貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

親を想う : 中江藤樹も偲ぶ・・・。

2017-09-17 10:04:50 | 日記
親を想う : 中江藤樹も偲ぶ・・・

平成29年9月17日(日)

 私の中では、敬老の日は、9月15日。

 明日が敬老の日。今年は、台風が歓迎

してくれそうだ。

 私は4人の親を見送ったが、4人4様。

戦前・戦中・戦後を朝早くから晩まで労を

厭うことなく、よく働いた。

 80台から90半ばまで生き、子どもの

成長を楽しみに、見守り、孫にも慈愛を

注いでくれたのは共通していた。

 母が平成14年、義父が平成15年に他界、

かれこれ15年前になる。

 そう言えば、90過ぎても好奇心や向上心

は強かったなと、いろいろなことを思い出

した。

 何とか親不孝だけはしないで、多少の

親孝行はできたのかな?

 (ああしてあげればよかった、こうして

あげればよかった)ということもあるが、

この期に及んでは詮なきこと。

 ちょっと回想のひとときとなる。

 さて、さて、

 私の学友の一人が、「中江藤樹」を研究し、

卒論にまとめたのを思い出し、藤樹記念館

などもついでに訪ねたのは、ちょっと前。

藤樹記念館



 中江藤樹という人は、農業中江吉次の長男

として生まれ、9歳の時に伯耆米子藩主加藤家

の150石取りの武士である祖父・徳左衛門の

養子となり米子に赴く。

 1622年(元和8年)祖父が死去し、

家督100石を相続するが、27歳で母への孝行と

健康上の理由により藩に対し辞職願いを提出す

るが拒絶され、脱藩。

 京に潜伏の後、近江に戻り、私塾を開く。

 藤樹の屋敷に藤があったことから、門下生から

藤樹と呼ばれるようになる。

 塾の名は、藤樹書院という。やがて朱子学に

傾倒するが、次第に陽明学の影響を受け、

格物致知論を究明するようになる。

 1648年(慶安元年)藤樹が41歳で亡くなる

半年前に郷里である小川村(現在の滋賀県高島市)

に「藤樹書院」を開き、門人の教育拠点とした。

 その説く所は身分の上下をこえた平等思想に

特徴があり、武士だけでなく商工人まで広く

浸透した。

 代表的な門人として熊沢蕃山など多数輩出した

という。

中江藤樹孝養像



孝養像説明板



藤樹の里案内板



藤樹神社



藤樹神社由来碑



近くにある道の駅「藤樹の里あどがわ(安曇川)」