貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

国境の明神の:白河の古蹟の主張諸説?

2022-07-27 11:27:17 | 日記
令和4年7月27日(水)
 奈良・平安の初期には、
国境の明神に、男女二神を祭る
のが通例だったようだ。
 この二神は、
内側は女の神様(玉津島明神)が守り、
外側は男の神様(住吉明神)が守る
という考え方

 上の写真の栃木側は、
『境の明神(玉津島神社)』と明記され
ているが、福島側からは こちらの神社は
住吉神社になるということだ。

 兎に角、境目はどちらでも紛争の種。
 解決策として苦肉の知恵かな。
 白河市の神社の境内には、
石碑群があり。
      
 その中に、芭蕉句碑。

「風流の 
   はじめや奥の 
      田植え歌」
 田植えの時季だったということが
分かる。                                               思楽句碑(本名は島谷栄吉、明治期に
活躍した福島の俳人・飛脚問屋)の句。 

卯の花や 
   清水のすえの 
       里つゞき
 大江丸の句は、

 能因に 
   くさめさせたる         
         秋はここ
 藤沢周平の『一茶』ゆかりの名前が
大江丸。
 江戸の通称は嶋屋佐右衛門。
 一茶に影響を与えた人だそうだ。    
 二所の関址には、松平定信が
この境の明神より東側・
東山道に白河古関の址を定めた後も
今も所在地に幾つかの説がある。

 この大きな石碑はその一つの証しだと主張。
  
 何ともいえず。