貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

『おくのほそ道』の書き出し!出立前も今風に!

2024-08-28 10:19:11 | 日記
令和6年8月28日(水)
『おくのほそ道』の書き出し!
 歌に合わせて、
やっとの思いで暗誦!
「月日は百代の過客にして、
行きかふ人もまた旅人なり。
 舟の上に生涯を浮かべ、
馬の口とらへて
老ひを迎ふる者は、
日々旅にして
旅を住みかとす。
 古人も多く旅に死せるあり。
 予もいづれの年よりか、
片雲の風にさそはれて、
漂泊の思ひやまず、
海浜にさすらへ、
去年の秋
江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひて、
やゝ年もくれ、
春立てる霞の空に、
白河の関越へんと、
そぞろ神のものにつきて
心を狂はせ、
道祖神の招きにあひて
取るもの手につかず、
股引の破れをつづり、
笠の緒つけかへて、
三里に灸すゆるより、
松島の月まず心にかかりて、
住めるかたは人に譲りて、
杉風が別墅に移るに、
<杉風の別墅>


草の戸も 
  住替る代ぞ 
    ひなの家
 表八句を庵の柱に掛けおく。」
 この原文を今風にすると、
「月日は永遠の旅人であって、
行く年も来る年も、
李白の言うように
百代の旅人なのだ。
 舟の上で一生を送る船頭も、
馬の口を牽いて暮らしていく馬方も、
毎日が旅であって、
旅を住処にしているようなものだ。
 昔の人で名のある人たち、
能因・西行・宗祇・杜甫・李白
なども旅先で死んでいった。
 予も何歳の時からか、
小さな雪が風に乗って
飛んでいくのをうらやみ、
漂泊の望みが絶えず、
『笈の小文』の旅のように、
海辺をさすらい、
去年の秋、
川辺のあばらやの
蜘蛛の古巣を払って、
やがて年の暮れ、
春になって、
霞の空を見る頃には、
浮かれ神が身辺に取り憑いて、
心を浮き立たせ、
道祖神の旅の誘いに遭って、
何事も手につかず、
股引の破れを縫い合わせ、
笠の緒を付け替え、
健脚になるという
灸点の三里に灸を据え、
最高の名所松島の月が見たくて、
心が焦り、
住んでいた庵は人に譲り、
弟子の杉風の別宅に
引っ越して一句詠んだ。

草の戸も 
  住替る代ぞ 
    ひなの家
 娘や孫のいる人に
庵を譲ったので、
やがて雛を飾っている家になるだろう?
という連句の発句を
庵の柱に掛けておいた。
 さて、この句。
この草庵の人の住み替わる時となり、
これからは雛飾りのある
賑やかな家になるであろうな、
の意。
 元禄二年(1689)の作である。

 芭蕉の決死の覚悟、わくわく感や
ドキドキ感が見事にまとめられている。

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