佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

ひむかの国 宮崎

2009-01-13 | 

2009年、たびぞめ(旅初め)です!
5日から7日まで三日間、宮崎へドライブ旅行。

宮崎を選んだのは…とにかく暖かそうだったから。

行ってみたら…ほんとにあったか!
コートが邪魔に感じるくらい穏やかな小春日和でした。

その上、宮崎は予想以上に魅力いっぱいの地で、
また来たい!心からそう思いました。



まず向かったのは西都原古墳群



お皿をふせたようないくつものボコボコ、これ、み~んな古墳です!

東西2km、南北4kmの地域に、311基もの様々な古墳が点在してるんです。
4~7世紀に築かれたものだそうです。

その中の一つ、鬼の屈古墳に入ってみました。












西都原古墳群の中では唯一の横穴式石室。もちろんこれは復元されたもの。
最後の首長のお墓だそうです。





古墳群の一角にあるこの建物は、宮崎県立西都原考古博物館
外見は普通の博物館。入館無料。
一歩中に入ると、不思議な世界が広がっていました。



舟形石棺。重さ1500kg。15号墳より出土。
なぜ、どうやって、こんなに重い石の棺を作ったんだろう?木なら簡単なのに。


熟年男性の頭蓋骨だと書かれています。
すぐ隣には、同じ場所から出土した壮年女性の頭蓋骨もありました。



暗い館内に、このような出土品の数々がスポットライトを浴びて、
まるで芸術作品のように美しく、意味を持って配置されています。
しかも、ガラスケース等で蓋われていない物は自由に手で触ることができるのです。

そして、何よりも、この博物館の壁面にちりばめられた言葉の数々に、驚かされます。













この考古博物館は物を展示しているだけではなかった。
なぜ悠久の昔を探り、知ろうとするのか、それが今を生きる私たちにとって何になるのか…
その熱い思いをも、しっかりと展示している。

矢じりや石斧などの展示物のそばの壁面には、
飢えと隣り合わせに生きていた当時を思う言葉と、今の飽食の時代の不幸が綴られ、

次のコーナーでは、
その矢じりを、なぜ人間自身に向けるようになったのかを問いかけ、
戦争という終わらない歴史の始まりを紐解いている。

「戦いは何時も消耗に決まっている」という言葉が目に飛び込む。

そして、農業が始まり、文明を手にし、「政治」が生まれた。
それを「得体の知れないもの」と表現し、
「そこからはもう逃れることはできない。とすれば、人間の理性の手中に取り込むことである」と結ぶ。

その理性が甚だ頼りないものだから、いまだに得体のしれないままだけれど・・・


博物館を出ると、広い敷地には冬枯れの芝生と樹木。
深呼吸すると古代人のパワーがもらえそうな、清々しい空間でした。


もっとゆっくりしたかったけど、もうすぐ4時。急いで宮崎県庁へ。



ご存じ東国原知事のお城。
1932年に建設された、全国で4番目に古い県庁舎だとか。
近世ゴシック様式の重厚な建物で、当時のお金で70万円、現在に換算すると50億円の建設費がかかったそうです。

中も見学できるんですよ。
まるで観光地。考古博物館と違って、お客さんがいっぱい。
職員さんたちも今やなれっこなのでしょう、皆さんお仕事中なのにニコニコと応対してくださいました。

県庁の隣には物産館があって、お菓子にも焼酎にも、キーホルダーやハンカチにも、
ほとんどすべての商品に東国原知事の似顔絵が・・・。
まさに県の顔。日本一人気者の知事さん。

願わくば、「得体のしれない」政治の世界で初心を見失われませんよう、
そして、美しい自然と悠久の古代ロマンあふれる日向(ひむか)の国を守ってくださいますよう、
切にお願いします。

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