年に数回「ペシャワール会」の会報が届く。
2,3日前、その110号が届いた。
ペシャワール会現地代表で、PMS(平和医療団日本)総院長の中村哲医師による報告、その見出しはこうだった。
人と和し自然と和すことは 武力に勝る
―― 平和とは理念ではなく生死の問題
また、会報と共に新聞記事のコピーが同封されていた。
これはめったにないことだが、たぶんその内容が、本文の中に書かれていることを具体的に示していたからだろう。
それは、11月26日の西日本新聞の記事で、その見出しは、「長老の悲痛な謝罪」だった。
今年10月2日、カシコート村の長老たちがPMSに過去の非礼を詫びに来たと言う。
中村医師率いるPMSは、医療団というよりも土木集団と勘違いされるほど、ここ数年アフガンでの灌漑工事に命をかけてきた。
パキスタンやアフガニスタンの辺境の地で医療活動を行っていた中村医師は、人々を救うのは薬よりも水だと気付き、井戸掘りを始めた。
その効果が点で確認された時、これを線に、面にするためには用水路の建設が必要だと確信し着工する。
用水路の線が延びるごとに、砂漠だった大地に緑が広がっていった。
しかし、マルワリード用水路の対岸にあるカシコート地域では、耕地の荒廃で生活できなくなった人々の多くが警備員や傭兵などの職に就き、武装要員の一大供給地となっていた。
彼らは首都カブールに赴任すれば、欧米兵を守るため前線に立たされ、罪のない同胞に発砲を命ぜられた。屈辱感に耐えられず、反政府側に寝返ったり、衝動的に外国兵を狙撃したりする例も・・・
平和医療団PMSに対しても、重機や運転手を拿捕するなどの事件を起こしていた。
そのカシコートの長老たちが頭を下げたのである。
「私たちは闘いに明け暮れる野蛮人になってしまいました」
「武器は解決になりません」
「以前のことは忘れて下さい」と言い、カシコートの大地の回復に手を貸して欲しいとPMSに懇願したのだ。
このような地域での「農村復興」こそ、我々の本来の目的だったと中村氏は言う。
昨年の初夏、ペシャワール会事務局で見せて頂いたたくさんの畑の写真。
砂漠が劇的に緑に変化し、そこで収穫の笑みを浮かべている人々の写真を思い出した。
カシコートの大地もいつかそのような緑に覆われたら、若者たちは人殺しの職に就く必要はなくなる。
その日を願って長老たちが頭を下げ、中村さんもそれを受け入れたのだ。
11月1日、さっそく始まったカシコート側の護岸回復工事の写真もそこに掲載されていた。
人と和し、自然と和すところにだけ自然の恵みはもたらされるに違いない。
そこにだけ本当の平和が訪れるのだろう。