貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

蕉道Ⅱ 鹿島詣

2016-11-20 09:12:04 | 日記
蕉道Ⅱ 鹿島詣 2016(平成28)年10月9日

 古希からのより道の蕉道追従は、最終となるが、ブログでは、芭蕉が

旅した順に綴っていくつもり。お付き合い下さい。


 古希からのより道 Ⅵ  蕉 道 : 鹿 島 詣         

☆☆☆  「夏衣 いまだ虱を とりつくさず」

「野ざらし紀行の」を締め括った芭蕉の句である。巻頭の暗い句との差を

指摘したのは、ドナルド・キーンさん。

 「旅の苦労を言っているが、句の調子は、一目瞭然明るいものである。」と。

 そう言われればそんな感じがしないでもない。江戸に帰着したのは、

貞享2年(1685)4月末である。

鹿島の根本寺(こんぽんじ)の仏頂和尚の誘いに応じたのがその2年後で、

これが鹿島詣となる。

 「野ざらし紀行」は江戸の大火で庵を焼かれ、無常の念を抱く決死の旅立ち

であった。しかし、鹿島詣は、心に余裕のある風流な旅といえる。同行者は、

後に「奥の細道」で同行する曾良と住職の宗波で、二人とも門弟でもある。

さて、「月を見にいらっしゃい。」と誘いの手紙を送った仏頂和尚という人は、

寺領が鹿島神宮側に奪われ、それを取り返すべく江戸寺社奉行に訴え、訴訟審議の

9年間、深川の臨川寺を住まいとしていた。臨川寺で開かれる句会だけでなく、

芭蕉が仏頂和尚からいろいろ教わったようだ。

貞享4年(1687)8月14日、鹿島へ向かう。芭蕉庵の門前は小名木川に

通じる水路がある。船で港町行徳(現市川市)まで行き、布佐(我孫子市)まで

徒歩で、そして布佐より利根川を船で佐原へ、その後水郷を船で潮来へ出、

また船で大船津に出て鹿島へ。3分の2は水路の船旅であった。

さて、月見だが、芭蕉は生涯に月の句を60句ほど詠んでいる。

さてさて、芭蕉は、中秋の名月を拝むという幸運に恵まれたのだろうか。私

は息子が柏市にいるので、息子の所に行く用もあり、陸路での鹿島詣をし、

二つの用を果たすことにした。

鹿島神宮参道にある




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