貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

金沢市白山比咩神社:越の白峰と貢蕉雨蛙!

2023-03-26 13:59:36 | 日記
令和5年3月26日(日)
金沢市: 白山比咩(しらやまひめ)神社  

 石川、福井、岐阜の3県にわたり
高くそびえる白山は、
古くから霊山信仰の聖地として
仰がれている。
 麓に暮らす人々や
遥かに秀麗な山容を望む平野部の
人々にとり、白山は聖域であり、
生活に不可欠な“命の水”を
供給してくれる神々の座でもある。

 山への信仰は、
登拝という形に変化し、
山頂に至る登山道が開かれる。
 加賀の登拝の拠点として
御鎮座二千百年を越える当社は、
霊峰白山を御神体とする
全国白山神社の総本宮 である。

                 
 霊峰白山は、
最高峰の御前峰(ごぜんがみね・2702m)を
中心に、大汝峰(おおなんじみね・2684m)、
剣ヶ峰(けんがみね・2677m)、
別山(べつざん・2399m)を主峰とする
峰々の総称。

 一億年余り前は、湖底にある。
 その後少しずつ盛り上がり、
幾度もの噴火を繰り返し、
今日の姿になったという。
 現在は、石川、福井、岐阜、富山
の4県にまたがり、
面積47,700haにも及ぶ
白山国立公園として
大勢の登山者に親しまれている。
 ユネスコの
生物圏保存地域に指定される等、
その自然環境は国際的
といっても過言ではない。

白山の一番の特徴は、
頂上付近の高山植物の豊富さで、
7~8月に高山植物が
山肌を埋め尽くす景観は、
まさに雲上の楽園。
 頂上からは、
美しい雲海のかなたに白馬・剱・立山
などの山並みが一望でき、
北アルプスから昇る
日の出は感動的な美しさ。
 元禄2年(1689)に、
奥の細道の途次、
芭蕉が、白山の姿に感銘を受けて
詠んだ句が刻まれている。

「風かをる 
  越しの白嶺(しらね)を 
     国の華」 
             翁 。
<芭蕉句碑>

 そして、
ちょっと日陰の湿っぽい便所へ。
洗面所のオーバーフローの口から
雨蛙が・・・・・
親しげに?・・・・・・
よほど居心地がいいのか・・・
トイレでの出合い・・・
クサイ仲?・・・。

 「貢蕉雨蛙」と命名。


七福神山と栄螺山登頂!

2023-03-25 10:32:22 | 日記
令和5年3月25日(土)
 見事な日本武尊立像を拝謁し、
七福神山や栄螺(さざえ)山に登る。
<七福神山>


 栄螺山から眺める風景も絶景!!

 栄螺山は、
霞ケ池を掘り広げた時の
土を盛り上げたもの。
 登り道が螺旋状に造ってあり、
その形がさざえに似ているので、
栄螺山と名付けられる。
 別名「からかさ山」とも呼ばれている。
 水鏡も素晴らしい!

蓮二翁の句は、
「十三夜の 
  月見やそらに 
     かへり花」
<虎石>


あかあかと・・・兼六園の芭蕉句碑!

2023-03-24 11:53:01 | 日記
令和5年3月24日(金)
 山崎山の山裾にある石碑。
<芭蕉句碑と説明>

 1689年(元禄2)、
松尾芭蕉が奥の細道の途次、
金沢で詠んだ句 、
「あかあかと 
 日は難面(つれなく)も           
     秋の風」 
を刻んだもの。
 句碑は、天保期、
三大家と呼ばれたひとり、
俳人桜井梅室の筆による。

 元々は卯辰山麓にあったもので、
明治16年(1883)に現在地に移される。

 この句はあまりにも有名で、
この句を刻んだ句碑が
なんと市内に3ヶ所もある。
 芭蕉句碑は
弘化3年(1846)建立。 
 芭蕉の句は、
「五月雨の 
  降り残してや         
     光堂」 。 
 見事な日本武尊立像を拝謁し、


七福神山や栄螺(さざえ)山に登る。



雁行橋と古木、欅、赤松・黒松群に見惚れ・・・!

2023-03-23 12:01:06 | 日記
令和5年3月23日(木)
金沢市: 兼 六 園    
       
 桂坂口より入る。

 桜岡を通過し、霞ケ池へ。
池の中には蓬莱島という亀の形を
した島が浮かんでいる。
 雁行橋。

 並べられた11枚の石が、
雁(かり)の列が飛んでいく様に
見えることから名付けられる。
 別名「かりがね橋」・「亀甲橋」
とも呼ばれている。
 昭和44年から、
石の保護のために通行を禁止。
昔はこの橋を渡ると長生きする
といわれている。
 苔むした桜の古木、

こじんまりと育成された欅、

それぞれに合うひねり赤松、黒松群

等、見飽きることはなし。

 山崎山の麓へ。
~つづく。

金沢藩主の独創的な庭園:石垣群も庭の構成要素

2023-03-22 14:44:42 | 日記
令和5年3月22日(水)
金沢市: 金沢城公園             
 今回は駐車場に入れず、
ぐるぐる・・・。    
 午後だから余計無理だったのかな。
 市役所への入口もわからず、
結局2回目に、
地下3階に入る。  
 ところが、
5台ぐらい前に停車している。
待つしかなし。
 しばらくして、
駐車場の受付、駐車できる。
玉泉院丸口から金沢城公園へ。

 外国の観光客が80%、
その五分の四は中国系の方々。
数年前とは、様変わり。
<玉泉院丸庭園>

 玉泉院丸庭園は、
加賀藩三代藩主「前田利常」による
寛永11年(1634)の作庭が、
その始まり。
 その後五代「綱紀」や
十三代「斉泰」などの歴代の藩主により
手を加えられながら、
廃藩時まで金沢城内玉泉院丸に
存在していた庭園である。
 饗応の場として活用された
「兼六園」に比べ、
藩主の内庭としての性格が
強い庭園だったと考えられている。
 庭園は、
城内に引かれた辰巳用水を水源とする
池泉回遊式の大名庭園で、

池底からの周囲の石垣最上段までの
高低差が22mもある
立体的な造形。               
 滝と一体となった色紙短冊積石垣などの、
意匠性の高い石垣群を
庭の構成要素とする、
他に類を見ない独創的な庭園である。
 平成13年(2001)に復元された菱櫓は、
当時は大手と搦(からめ)手(て)を見張る
物(もの)見(み)櫓(やぐら)として
重要な役割を果たす。

 その名の通り、
建物の平面が、
菱形(内角が80度と100度)になっており、
死角を少なくし
視野を大きくする効果を
重んじたようである。

~つづく。