令和4年7月24日(日)
白河の関の有名な古歌碑もあった。
36歌仙の一人として有名な
平兼盛と能因法師と頼朝の側近の
梶原景季の歌だ。
「便りあらば
いかで都へ
告げやらむ
今日白河の
関は越えねど」
平兼盛
「都をば
「都をば
霞とともに
立ちしかど
秋風ぞふく
白河の関」
能因法師
「秋風に
草木の露を
はらわせて
君が越ゆれば
関守もなし」
梶原景季
白河の関が、この場所にあったという
白河の関は、鼠(ねず)ヶ(が)関(せき)・
白河の関が、この場所にあったという
白河の関は、鼠(ねず)ヶ(が)関(せき)・
勿来(なこそ)関(ぜき)とともに、
奥州三関の一つに数えられる関所だ。
発掘調査も進んでいるので、復元も
期待したい。
鎌倉時代の歌人従二位藤原宮内卿家隆が
鎌倉時代の歌人従二位藤原宮内卿家隆が
手植えしたと伝えられている
樹齢800年の枝振りの見事な杉も堪能。
奥の細道の文学碑もきちんと
おさめられたり、上人様のご詠歌碑もあった。
奥の細道白河の関の文学碑には、
「白河の関」の項を、
「卯の花を
「卯の花を
かざしに関の
晴れ着かな」
曽良
の一句までが記されている。
の一句までが記されている。
ちょっぴりいそいそと、
またある所では、しっとりと
公園内を回り、神社参詣もできた。
深謝、しんしゃ!!!