貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

和歌山県高野町 高野山奥の院 その由緒と・・・共生!

2024-07-24 11:26:47 | 日記
令和6年7月24日(水)
和歌山県高野町  高野山奥の院   
<弘法大師御廟前>

 高野山は、
平安時代の初めに、
弘法大師によって、
開かれた日本仏教の聖地。

 「金剛峯寺」という名称は、
お大師様が
『金剛峯楼閣一(いつ)切(さい)
瑜(ゆ)伽(が)瑜祇経(ゆぎきよう)』
というお経より名付けられた
ことによる。
 東西60m、南北約70mの主殿
(本坊)を初めとした様々な建物を備え、
境内総坪数48,295坪の広大さと
静寂さ、優雅さを有している。
<奥の院>

 弘法大師が、
都を離れ、約1000mの高峰である
この高野山を発見されたことには、
古くから伝えられる物語が・・・。
「弘法大師が2ケ年の入唐留学を終え、
唐の明州の浜より
帰国の途につかれる時、
伽藍建立の地を示し給えと念じ、
持っていた三(さん)鈷(こ)を投げる。
 その三鈷は空中を飛行して
現在の壇上伽藍の建つ壇上に
落ちていたという。
 弘法大師はこの三鈷を求め、
今の大和の宇智郡に入られた時、
そこで異様な姿をした
一人の猟師に出会う。
 手に弓と矢を持ち黒と白の
二匹の犬を連れている。
 弘法大師はその犬に導かれ、
紀の川を渡り、嶮しい山中に入ると、
そこでまた一人の女性に出会い、
『わたしはこの山の主です。
あなたに協力致しましょう』
と語られ、
さらに山中深くに進んでいくと、
そこに忽然と幽邃な大地が…。
 そして、
そこの1本の松の木に明州の浜から
投げた三鈷がかかっているのを
見つけ、この地こそ真言密教に
ふさわしい地であると判断し、
この山を開くことを決意される。」
という話。
 高野山真言宗、
あるいは金剛峯寺は、
伝統宗教として日本人の精神性、
「こころ」に遥か昔から深く
関わってくる。

 信仰を持つ、持たないに拘わらず、
私たちの魂には伝統宗教に由来する
メンタリティーが受け継がれている。
 千年以上の長きにわたって、
蓄積してきた智慧と祈りの中に
我々が果たすべきことのヒントが
隠されていると、
現在「共生」を強く説いている。
 「共生」!
この世界に存在する全てのものが
調和し、共に生きる道を選ぶこと。
 必須の課題だが・・・
神業に近し?  
<芭蕉塚>



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