令和6年1月5日(金)
『酒落堂(しゆらくどう)の記』。
<酒落堂の記など>
<俳文『酒落堂の記』>
「山は静かにして性を養ひ、
水は動いて情を慰す。
静・動二つの間にして、
住みかを得る者あり。
浜田氏珍夕といへり。
浜田氏珍夕といへり。
目に佳境を尽し
口に風雅を唱へて、
濁りを澄まし
塵を洗ふがゆゑに、
酒落堂といふ。
門に戒幡を掛けて、
「分別の門内に入ることを許さず」
と書けり。
かの宗鑑が客に教ゆる戯れ歌に、
一等加へてをかし。
且つそれ簡にして方丈なるもの
二間、休・紹二子の侘びを次ぎて、
しかもその矩を見ず。
木を植ゑ、石を並べて、
かりのたはぶれとなす。
そもそも、おものの浦は、
瀬田・唐崎を左右の袖のごとくし、
湖をいだきて三上山に向ふ。
湖は琵琶の形に似たれば、
松のひびき波をしらぶ。
比叡の山、比良の高根を
ななめに見て、
音羽・石山を肩のあたりになむ
置けり。
長等の花を髪にかざして、
鏡山は月を粧ふ。
淡粧濃抹の日々に変れるがごとし。
心匠の風雲も、
またこれに習ふなるべし。」
おものの浦は、
もと膳所城が琵琶湖に突き出して
立っていた浜。
<酒落堂の記碑>
三上山は野洲に位置する近江富士。
長等山は三井寺の裏山で
桜の名所。
鏡山は月の名所。
春の近江のあでやかな風景が
目に浮かぶ。
完璧なセッティングに囲まれた
洒楽堂の主、
珍夕の風流を称えたもの。
そして、芭蕉の挨拶句は、
そして、芭蕉の挨拶句は、
「四方より
花吹入て
鳰の波」 。
元禄3年(1690)
元禄3年(1690)
47歳の作。