令和5年11月14日(火)
鈴鹿市: 石薬師寺
<西国薬師第三十三番表示門>
神亀3年(726)、
泰澄が当地で巨石の出現を見、
薬師如来の示現と悟り、
草庵を設け供養したことが、
当山の開創。
<本堂>
その後弘仁3年(812)
空海(弘法大師)が、
巨石に薬師如来を刻み開眼法要
を行い、人々の信仰を集めた
ことにより、
嵯峨天皇(在位809 – 823)は
勅願寺とし、荘厳な寺院を建立。
名を高富山 西福寺
瑠璃光院と称する。
しかし、
しかし、
正年間(1573 – 1592)の兵火
により焼失。
<山門>
寛永6年(1629)、
当時の神戸城城主一柳監物が
諸堂宇を再建。
現在の本堂はこの時のものである。
元和2年(1616)、
元和2年(1616)、
東海道五十三次の宿場である
石薬師宿にちなみ、
高富山瑠璃光院石薬師寺と改称し、
今日に至る。
本堂内には、
秘仏本尊薬師如来(鈴鹿市指定文化財)、
紀州徳川家寄進の脇侍
日光菩薩、月光菩薩ほか、
十二神将、地蔵菩薩、大日如来、
不動明王が安置され、
大師堂には知恵弘法と呼ばれる
弘法大師像を安置している。
寺の東側を東海道が通っており、
寺の東側を東海道が通っており、
江戸時代参勤交代で
この地を通る城主が、
道中の安全祈願を当寺で行っている。
その際、
山門から境内に下りる石段に
丸みをつけ、足元に配慮した
という石段が、今も残っている。
また、
また、
江戸時代に活躍した
浮世絵師歌川広重が、
東海道五十三次 (浮世絵)に
この石薬師宿
(東海道江戸より44番目の宿場)
の全景を描き、
広く知れ渡る。
~つづく。
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