貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

晴着の関!

2022-07-24 11:16:52 | 日記
令和4年7月24日(日)
 白河の関の有名な古歌碑もあった。
   
 36歌仙の一人として有名な
平兼盛と能因法師と頼朝の側近の
梶原景季の歌だ。

「便りあらば
    いかで都へ
       告げやらむ
    今日白河の
         関は越えねど」  
            平兼盛
「都をば
    霞とともに 
       立ちしかど
    秋風ぞふく 
         白河の関」 
            能因法師 
「秋風に
   草木の露を
     はらわせて
   君が越ゆれば 
      関守もなし」
           梶原景季

 白河の関が、この場所にあったという
 白河の関は、鼠(ねず)ヶ(が)関(せき)・
勿来(なこそ)関(ぜき)とともに、
奥州三関の一つに数えられる関所だ。

 発掘調査も進んでいるので、復元も
期待したい。
 鎌倉時代の歌人従二位藤原宮内卿家隆が
手植えしたと伝えられている
樹齢800年の枝振りの見事な杉も堪能。
              
 奥の細道の文学碑もきちんと
おさめられたり、上人様のご詠歌碑もあった。

                                                            奥の細道白河の関の文学碑には、
「白河の関」の項を、
「卯の花を
   かざしに関の
     晴れ着かな」             
            曽良
の一句までが記されている。

 ちょっぴりいそいそと、
またある所では、しっとりと
公園内を回り、神社参詣もできた。

 深謝、しんしゃ!!!


芭蕉と曽良の立像の下部の句!

2022-07-23 10:17:26 | 日記
令和4年7月23日(土)
  白河 :白河の関跡と関の森公園 

 何とか4時前に到着。  
 こちらも二度目。    
 芭蕉と曾良の立像の前に立つ。

 足下に二人の句が彫られている。
      
「風流の 
  初めやおくの 
     田植えうた」       
           芭蕉  
 曾良の句は、  
「卯の花を 
   かざしに関の  
      晴着かな」  
であった。    
 白河の関の有名な古歌碑もあった。
  
~つづく。


こんぱいろの湯で疲労回復!

2022-07-22 09:38:28 | 日記
令和4年7月22日(金)

 この地獄の地蔵は、お一人で造られている
という話を前回伺ったが、
後継者はできたのだろうか。 
  
 地蔵尊の劣化を留めることはできないので、
物語り、彫る後継者の育成をと、
唯々願うのみ。 
 
            

  今回は、鹿の湯の方から
大がかりな工事の最中に出くわしたが、
無事工事も終わり、観光客も増えることを
併せて祈願した。


 今回も「鹿の湯」を堪能することなく、

「こんぱいろの湯」という足湯で
疲れをとった。


石の香や なつ草あかく・・・!

2022-07-21 09:54:14 | 日記
令和4年7月21日(木)
 那須 : 殺 生 石  
                      
 那須湯本温泉の源泉となっている
「鹿の湯」の西方に、
山肌がむき出しで草木の絶えた谷あいがあり、
この奥に、殺生石が鎮座していた。
 殺生石の周辺からは、
硫化水素や亜硫酸ガス、砒素などの
有毒ガスが噴出し、
昔ほどではないと言われるが、
今でも異臭のするガスが吹き出している。
 ちょっと異様という光景である。

 いわれにも納得。
 古人は、この場所で人や動物が死亡する
ことを、石に宿る霊の仕業と考え、
石を特定して「殺生石」と名付けた。
 さらには、その石に、
全身を金色の毛で覆い9本の尾をもつ
という「白面金毛九尾の狐」の物語を
添加したことにより、
殺生石は、恐怖の石として
世に広く伝播するところとなった。

 物語ることの素晴らしさか。 

 しかし、青々と山に勢いのある時と
木々の葉が落ち、樹木が裸のまま
枯れ木のように冬を越す時季とでは
その怖さも違うような気がする。  
 『奥の細道』には、
「殺生石は温泉(いでゆ)の出る山陰にあり。
石の毒気いまだ滅びず。
蜂・蝶のたぐい、真砂の色の見えぬほど
かさなり死す。」
と記されており、
その頃は今よりも激しく噴出していたと
推測される。

 芭蕉の句碑は芭蕉句碑との案内標識が
立っている。
               
「いしの香や 
   なつ草あかく 
     露あつし」
という小振りの句碑である。  
 今回はじっくり風景を眺めたり、
句を楽しんだりした。
つづく。
 


誓いも同じ!

2022-07-20 13:38:37 | 日記
令和4年7月20日(水)
 那須温泉神社  
 
 
 暮らしの館という所に寄る。
 急激な社会の変化は、
大切なものを喪失。
 それに気づかせてくれた。
 暮らしにとって大切なことを
今一度見直すことが、
生き方を多少は変えるだろう。
             
 そんなことを考えながら、温泉神社へ。
 ここも二回目である。

 芭蕉は元禄2年(1689年)4月19日
(陽暦6月5日から7日の間)に
那須温泉神社に詣でた時、 
那須余市が平家の扇の的を射抜いた
という、矢を拝見したそうだ。
 現在は拝観できないが、
宝物として所蔵しているともいわれている。

 句は、 
「湯をむすぶ 
   誓いも同じ 
     石清水」
 この句碑に刻まれた書は、
徳川氏の奥八城太郎弘賢(屋代弘賢)
によるもの。

 残念ながら、この句は推敲の段階で
ボツにしたらしい。
 ただ曾良日記にはきちんと記されて
いる。 
 芭蕉は沢山の句を奥の細道で詠んだが、
紀行『おくのほそ道』に取り上げたのは
ほんの一部でもある。   
 他、昭和天皇の歌碑や

現天皇陛下の家族で詣でた祈念碑もあった。