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貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

大津市本福寺② 芭蕉の高弟千那の句碑!

2024-02-04 10:57:23 | 日記
令和6年2月4日
大津市本福寺②
 千那の句碑の句は、
「しぐれ来や   
   並びかねたる  
     いさざ舟」
<千那の句碑>

  魦(いさざ)とは、
琵琶湖特産の小魚で、
ハゼの仲間。
 千那は
芭蕉を初めて大津に招いた人で、
書や絵などにすぐれ、
芭蕉は千那に俳画を習った
と云われている。
 千那を称えているのか、
千那寺を称えているのか不明だが、
句歌碑が林立。
 そして、芭蕉の句碑群。
<芭蕉の句碑群と芭蕉肖像碑>

 芭蕉句碑と芭蕉像碑は、
次へ!



大津市: 本 福 寺 芭蕉の高弟千那の寺!

2024-02-03 10:34:45 | 日記
令和6年2月3日(土)
大津市:  本 福 寺              
 降園時に参詣。
 園児たちが群がって遊んでいる。
迎えを待つ一番楽しい一時でもある。
<本福寺本殿>

 開基の善道は、
八幡太郎義家の弟の義綱の子孫。
 寛正2年(1461)大津・本堅田
の本福寺第3代住職である法住は、
布教伝道の拠点として
各地に本福寺の支坊(支院)を
建立。
 蓮如(浄土真宗中興の祖)が、
布教活動の第一歩に
堅田を拠点として始め、
寛正6年 (1465)に
比叡山の衆徒が真宗を弾圧。
 蓮如はこの本福寺に身を寄せ、
堅田門徒は団結し
山門勢三千人に対抗し
布教に成功させる。
<芭蕉高弟千那住職の寺>

 貞享2年(1685)、
第11代住職である明式は、
松尾芭蕉の門下に入り、
千那と号する。
<千那寺の讃歌碑>

 たびたび、芭蕉を招き、
句会を催す。
 それに伴い「芭蕉寺」と号する。
 また千那寺とも。
 現住職は、
堅田本福寺より第19代目。
~つづく。

大津市坂本日吉大社 「味和心 日々加減 技は庖魂」

2024-02-02 12:04:48 | 日記
令和6年2月2日(金)
大津市:  坂本日吉大社              
 全国各地にある3800余の
「山王さん」の総本宮。
 比叡山連峰 八王子山
(牛尾山・378m)の麓に広がり、
延暦寺の門前町坂本の鎮守神。
<随神門>

「山王七社」「山王二十一社」
ともいわれ、摂社・末社が多い。
 創祀は
古事記に記されるほど古く、
地主神である大山(おおやま)
咋神(くいのかみ)とその妻、
鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)
を祀ったのが始まり。
 その後、延暦寺の発展とともに
整備されていく。
 境内は、
東本宮と西本宮の2区域からなり、
東本宮・西本宮ともに本殿は
日吉(ひえ)造(づくり)と
いわれる特殊な建築で、国宝。
<広い参道>

 また、「山王さん」と呼ばれ、
広く親しまれている例祭(山王祭)は、
湖国三大祭のひとつ。
 学生時代の初めの一年、
子どもを守る会というサークル
に所属。
 会館で地域の子どもの学習の支援に
毎週参加。
 ペスタロッチ祭開催後、
自分の勉強、研究が優先と退会。
 課題追究のきっかけになった
活動でもあったかな。
 日吉大社も唯々懐かしい!
 芭蕉句碑は見当たらなかったが、
包丁塚があり、
「味和心 日々加減 技は庖魂」
という佳き言辞に遭遇。
<庖丁塚>

深謝のみ!