貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

倶利伽羅峠、義仲と芭蕉!

2023-03-21 14:08:05 | 日記
令和5年3月21日(火)
小(お)矢(や)部(べ)市: 倶利伽羅峠:不動寺        
 石川県と富山県にまたがる
歴史国道「北陸道」が走る
倶利伽羅峠。

 何となく峠名に惹かれている。 
 峠付近は公園になっている。

 芭蕉句碑はなさそうなので、
約1300年の歴史を持つ
倶利迦羅不動寺(山頂本堂)を
参拝する。

 手向け神社とも共存。

 長楽寺跡も有り、歴史を感じる。

 成田不動尊(千葉県)、
大山不動尊(神奈川県)と並び、
日本三不動尊の一つとして
知られている。(知らなかった)

<令和元年6月大山不動尊を参拝。
日本三大不動尊完拝す!>

 地名にもなっている「倶利迦羅」は、
「剣に黒い龍の巻きついた不動尊像」
という意味のインドの
サンスクリット語に
由来しているという。
 芭蕉と曾良は
この倶利伽羅峠を越えて、

金沢に入る。
 曽良の「随行日記」によれば、 
芭蕉が倶利伽羅峠を訪れたのは
元禄2年(1689)7月15日、
新暦の8月29日。
「快晴。高岡ヲ立、
埴生八幡ヲ拝ス。
源氏山、卯ノ花山也。
クリカラヲ見テ、
未ノ中刻金沢ニ着。…」
と記載されている。
 埴生八幡とは、
義仲が戦勝を祈願した
埴生護国八幡宮のこと。
 「平家物語」に想い入れがある芭蕉は、
「奥の細道」の旅で、
源平合戦ゆかりの史跡を巡り、
いくつかの名句を残している。
 特に義仲には強い共感を抱いている。
 「(墓は)木曽殿の隣に」
という遺言に添い
、大阪で病死した芭蕉を、
弟子たちが、死の翌日
大津の義仲寺に運ぶ。
 義仲の墓の隣に埋葬する。
 北陸路では金沢に急いだ芭蕉も、
義仲が大勝を納めた合戦の舞台
である倶利伽羅峠では、
ひときわ義仲に想いを馳せている。

 倶利伽羅峠を横断する
源平ライン沿いには
芭蕉の句碑が二つ建っている。
 「義仲や 
   寝覚めの山か 
      月悲し」

 「あかあかと 
   日は難面も 
      秋の風」
 金沢へとちょっと急いだかな?



観音堂の甍は、華の雲のよう!

2023-03-20 10:56:58 | 日記
令和5年3月20日(月)
高岡市: 永 安 寺              
 現在境内には、
加賀三代目藩主利常氏が
鷹狩の宿として作った御旅屋
(本陣:川合家役宅)の正門
(御旅屋門)が移築され、
昭和42年(1967)に
高岡市指定文化財に指定される。
<その山門>
<甍塚>

 甍塚は、
「観音の 
  いらか見やりつ 
     華の雲」
 という芭蕉作の句が刻まれている。

 江戸中期の宝暦13年(1763)に
戸出町出身の俳人
尾崎康工の尽力により
建立される。
 立派な「河合翁頌徳碑」
も参拝。

 戸出を造った功労者のようだ。
 もう一つの句碑は
誰の句なのか不明。


「さざなみや 
    鴛鴦も 
       有磯海」
    と
 「 雨(あま)晴(はらし)
    波と砂の 
        ハーモニー」
の二作が、
この地訪問のお土産かな。


万葉ロマン 雨晴海岸

2023-03-19 10:52:04 | 日記
令和5年3月19日(日)
高岡市: 有磯海:女岩(めいわ)荘  
<松林の中の女岩荘>
  

「有磯海」は、
大伴家持の万葉集歌、
「かからむと 
  かねて知りせば 
      越の海の      
  荒磯の波も 
     見せましものを」
を初出とする歌枕の由緒地。
そして、
高岡市の雨晴海岸・女岩の周辺には、
義経岩もあり、
源義経ゆかりの伝説が伝わっている。
 1187年(文治3)、
義経一行が追討の兵から逃れ、
京都から奥州へ落ちる途中、
雨晴海岸にさしかかる。
 その時、
にわかに空が曇り、雨が降り出す。
 弁慶が急いで岩を積み上げ、
岩穴をこしらえて
雨宿りしたとされる。  
 そもそも「雨晴」という地名は、
この伝説に由来しているという。
 源義経一行の雨宿り伝説が残る
<雨晴海岸>

雨晴海岸からは、
「有磯海」の荒磯を象徴する女岩を
前景として、
か立山連峰を望むことができ、
観賞上の価値が高い。
 現在
「万葉ロマンのコースタルステージ雨晴」

として整備されている。





「奈呉之浦」の俤、今は朧なり!

2023-03-18 12:58:01 | 日記
令和5年3月18日(土)
射水市: 奈呉之浦      
 
      
<奈呉之浦表示>

「くろべ四十八が瀬とかや、
数しらぬ川をわたりて、
那古と云浦に出。
擔篭(たこ)の藤浪は春ならずとも、
初秋のあはれ訪ふべきものをと、
人に尋れば、
『是より五里、磯づたひして、
むかうの山陰に入り、
蜑(あま)の苫(とま)ぶきかすかなれば、
蘆の一夜の宿かすものあるまじ』 
と言ひおどされて、
加賀の国に入る。
早稲の香や 
  分け入る右は 
     有磯海
『奥の細道』の「那古浦」には
記されている。
<奈呉之浦説明板>

 当時の俤は、今は朧?


「放生津八幡の裏に…」メモ書きで再度参詣!

2023-03-17 11:41:36 | 日記
令和5年3月17日(金)
射水市: 荒屋神社             
 放生津八幡宮の傍にある神社。

 早稲の秀句碑という石碑の傍に
芭蕉の句碑がある。
 放生津神宮と同じものだが、
書体が違う…?

「早稲の香や 
  分けい類右は        
    あ里磯海」
 さて、次は?と、
計画ノートをめくっていたら、
「この宮の裏に、
『奈呉乃浦』の標柱あり」
というメモ書きがある。

 再度、放生津八幡宮へUターン。

 3度目の参拝。
 折角なので、
もう一度じっくり境内を徘徊する。
 その後、裏へと足をのばす。
 裏は、浦である。