貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

杜の都のマナー

2018-04-26 08:30:55 | 日記
杜の都のマナー

平成30年4月26日(木)

 やなせたかしさんの詩

「手のひらを太陽に」。

 替え歌として、塵ソングに。

「烏だって 鼠だって

 ゴキブリだって・・・」

 この替え歌も、お役御免となった

杜の都、仙台の日曜日。

 「ユヅッ!」さんの凱旋パレード

の後、11万人の人が沿道を埋めたの

に、回収されたゴミはわずかに6袋。

 仙台市長がマナーの良さに謝意声明。

4月の爽やかな薫風。

 日本のよさ、日本人のよさが・・・。

 その「よさに恋して」、今朝も仙台へ。

榴岡天満宮

 訪れた日は、

2017(平成29)年7月12日 13:32~。



 ちょうど御鎮座350年を祝う年に

参拝。二度目である。

 さて、この天満宮の由緒。

「仙台市の観桜地として有名な榴ヶ岡

に鎮座する榴岡天満宮は、平安時代の

天延二年(974)に山城国(現在の京都府)

に創建された。

 その後、平将春が陸奥国宇多郡(現在の福島県)

に勧請し、次に宮城県柴田郡川内村に

御遷座したのが始まりで、天文二十年(1551)に

小俵玉手崎(仙台市青葉区の仙台東照宮の地)に

三度目の御遷座が行われたそうだ。

 後に、藩祖伊達政宗公が仙台城を造営

するとき、当宮の社木(境内地にあった樹木)を

用財として切り取った為、その報賽に

慶長十六年(1611)に新たに丹塗りの御社殿を

造営したが、慶安三年(1650)徳川幕府の命令

による仙台東照宮建立に際し、その境内地東側に

御遷座がなされた。

 そして、寛文七年(1667)7月25日に

三代藩主伊達綱宗公の意思により、丹塗りの

社殿・唐門を新たに造営し

、菅原道真公の真筆(直筆の書)が奉納され、

現在の鎮座地である榴ヶ岡に御遷座が行われ、

杜の都の天神さまとして現在も広く崇敬されて

いる。

 御社殿は総欅造り、照星閣とも呼ばれ、

明治九年(1876)の明治天皇御巡幸の際に、

明治天皇が御参拝された御宮である。

 また、仙台城構築の際、有力な築城の

候補地とされ、元禄二年(1689)5月7日

には当宮に松尾芭蕉が参拝し、

「ここ玉田よこ野つつじが岡はあせび咲く

ころ也ここに天神の御社など拝て其日は

くれぬ」(奥の細道)という句を遺して

いることからも、当時の天神信仰が盛んだ

ったことを示している。

 寛政七年(1795)2月25日に落雷に

よる不慮の火災が発生し、本殿・拝殿・楼門・神

楽殿・鳥居と多くの歴史的建造物を焼失した。

 非常に残念なことではあったが、道真公が

高天原より降神なされたのでは、という

歴史的ロマンをくすぐる唯一の天満宮と

いわれている。」



(現在の御社殿はその頃の再建)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿