見たと言うとですよ。いつも診察券をもろうたらポケットに入れるけん、荷物ん中にあるわけなかちゅうて…」
「そうですかぁ。でもですね、こっちもですね、検査のコップを渡すときに診察券も一緒に返してますからねぇ、検査が終わったということはですよ、診察券も持っていかしたはずなんですよね。わかりますぅー?」
そのようなやりとりがしばらく隣で続いていた。
検査のための採血採尿受付窓口である。
私は受付の前の廊下にある長椅子の一番端、窓口の隣に座っていたので、耳元で交わされる会話がすべて聞こえていた。
その内容から判断すると、窓口に何度も足を運んでいるこのおばあさん(薄手のブラウスにモンペのようなズボン、運動靴、背中にはリュックをしょっているが、お顔を見ると深い皺が刻まれ、歳の頃は80代に見えた)は、夫に付き添って来ているようで、夫が検査や診察などすべて終え、会計窓口に行こうとしたら診察券がないことに気づいたらしい。
夫はどこかで待っているのだろう。本人自身が窓口に来ないのは、歩行困難なのか、病状のせいなのか、はたまた日頃から面倒なことは妻に頼むたちなのか、その理由は全くわからないが、このおばあさんが夫に代わってあちこち(立ち寄ったところすべて)巡り、訊ねているようなのだ。
急に秋らしい気温に下がったうすら寒い日だったのに、おばあさんの額には玉のような汗が浮かんでいた。いわゆる老老介護を連想させられた。
おばあさんのブラウスの胸には安全ピンが5つも留めてあった。
何のためだろう。。介護に関係あるのだろうか?
私の乏しい想像力では見当もつかなかった。
おばあさんは私がここに座る前に2回ほど尋ねに来ていたらしい。
そして同じような会話をくりかえしているらしかった。
そんなおばあさんに、一言一言きちんと返している看護師さんの優しさに感心した。
看護師さん達はひっきりなしに出入りする患者への応対で、とても忙しそうだった。
窓口に来た人の診察券を受取り、「名前をお呼びするまで少々こちらでお待ち下さい」などと言い、
順番がきた人の名前を呼び採血の部屋に案内したり、
採尿者には紙コップを渡し隣のトイレで採尿後の段取りを説明したり(このときたしかに診察券も返却していた)、
採血が終わって出てきた人に診察券を渡しながら、次はどの窓口に行って下さいとか、
検査の結果はいつ頃わかるとか、検査内容について質問されれば丁寧に説明し、
顔見知りの患者には「数値が下がってよかったですね」などと声をかけている。
その合間に、おばあさんに対応しているのだ。
「トイレの中はよく見らしたですか?手を洗う所も」
「トイレはここしか行っとらんけん、隅から隅までみましたよ」
「そうですか。そんなら悪いけどね、もう一回カバンの中を見るように言ってもらえますかねぇ?」
「そうやね。でも、出て来んかったらお金が払えないんで帰られんもんねぇ」
「どうしても出て来んかったら、受付に言えば再発行してくれるから大丈夫ですよ」
「そうですかー。わかりました。何度もすんませんでしたね」と、意外と明るい声で去っていくおばあさん。
大丈夫だろうか?
診察券は出てくるだろうか?
気難しい夫だったら、診察券が出てこないのをまるで妻の落ち度のように責めたりはしないだろうか?
再発行といってもお金がかかったりするのではないか?
手続きも面倒ではないか?
ここの看護師さんたちは忙しくて無理かもしれないけど、誰か対応できるスタッフを呼んであげればいいのに…声の感じや話し方はとても親切そうだけど、やっぱりそれほど親身にはなれないのかな。
私もいつ名前をよばれるかわからないからここを離れたくはないし、この病院には不慣れだし、
見ず知らずの者がよけいなおせっかいかもしれないし…
などと自分の不親切にも心の中で言い訳していたら、
まるで私の心中を見透かしていたように、看護師さんが笑顔で言った。
あのご夫婦はいつもなんですよ。
来るたびに何か探し物をして何回も窓口に来られるんですよ。
でも、いつも出てくるからきっと大丈夫ですよ。
そう言いながら、私の方ではなくおばあさんの後ろ姿を見つめていた看護師さんが
本当に天使のように、いや、そんなに若くはなかったから、マリア様のように見えた。
「あら!まだ見つからんですか?でも、こっちにもないんですよ。ほらね。」
と、診察券入れの箱やファイルなどを取り出してみせる看護師さん。
「そうですか。すいませんね、何度も。」
「いいんですよ。でも、困りましたね。持ち物の中はよく見らしたとですか?」
「私は見とりませんけどね、本人はよう見たと言うとですよ。いつも診察券をもろうたらポケットに入れるけん、荷物ん中にあるわけなかちゅうて…」
「そうですかぁ。でもですね、こっちもですね、検査のコップを渡すときに診察券も一緒に返してますからねぇ、検査が終わったということはですよ、診察券も持っていかしたはずなんですよね。わかりますぅー?」
そのようなやりとりがしばらく隣で続いていた。
検査のための採血採尿受付窓口である。
私は受付の前の廊下にある長椅子の一番端、窓口の隣に座っていたので、耳元で交わされる会話がすべて聞こえていた。
その内容から判断すると、窓口に何度も足を運んでいるこのおばあさん(薄手のブラウスにモンペのようなズボン、運動靴、背中にはリュックをしょっているが、お顔を見ると深い皺が刻まれ、歳の頃は80代に見えた)は、夫に付き添って来ているようで、夫が検査や診察などすべて終え、会計窓口に行こうとしたら診察券がないことに気づいたらしい。
夫はどこかで待っているのだろう。本人自身が窓口に来ないのは、歩行困難なのか、病状のせいなのか、はたまた日頃から面倒なことは妻に頼むたちなのか、その理由は全くわからないが、このおばあさんが夫に代わってあちこち(立ち寄ったところすべて)巡り、訊ねているようなのだ。
急に秋らしい気温に下がったうすら寒い日だったのに、おばあさんの額には玉のような汗が浮かんでいた。いわゆる老老介護を連想させられた。
おばあさんのブラウスの胸には安全ピンが5つも留めてあった。
何のためだろう。。介護に関係あるのだろうか?
私の乏しい想像力では見当もつかなかった。
おばあさんは私がここに座る前に2回ほど尋ねに来ていたらしい。
そして同じような会話をくりかえしているらしかった。
そんなおばあさんに、一言一言きちんと返している看護師さんの優しさに感心した。
看護師さん達はひっきりなしに出入りする患者への応対で、とても忙しそうだった。
窓口に来た人の診察券を受取り、「名前をお呼びするまで少々こちらでお待ち下さい」などと言い、
順番がきた人の名前を呼び採血の部屋に案内したり、
採尿者には紙コップを渡し隣のトイレで採尿後の段取りを説明したり(このときたしかに診察券も返却していた)、
採血が終わって出てきた人に診察券を渡しながら、次はどの窓口に行って下さいとか、
検査の結果はいつ頃わかるとか、検査内容について質問されれば丁寧に説明し、
顔見知りの患者には「数値が下がってよかったですね」などと声をかけている。
その合間に、おばあさんに対応しているのだ。
「トイレの中はよく見らしたですか?手を洗う所も」
「トイレはここしか行っとらんけん、隅から隅までみましたよ」
「そうですか。そんなら悪いけどね、もう一回カバンの中を見るように言ってもらえますかねぇ?」
「そうやね。でも、出て来んかったらお金が払えないんで帰られんもんねぇ」
「どうしても出て来んかったら、受付に言えば再発行してくれるから大丈夫ですよ」
「そうですかー。わかりました。何度もすんませんでしたね」と、意外と明るい声で去っていくおばあさん。
大丈夫だろうか?
診察券は出てくるだろうか?
気難しい夫だったら、診察券が出てこないのをまるで妻の落ち度のように責めたりはしないだろうか?
再発行といってもお金がかかったりするのではないか?
手続きも面倒ではないか?
ここの看護師さんたちは忙しくて無理かもしれないけど、誰か対応できるスタッフを呼んであげればいいのに…声の感じや話し方はとても親切そうだけど、やっぱりそれほど親身にはなれないのかな。
私もいつ名前をよばれるかわからないからここを離れたくはないし、この病院には不慣れだし、
見ず知らずの者がよけいなおせっかいかもしれないし…
などと自分の不親切にも心の中で言い訳していたら、
まるで私の心中を見透かしていたように、看護師さんが笑顔で言った。
あのご夫婦はいつもなんですよ。
来るたびに何か探し物をして何回も窓口に来られるんですよ。
でも、いつも出てくるからきっと大丈夫ですよ。
そう言いながら、私の方ではなくおばあさんの後ろ姿を見つめていた看護師さんが
本当に天使のように、いや、そんなに若くはなかったから、マリア様のように見えた。