貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

住み替わる芭蕉庵と千住大橋から出立!

2024-08-29 10:52:45 | 日記
令和6年8月29日(木)
草の戸も 
  住替る代ぞ 
    ひなの家
 さて、この句。
 この草庵の人の住み替わる時となり、
これからは雛飾りのある
賑やかな家になるであろうな、
の意。
 奥州への旅のために
芭蕉庵を手放し、
一切が変転することを
感得しての吟で、
本文冒頭の
「月日は百代の過客にして・・・」
に呼応する。

 三月二十三日付
落梧宛書簡等の
中七「住かはる代や」が初案。

 同書簡に、
「衣更着末草庵を人にゆづる。
此人なん妻をぐし、
むすめをもたりければ、
草庵のかはれるやうおかしくて」
とあり、
実際に華やかになった様を見て
の作とわかる。
 一方、
紀行本文には、
「住る方は人に譲り、
杉風が別墅に移るに」
として載り、
そこではこれからの変貌を
予想した句となる。
 「弥生も末の七日。
あけぼのの空朧々として、
付きは有明家手、
光をさまれるものから、
富士の峰かすかに見えて、
上野、谷中のはまのこずゑ、
またいあつかはと心ぼそし。
 うつまじきかぎりは
宵よりつどひて、舟に乗りて送る。
 千住といふところにて
舟をあがれば、
前途三千里の思ひ胸にふさがりて、
幻のちあたは離別の涙をそそぐ。
行春や 
  鳥啼魚の 
    目は泪
これを矢立のはじめとして、
行く道なほ進まず。
 途中にたちならびて、
うしろかけの見ゆるまでは
と見送るなるべし。」
 さて、元禄二年(1689)
三月二十七日の早朝に
旅が開始された。
 門人の曽良を供として出立し、
見送りに来た人々とともに、
舟で千住まで行って別れた。


 前途には三千里もの道中が
予定されており、
上野や谷中の花とも別れて、
いささか心細い気持ちでの
出立であった。

 この文章、
はじめは威勢のよい美文だが、
終わりにくると、
別離の寂しさで、
元気がなくなってくる。
と、師匠は語る。
行春や 
  鳥啼魚の 
    目は泪
と、添えた一句の意味も
涙と心細さである。
 鳥は泣き声で叫び、
魚は泪を流し、
行く春を惜しんでいる。
けだし、別離の悲しさである。

 無事の踏破を祈る!


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