佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

俺たちの生活は、何一つ変わらなかった・・

2014-12-06 | さよなら原発

「アベノミクス解散」「アベノミクス選挙」とアベノミクスを連発し、

安倍自民党は争点を経済問題に押し込めようとしている。

野党も同じ。

マスコミも同じ。

原発問題があまり聞こえてこない。

わずか2年前の衆院選では、原発が一番大きな争点だった。

脱原発を実現するために急遽幾つかの党が集まって「日本未来の党」を創ったりもした。

 

それが、今回はほとんど話題にならない。

何も解決していないのに・・

 

12月2日の毎日新聞に、福島県を離れて暮らす避難者を取材した記事があった。

http://mainichi.jp/shimen/news/20141202ddm041010124000c.html

 

福島第1原発事故から約3年8カ月。

今も県外で避難生活を送っている福島県民は約4万6000人。

事故は収束せず、帰郷の見通しも立たない。

避難者はこの選挙をどのように見ているのか・・

 

   理不尽に降りかかる放射能が 双葉地方の住民から奪い去ったものは 

   生まれ育ったふるさと 

   我が家とわが土地から いとも無造作に放逐された人々は 

   異郷の空の下で あてもなくさすらい続けるのだ

東京都武蔵野市の都営アパートで避難生活を送る詩人、小島力(ちから)さん(79)が

福島県葛尾村から避難後に書いた詩集の一編だ。

妻ヤスさん(84)と暮らす1DKの部屋には所狭しと日用品が置かれる。

「こんなに長くここで暮らすことになるとは思いもしなかった」

ヤスさんはため息をついた。

小島さんは東京生まれだが、戦時中に母の実家の福島県に疎開し定住。

郵便局に勤める傍ら、創作活動をしてきた。

3人の子供と8人の孫に恵まれ、年に数回孫たちが遊びに来るのが楽しみだった。

そんな幸せを原発事故が奪った。原発から約25キロにある村は避難指示区域になった。

小島さん夫婦は子供を頼って都内を転々とし、都営アパートに落ち着いた。

小島さんは「子供や孫が来ても、部屋が狭いから、気を使って泊まらず帰る。

近くて遠い存在になってしまった」とつぶやく。

衆院を解散し、「アベノミクスの信を問う」と強調する安倍晋三首相。

ヤスさんは「避難者の生活より、経済が大事なんだね。

政治家の人たちは福島のこと、被災地のことを忘れてしまったんだね」と思った。

「俺たちの生活はこの3年8カ月、何一つ変わらなかった。

このまま原発は再稼働が進み、福島の避難者がなかったことにされるのでは。

いつ古里に帰れるのかを示すのも政治の役割だ」小島さんは語気を強めた。

 

この国の政治家は、なぜ国民を見捨てたままで平気なんだろう?

原発難民をいつまで放置しておくのだろう?

「すべて国民は、健康で文化的な最低 限度の生活を営む権利を有する。」 と記された憲法25条。

この憲法は、どこの国のものなのだろう?

 

 

 

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