またしても起きてしまった女子同級生殺人事件。
こんな例をみない衝撃的な事件が、またしてもここ佐世保でおきてしまった。
あの大久保小事件から今年で10年。
学校現場では心の教育に力を入れてきた10年だったようだが、
その努力と熱意はなんだったのか?
と先生たちは頽れるような思いで、今、教壇に立っているだろう。
私は10年前は埼玉に住んでいたが、それでも、あの時のショックは忘れられない。
今年、初めて大久保小事件の全貌と遺族の思いを知って、あらためて考え込んでいた。
遺族が受けた心の深い傷を知れば知るほど、事件の闇が濃くなっていくようだった。
本棚から17年前の神戸連続殺人事件の犯人「酒鬼薔薇聖斗」の両親の手記、
『「少年A」この子を生んで…』を読んでいたところだった。
遺体を切断したり、「死に興味があった」「人を殺してみたかった」などの供述に共通点があり、
今回の犯人を「酒鬼薔薇聖斗」の女性版だとの見方をする人もいる。
17年前の酒鬼薔薇事件も、10年前の大久保小事件も、今回も、
時や場所の隔たりを超えて、凄惨な少年犯罪として私たちは連想してしまう。
同じ市内ということもあり、加害少女やその家族に関する話もいろいろ伝わってくる。
今は何もわからない。
親や家庭環境の所為にするのは容易い。
本人の異常気質、異常者扱いで済めば、もっと楽だが、
それではあまりにも無責任ではないか。
仮に家庭や本人に問題があっても、それだけが原因のすべてではないのだから。
海の向こうではガザでたくさんの子どもたちが殺されている。
その写真がネット上で公開されていたが、手足が千切れ頭がパックリ割れた子どもの遺体なども…
日本の少年少女たちもこのような映像を、大人以上に見ているだろう。
命が何よりも大事だと言葉では教えながら、
いざ戦争となれば、敵国人を殺すのは当然であり、その数が多いほど称えられる。
自衛の名のもとに、そんな戦争をする国に逆戻りしようとしている今、
佐世保の街には銃を担いだ自衛隊のパレードが毎年おこなわれている。
ひとたび大事故が起きれば、命も未来も傷つけてしまう原発を進めようとする政府。
こんな私たち大人社会の矛盾を、少年少女は大人が思う異常に敏感に感じ取っている。
理屈ではなく肌で感じ取っている。
自分たちの命が本当に大切に思われているのかどうか、言葉なんかには騙されない。
私は遠い昔、中学生の子どもたちと接していた時、それを痛感した。
被害女子生徒の未来を奪った責任の欠片は私たちにもある。